大晦日の行事「追儺」関係まとめ

かつて大晦日に行われた追儺の儀式関係の過去ツイをまとめたやつ。
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こうく @usedtobe_sth

『年中行事大概』(一条兼良) 追儺。 十二月三十日、「おにやらひ」といって疾病が陰気に乗じて流行することを追い払うことである。方相氏といって鬼の面に、金で四つ目を作り、赤い衣装を着て、手には盾と矛を持って疫病を追い立てることである。今の世には大舎人がこの役を務めるとか。

2021-12-27 21:21:06
こうく @usedtobe_sth

また追儺に参上する公卿は、桃の弓と葦の矢を手に取るのである。この弓矢は疫病が恐れるという由来があるためである。

2021-12-27 21:23:22
こうく @usedtobe_sth

『年中行事歌合』 左 節折〈十二月晦日〉 (菅原)季長朝臣 霜さやく 竹のは風は あらたへの よをりの袖は 猶や寒からん 右 追儺〈同〉 内大臣(二条師良) 今はただ 一夜になりし あしの矢の いるがごとくに 年ぞ暮れぬる

2021-12-26 16:24:59
こうく @usedtobe_sth

『雲図抄』 晦日節折の事〈六月に同じうす〉 同日追儺の事 御殿、別の装束の儀無し。剋限南殿の事了りて儺王、侲子を率て仙花門より入る。東庭を経て滝口の戸に出づ。侍臣、孫庇に於いて之を射、〈女官、葦の弓箭を献ず。〉逐電す。格子を下げ之を儺す。是より先、行事蔵人、儺木振鼓等を台盤所に

2021-12-26 16:12:36
こうく @usedtobe_sth

『年中行事秘抄』 追儺事 月令云はく、有司に命じて大儺し、旁がた土牛を磔出し、以て寒気を送らしむ。陰気を儺する、此より始む。 金谷云はく、陰気将に絶えんとし、陽気始めて来る。陰陽相ひ激し化して疫癘の鬼と為る。人家の為に病を作す。黄帝、方相氏の黄金にして四目をして身に

2021-12-26 12:30:22
こうく @usedtobe_sth

朱衣を著し、手に桙楯を歯り、口に儺々の声を作し以て疫癘の鬼を駆らしむ。 昔、高辛氏の子、十二月晦夜死す。其の霊、鬼に成り病疾を致し、人の祖霊の祭物を奪ひ飡ひ、祖霊を驚かす。之に因り桃弓・葦矢を以て疫鬼を逐ひ、国家を静かにす。又河辺並びに道路、散供の解除、除咎無し。

2021-12-26 12:30:23
こうく @usedtobe_sth

長保三年十二月二十八日、女院崩じ給ふ。今年追鬼無からんや。但し京中儺すと云々。 延暦八年十二月二十八日、太皇太后宮崩ず。追鬼の事無し。

2021-12-26 12:30:23
こうく @usedtobe_sth

日本の境界への意識 『延喜式』の追儺の祭文では「東方の陸奥。西方の遠値嘉」とあり、陸奥国というデカい国が東の最果てと考えられていたのに対して、のちの『曽我物語』などの史料に見える文言だと「外ヶ浜と鬼界島」が日本の最果てとして表現されている。陸奥国→細かい地名になっているて面白い

2020-06-07 14:09:25