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2021年12月26日

大晦日の行事「追儺」関係まとめ

かつて大晦日に行われた追儺の儀式関係の過去ツイをまとめたやつ。
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「追儺」について

こうく @usedtobe_sth

江戸時代すでに廃絶した朝廷の年中行事のうちに、本来大晦日に行われるはずの追儺がある。史料上の初見は文武天皇のときで「是の年、天下諸国疫癘、百姓多く死す。始めて土牛大儺を作す」とある。大舎人の中で、身長の高きを1人選び、方相氏に当てる。儀式当日にはまず陰陽師が斎部を率いて、

2020-12-31 07:16:48
こうく @usedtobe_sth

月華門から入り、陰陽允が祭文をあげる。ついで方相氏が疫鬼を追い出すことが行われる。方相氏が儺声をあげ、右手の矛で左手の盾を三度叩く。群臣もこれに和して、殿上人らは清涼殿長橋から桃の弓と葦の矢で目に見えぬ悪鬼を射る。一行は仙華門から入り、清涼殿東庭、滝口の戸を経て、悪鬼を

2020-12-31 07:20:50
こうく @usedtobe_sth

追い出して、四方の門から出て、京職がこれを受け継ぎ、鼓譟しながら郊外まで行くという。時代がさがるにつれ、疫病、鬼をおいだす役割を担った方相氏が、疫鬼として認識されるようになり、『江家次第』によると殿上人は長橋から方相氏を矢で射るとみえる。また『建武年中行事』では

2020-12-31 07:23:47
こうく @usedtobe_sth

「大舎人が鬼を務める」とみえ、方相氏=鬼の図式が考えられる。 『紫式部日記』では「つごもりの夜、追儺はいと疾く果てぬれば」で始まる章段では、追儺の夜に起きた盗賊の事件を記録している。

2020-12-31 07:27:58
こうく @usedtobe_sth

長保三年、東三条院が亡くなったことにより、延喜天暦の先例に従い、右大臣藤原顕光の意見が容れられて追儺が停止となった。しかし『政事要略』のこのときの注には「散位従四位下安倍朝臣晴明来て語ったことによると、追儺が停止されたので、私宅で追儺を行ったところ、京中に『鬼やろう』の声が響き

2021-03-01 08:52:41
こうく @usedtobe_sth

わたり、そのときのことといったら、丁度例年行われた通りであったという。晴明は陰陽の達者である」とみえる。あくまで安倍晴明が自ら語ったことであるので、誇張が含まれる可能性もあるが、晴明が私的に追儺を行い、それが京に住む他の人々にも広まったという話。

2021-03-01 08:55:46
こうく @usedtobe_sth

『本朝月令』 十二月晦日。神祇官、御麻御贖を供奉す。其の日、申の時。御麻等の物を陳列し省輔若しくは丞、進み、延政門に候ふ。大舎人、門に叫ぶこと、常のごとし。闈司、伝宣し訖りて輔、入奏す。其の詞に曰はく「宮内省申さく御麻進らむと。神祇官姓名御門候ふ」と申す。

2021-12-26 01:38:08
こうく @usedtobe_sth

中臣、御麻を捧げ進む。中臣女、殿上に於いて伝取し供奉す。畢りて本所に復す。輔更に入奏す。其の詞に曰はく「宮内省申さく御贖進らむと。神祇官姓名倭河内の忌寸部・四国の卜部等率て候ふ」と申す。中臣等入り事を行ふこと常のごとし。儀畢りて退出す。即ち輔已下・史已上、大祓所に参る。

2021-12-26 01:38:08
こうく @usedtobe_sth

禄、刀禰に送るに数札二枚。<一は中務省に送る。一は式部省に送る。>神祇祝式に云はく、六月晦の大祓<十二月、之に准ず。>集侍はれる親王諸王諸臣百官人等諸もろ聞食せと宣る。天皇が朝廷に仕奉る。比礼挂くる伴男、手襁挂くる伴男、靫負ふ伴男、剱佩く伴男、伴男の八十伴男を始めて

2021-12-26 01:38:09
こうく @usedtobe_sth

官々に仕奉る人等の過犯しけむ雑々の罪を今年の六月の晦の大祓に祓給ひ清給ふ事を諸もろ聞食せと宣る。中臣祓云々。

2021-12-26 01:38:09
こうく @usedtobe_sth

『小野宮年中行事』 晦日、瑞応の有無を奏する事。 同日、宮内省、典薬寮を率て御薬を進む事。御唐櫃に入るる式、南殿儀に載するなり。薬司伝取し、御生気の方を立つ。御屏風二帖を以て其の辺を立廻す。但し御生気の方、若し其の便無くんば、御養者の方を立つ。元日所司返し給ふ。

2021-12-26 02:08:09
こうく @usedtobe_sth

件の御薬供奉し了り、亦た本所に返上す。次日、亦た之に同じうす。 同日、東西文部、祓刀奉ずる事 同日、縫殿寮、荒世和世の御服を奉ずる事 同日、神祇官、荒世和世の御贖を奉ずる事 同日、大祓の事。<六月に同じうす。> 同日、物聞きを差し分くる事。 戌の刻左近衛次将一人<若し参らずんば右次将、

2021-12-26 02:08:09
こうく @usedtobe_sth

之を行へ。>敷政門前京の辺に於いて東西南北、左右近衛兵衛各おの一人を分け遣はす。今夕、右近衛左右兵衛各おの四人、差文を副へ左近衛の陣に送る。仍て次将、差文に任せ召し計り、本府に差し加ふ。近衛、分け遣はす。正旦、物聞き、夜中の事を記し、左近の陣に進る。仍て一紙を惣注す。

2021-12-26 02:08:09
こうく @usedtobe_sth

内侍所に付け之を奏す。 同日、追儺の事。 当日、中務省、分配の文を以て内侍に付け之を奉ず。所司装束し訖り、亥の一刻、天皇、南殿に出御す。式、御帳の内に御さず。方相一人。<大舎人の長大なる者を取り之と為す。>侲子二十人。<官奴等を取り之と為す。>共に入り殿庭に列立す。<其の装束等、式文に

2021-12-26 02:08:09
こうく @usedtobe_sth

見ゆ。> 中務式に云はく凡そ親王以下、次侍従以上、追儺の陣に闕くてへり。元日の節禄に預らずと。 論語第五巻郷党篇に曰はく郷人の儺は朝服して阼階に立つと。<孔安国曰はく儺なるは疾鬼を駆逐するなり。先祖に驚くを恐るるが故、朝服して廟の阼階に立つるなり。>

2021-12-26 02:08:10
こうく @usedtobe_sth

『建武年中行事』 追儺。大舎人寮、鬼を務む。陰陽寮の祭文をもちて、南殿の辺につきて読む。上卿以下、これを追ひ、殿上人ども、御殿の方に立ちて、桃の弓にて射る。仙花門より入りて東庭を経て滝口の戸に出づ。今宵、所々に灯火を多く燈す。東庭・朝餉・台盤所の前、みぎりに燈台を暇無く立てて灯す

2021-12-26 02:14:50
こうく @usedtobe_sth

なり。節折の式、六月に同じ。

2021-12-26 02:14:50
こうく @usedtobe_sth

私が忌み嫌っている近江のところにあの人は毎晩…と告げ口してくれる人がいたので、安心もできず過ごしていた折、丁度世の中は追儺があろうというので、「あきれた、あきれたことよ」と全く諦めていたが、外では子供も大人も「儺やらふ儺やらふ」と大声出して騒ぎ立てている。そのため私だけが

2021-02-23 22:40:26
こうく @usedtobe_sth

無関心で外の様子を見ていると、まるで心地よい家だけがしたくなる行事に思われてくる。外からは「雪なむいみじう降る」なんて言っている。年末には、何につけても思い残ししないように、限りを尽くしたことよ。『蜻蛉日記』

2021-02-23 22:42:57
こうく @usedtobe_sth

尹大納言(源)光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、洞院右大臣殿(公賢)に次第を申し請けられけれ又五郎男を師とするより外の才覚候はじとぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衛士の、よく公事になれたる者にてぞありける。近衛殿着陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、

2021-12-26 03:10:39
こうく @usedtobe_sth

火たきて候ひけるが、先づ軾を召さるべきや候ふらんとしのびやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。 『徒然草』

2021-12-26 03:11:08
こうく @usedtobe_sth

源光忠が追儺の上卿を勤められた時、洞院公賢に次第を聞こうとするに公賢は「又五郎男を師とするより外の方法はなかろう」と仰った。かの又五郎は老いた衛士で、よく公事に馴れている者にあった。光忠が近衛殿に着陣なさった時、軾(膝突)を忘れて、外記を召されたところ

2021-12-26 16:33:07
こうく @usedtobe_sth

火を焚いて侍っていたが、衛士又五郎が「先づ軾(膝突)を用意なさるのがよろしゅうございましょうか」とこっそりと呟いたことは大層趣深いことであった。 『徒然草』

2021-12-26 16:34:44
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