@1xuVLqH3kQ (いや、河内源氏も一応は準皇族なのでw)7世紀や8世紀の皇族方の血みどろの政治抗争に同じく、近臣の欲望に翻弄された結果でしょうね。異母兄弟だと尚更に。
2022-01-14 22:18:30@1xuVLqH3kQ 東国の気風もあったのかもですな 坂東平氏も平将門が良い例でひどい同族争いしてました 源氏以外の同族争いも関東では盛んで 原因はやはり土地 フランク王国をはじめ欧州でも兄弟分割相続と内紛と再統一を繰り返してるのに似てると思います
2022-01-14 22:39:52あー。 足利尊氏は「リファクタリングで日本を再定義だ!」派、楠木正成が「今こそトランクを巻き戻して幕府の代わりをスクラッチで書き上げる時!」派なワケね🤔 室町は武家社会のセカンドシステム症候群だったのでは(新説) twitter.com/bakagane/statu…
2022-01-15 12:59:16それまで「そういうもの」で思考停止してたところに、「あれ、なんでだっけ?」と考えはじめると、いろんなものが一気にガタつくやつです。天皇の継承に、なんで鎌倉が口出しするようになったんだっけ‥‥? 一度できたものに、パッチをあて続けて運用していた巨大システムの、崩壊の時です。
2022-01-15 01:48:05なるほど。大きな物事は終わってしまうまで名前をつけるような客観対象にはならないのかもしれない。 twitter.com/bakagane/statu…
2022-01-15 13:18:02RT言及:まさに。鎌倉幕府って、当事者たちには曖昧な存在なまま終わり。後の武家政権や、歴史家などが「鎌倉幕府とはなんだったのか」を考え続けたことで輪郭ができていった感があります。なので、鎌倉幕府の成立といっても「ここまでで2割が成立」「このへんで7割」「5割に戻った」みたいになる
2022-01-15 01:06:38@1059kanri 革命や下克上をできるほど自立した勢力でないなら割と中途半端な軍事政権なのを騙し騙しハッタリと面従腹背込みで統率するのをダメになるまで続けるしかないのかな。 幕府という統治機構それ自体が日本人のやる気のないだらしなさの象徴の一面にも見える。
2022-01-15 14:29:21こうなのに鎌倉「時代」というと、あたかも鎌倉幕府を中心に日本全体が差配されていた印象を受けて微妙感がありますね。 twitter.com/1059kanri/stat…
2022-01-15 14:51:57「鎌倉幕府」の成立年代が諸説あることは有名ですが、実際には源頼朝や坂東武者によって関東に成立した権力体が一体何なのか、頼朝たち自身にも朝廷にもよく解らず、その定義を定めるための紆余曲折こそが「鎌倉幕府」の歴史なんだとも思し、結果として鎌倉幕府は自身を明確に定義できずに終わったとも
2022-01-15 01:01:18@tsukasafumio けど御家人制度の廃止による土地の支配権の再設置をしなかったのは大きい気がしますね。
2022-01-15 15:05:53@nouhuhoumei 後醍醐政権宛の軍忠状に御家人と記載してる例があって、本人たちも御家人が身分なのか地位なのか職掌なのか、よく判らなくなってたようなんです。
2022-01-15 15:32:48北条氏で一番頼朝に気に入られたのは義時ではなくて泰時なんだよな 泰時大河も見てみたい 頼朝から最も愛されたみたいな感じで
2022-01-15 15:34:48@tsukasafumio それはそれで混迷の理由も分かりますね(´・ω・`)
2022-01-15 16:12:31@DBlkPasprw1rhyp 「鎌倉幕府」が自らの権威権力の拡大を望んでいたのかと言うと非常に疑問で、むしろそれらの責任を押し付けられていた部分も多分にあったと思います
2022-01-15 17:14:01#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え 後鳥羽上皇は承久の乱にて鎌倉陣営に大敗したが、彼はなんと近臣たちのせいにして責任逃れしようとした。 こうした姿勢は南朝の中心であった北畠親房も神皇正統記で批判するほどだったそうな。
2022-01-15 17:26:36ここいらへん、義経と行家に頼朝討伐を命じた後に、頼朝に弁明で「天魔の所業」と責任逃れしようとした祖父の後白河法皇にそっくりである。
2022-01-15 17:29:30#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え 後白河法皇は源義経と行家に頼朝討伐を命じたが、頼朝に詰められた時「行家義経の謀叛は天魔の所為」と弁明した。 それに激怒した頼朝は「日本国第一の大天狗は、更に他の者にあらず候ふか」と盛大な皮肉を返したそうな。 そう大天狗云々は皮肉なのだ。
2022-01-15 17:32:30義経の謀反により、後白河法皇は頼朝に惣追捕使と地頭の設置を要求され、これを受け入れざるを得なかったので、天魔の所業の結果、頼朝にいいようにされたのは皮肉というしかない。
2022-01-15 17:37:07@1xuVLqH3kQ 同じようなことした孫の後鳥羽は隠岐に流されてケジメ取らされてる分だけまだ溜飲が下がるけど後白河はね・・・・。
2022-01-15 18:12:48@1059kanri まあどうしようもない事情は諸々あったでしょうね。それでも最終的には自分達で選んだ道ですから三分の一は自業自得かつ自己負担。
2022-01-15 18:19:27@NzEJw6KMkw 隠岐から京へと戻るつもり満々だったが、それをするには百年ほど時間が早かったし、そこまでの行動力が後鳥羽には存在しなかった。
2022-01-15 18:29:42