erisogaiの輪るピングドラム考察

輪るピングドラム(アニメ)の考察です。未完成のメモですので足りない所も多々あるかと思います。誤字脱字はご容赦ください。随時編集・追加予定。
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えりそ @erisogai

「被創造物のすべての自然的な素質は、いつかその目的にふさわしい形で完全に発達するように定められている」 「地上における唯一の理性的な被創造物である人間において、理性の利用という自然の配置が完全に発展するのは、個人ではなく人類の次元においてである」

2011-09-11 19:44:32
えりそ @erisogai

「理性は本能的に働くのではなく、さまざまな実験、練習、教育を経ることで、一つの段階から次の段階へと、洞察が次第に発展するのである」 「人類の啓蒙の萌芽が、自然の意図するものに完全にふさわしい段階にまで発達することは、一人の人においては不可能である。自然はおそらく無限につづく世代を

2011-09-11 19:46:28
えりそ @erisogai

育てあげ、一つの世代が次の世代へと啓蒙をひきつぐようにすることが必要だっただろう。そして、少なくとも人間の理念においては、この完全に発達した状態こそ、人間の営みの〈目的〉となるべきである」⇒ここの〈人類〉としての超越性は、カント的な「生存戦略」と捉えられるかな

2011-09-11 19:53:06
えりそ @erisogai

「自然は人間に次のことを望んでいる。すなわち人間は動物としてのありかたを定める生物学的な配置に含まれないすべてのものをみずから作りだすこと、そして本能とはかかわりなく、みずからの理性によって獲得できる幸福や完璧さだけを目指すことである」⇒ここ、1話の冠葉モノローグ内容っぽい

2011-09-11 19:54:48
えりそ @erisogai

「一つの世代は苦労の多い仕事に従事し、次の世代のための土台を用意し、次の世代はこの土台の上に、自然の意図する建造物を構築できるかのようにみえるのである。もう一つは、この建物に住むという幸福を享受できるのは、ずっと後の世代になってからであり、それまでの幾世代もの人々は、その意図は

2011-09-11 19:59:15
えりそ @erisogai

ないとしても、この計画を進めるために働き続けるだけで、自分達が準備した幸福のかけらも教授できないことである」⇒ここは、貧乏な高倉家の両親、それを受け継ぐ双子、それを踏み台にする陽毬(高倉家のお姫さま・あとはりぼんの下りなど)の世代関係を連想させる。

2011-09-11 20:01:13
えりそ @erisogai

「自然が人間のすべての素質を完全に発達させるために利用した手段は、社会においてこれらの素質をたがいに対立させることだった。やがてこの対立関係こそが、最終的には方度くに適った秩序を作りだす原因となるのである。対立関係という言葉はここでは人間の非社交的な社交性という意味で理解していた

2011-09-11 20:03:45
えりそ @erisogai

だきたい。これは人間が一方では社会を構築しようとする傾向をもつが、他方では絶えず社会を分裂させようと、一貫して抵抗を示すということである」

2011-09-11 20:05:07
えりそ @erisogai

 「人間には、集まって社会を形成しようとする傾向がそなわっている」 「ところが人間には反対に、一人になろうとする傾向が、孤立しようとする傾向がある」⇒この同一存在内陰陽対立は、双子の冠葉と晶馬のことっぽい。

2011-09-11 20:09:15
えりそ @erisogai

そしてここからカントの論文では、おなじみの市民社会形成の方にすすっと進むのだけれど、そこはひとまず置いておいて(オウムとここで再び繋がってくるところなのだけど、ひとまず)。

2011-09-11 20:11:19
えりそ @erisogai

「人間はほかの仲間とともに暮らす際には、一人の支配者を必要とする動物なのである。(略) 人間は理性的な被創造物としては、すべての人間の自由を制約する法を望むかもしれないが、利己的で動物的な傾向に惑わされて、自分だけはその例外としたがるのである」⇒プリクリ様=支配者

2011-09-11 20:14:10
えりそ @erisogai

⇒ここのくだりは、プリクリ様=支配者、そして自分だけはその例外だと思ってる=「きっと何者にもなれないお前たち」とのリンク。

2011-09-11 20:15:03
えりそ @erisogai

「人間はこのように、各人の意志を砕いて、みずからの意志を砕いて、みずからの意思をすべての人に強制的に押しつけるひとりの支配者を望んでいるのであり、この支配者のもとでのみ、誰もが自由になりうるのである」⇒「ピングドラムを探すのだ」by プリクリ様 w あと麻原臭い。

2011-09-11 20:17:10
えりそ @erisogai

市民社会形成とその崩壊と、68年と95年とオウムとカントと村上春樹とそこからのピンドラ考察にすすもうと思ったけれど、そしてちょっと光が見えたけど、中途半端につぶやきとして上げると現代思想クラスタからストレートかまされてしまいそうだから、もう少し熟成させることにするw

2011-09-11 20:20:57
えりそ @erisogai

ここまで引用してみて、ピンドラはかなりカントっぽいことに確信。カント→村上春樹→幾原邦彦のベクトルだから、エッセンスがないわけはないと思うなあ。とか。

2011-09-11 20:22:38
えりそ @erisogai

わたしは、95年を「95年」というカギカッコに括る思想(95年を「物語化」すること)には、はっきり言って反対派の人間なので、輪るピングドラムで幾原監督が最終的に導き出す思想がその方向でないことをじつは願っていたりするのだった。

2011-09-11 20:25:28
えりそ @erisogai

68年というワードがある。それはそれでともかく。68年は、「68年」としてカギカッコ化すべきだとわたしは賛成。しかし、そしてそれと同様に95年というものはカギカッコ付きとして括るべきではないと思ってる人はどのくらい居るのだろ。

2011-09-11 20:27:23
えりそ @erisogai

『かえるくん、東京を救う』は、95年を「95年」としてカギカッコに括って「物語化」してしまった作品だと思う。そしてこれは、かなり危ない行為(マイナスの意味)だと思ってる。

2011-09-11 20:28:47
えりそ @erisogai

『かえるくん、東京を救う』は阪神淡路大震災(=天災)とオウムによる地下鉄サリン事件(テロ=人災)をベースで結びつけた作品。その二つをある種の「脅威」「神」「中心」として描き出したのわけだけど、これを批判するりゆうとしていくつか。まず、この、天災と人災の二つを結びつけてはならない。

2011-09-11 20:32:38
えりそ @erisogai

資料がいま手元にないので引用できないのだけれど、カントはある地震論文のなかで、〈地震と神はその作用として関係ない〉といった旨の言葉を書いていた。で、カントはひじょうに「分析的に」地震の資料をあつめていったわけだけれど…

2011-09-11 20:42:33
えりそ @erisogai

この、地震と神の関係、ひいては地震と人間の関係は、311について会見した某都知事の「地震は天罰」発言を思い出させる。カントはリスボン地震時、これを否定していた。

2011-09-11 20:44:41
えりそ @erisogai

そして『かえるくん、東京を救う』の物語では、大地震はみみずくん(=神)によって引き起こされて、そしてその大地震で東京の人間が15万人死ぬっていう設定なわけで。ここだけ引っ張ってくると、石原発言とまったく同じこと言ってるんだよね。

2011-09-11 20:48:14
えりそ @erisogai

みみずくんの大地震の阻止のための戦いは、人間である片桐がかえるくん(神)を手助けして、なんとか引き分けにもちこんだ(これもどうかと思う)わけだけど、みみずくんと戦いぬいたのはあくまでかえるくん(神)であって、片桐は発電機でかえるくんに光を送る手助けしてただけなんよね。

2011-09-11 20:52:30
えりそ @erisogai

その光の手助けがかえるくん曰く「片桐さんのおかげ」らしいけど、けっきょく、神対神の戦いだった。そして、「すべての激しい闘いは想像力の中でおこなわれました。それこそがぼくらの戦場です。ぼくらはそこで勝ち、そこで破れます」という言葉は、これはちょっと、いけないとわたしは思った。

2011-09-11 20:55:34
えりそ @erisogai

95年をカギカッコにくくるな、っていう話に戻ります。結論からいうと、ある一連の繋がりをカギカッコで括ることは〈物語化することで得られる慰め〉を求める弱さである、ということです。

2011-09-11 20:58:28
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