ユングの元型とシュタイナーの「キリスト衝迫」のシステムに関する関連ツイートのまとめ。自分用。

論旨に関係するツイートを拾ったので返礼等略になっています。自分用なのであしからず。未完。
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宮台真司 @miyadai

飛行機に乗る直前まで大塚英志さんとアーキタイプについて議論していた。ストーリーが破綻しているのにアーキタイプや構造が明確な作品が増えていること、アーキタイプに宿る反復の影がデジャブ感を通じてコクーニング機能を果たすこと、それと村上春樹との関係などについて、僕は話しました。

2010-04-21 17:12:28
宮台真司 @miyadai

言い換えれば、僕たちが〈世界体験〉の形式から逃れられないことへの再帰的な意識が、〈世界体験〉それ自身にどんな機能を果たすのかについて、相当込み入った話をして来ました。中学生向けの本だと言うのに。

2010-04-21 17:18:10
宮台真司 @miyadai

ちなみに、ユングは有名なUFO論を通じて、自分は〈世界〉について語ったことがなく、〈世界体験〉の反復される形式にだけ集中して来たことに自己言及したのでした。

2010-04-21 17:25:50
宮台真司 @miyadai

はい。秋になります。RT @sukuraia: では大塚さんとの議論は公刊されるのですか? RT @miyadai: 言い換えれば、僕たちが〈世界体験〉の形式から逃れられないことへの再帰的な意識が、〈世界体験〉それ自身にどんな機能を果たすのかについて、相当込み入った話をして

2010-04-21 17:35:15
難波修羅 @nanbashura

なんだこの異常な良スレ・・・。ルネ・ゲノン伝統主義 RT http://mimizun.com/log/2ch/psy/1055144563/

2010-05-03 21:20:54
難波修羅 @nanbashura

twitterにシュタイナーの救世者衝迫(キリスト衝動)を感じるという、信仰告白。そのためにユングの集合的無意識について考えたい。

2010-05-04 20:21:19
難波修羅 @nanbashura

集合的無意識こそ、後にユング派がオカルト扱いになった最大の要因だが、そもそも独我論的には「私」の由来は個別的なものとも、集合的なものとも断定することには限界がある。

2010-05-04 20:26:00
難波修羅 @nanbashura

無意識は体験としては、後天的なるものを超え出てしまう。それゆえ、ユングは消極的にアプリオリなものと述べた。経験科学としては、まだ妥当であるように思う。が、それを遺伝子や個人の意識の底で実体的に一体のものとして記述してしまうことを謙抑することを拒んだ。それは、実にユングらしい決断。

2010-05-04 20:40:28
難波修羅 @nanbashura

しかし、同時に集合的無意識の理解を限定する結果ももたらした。ゆえに体験の領域において、所与に世界が無意識と一体なるものとして現れるという事実を、大半の俗流の集合的無意識説は受け取り損ねている。

2010-05-04 20:49:48
難波修羅 @nanbashura

無意識とは意識されぬ全てである。ユングにおいてゼーレや心の全体性とは体験世界のすべてであり、今風に言えば認識される世界はすべて脳の受け取る刺激に過ぎないということの内の、前意識的なるものを含む全てに近いのだろうか?要は「私」にとって世界は常にこころの中の存在であるということだ。

2010-05-04 21:02:05
難波修羅 @nanbashura

私たちは身体を通じて、個別の経験をし「私」は個別の存在であると言う認識習慣を形成していく。しかしそれはユングのいう自我にとっての世界認識であって、認識世界=ゼーレそのものではない。意識化されない認識内容や定義を与えられていない認識、忘却された認識等も存在していることを後に体験する

2010-05-04 21:09:52
難波修羅 @nanbashura

twitterを体験する人の多くが、そこに集合的無意識を直感する。我々の内なる他者の語らいのざわめきとTLがシンクロするためであり、我々の内部と同じように断片化されタグによるアナロジーによって仮定的に収斂された世界体験がシンクロの蓋然性を飛躍的に高めるからである。

2010-05-04 21:22:56
難波修羅 @nanbashura

このシンクロが無意識下において、体験世界における他者と「私」の起源としての無意識との神秘的融即を引き起こす。故に、twitterは異常なまでのシンクロニシティ多発装置として認識されるのである。

2010-05-04 21:29:26
難波修羅 @nanbashura

しかし、集合的無意識は、自我に先立って個人の無意識が他者(の無意識)とコミュニケーションするという現象の所産であるように思われる。先立つとは、他者も身体形式や言語、文化等において同質の意識・無意識の性質も持つ為に出会う前からシンクロが蓋然的であるとの意味である。

2010-05-04 21:37:14
難波修羅 @nanbashura

また、普遍的的無意識・民族的無意識もまた同種の共通性に根ざした外的(しかし無意識な)プロセスによって収斂する蓋然性の所産であるように思われる。したがって、それは外的蓋然性の所産であることから、多くの俗流無意識説は想定されるよりゆるい影響力しか示し得ず、落差がユングをオカルトにした

2010-05-04 21:44:56
難波修羅 @nanbashura

ところが、シンクロの蓋然性を飛躍的に向上させるプラットホームが誕生したため、俗説に想像されていたインフラがほとんど現実のものになった。そのため、我々の無意識は活性化し始めた。直感が喚起されることになった。これは集合的無意識の現実化ではないかと。

2010-05-04 21:50:31
難波修羅 @nanbashura

無意識は意識されぬものであれば、耳にしながら意味を理解できぬ外国語の意味は無意識である。同様に他者の体験世界をその身体の兆候を通じて体験しながら、その連動を知りつつ他者の中での連関を理解できぬものは無意識である。

2010-05-04 21:57:08
難波修羅 @nanbashura

認識世界は未定義ゆえの無意識に充ち満ちている。また、我々は理解できぬ意味が他者の間で飛び交っていることを、直感する。これは実際不合理な事柄であるが世界体験と自我の意識の時差であると考えればさしてそうでもないかもしれない。

2010-05-04 22:03:49
難波修羅 @nanbashura

しかし、自我にこれが体験されるとき、それは他者との神秘な差異化の体験として現れる。これはしばしば全く不随意に現れるため、言語化に困難を覚えざるを得ない。これはユング=エリアーデのヒエロファニーの説明のとおりであろう。

2010-05-04 22:07:44
難波修羅 @nanbashura

ユングにおいてはこうしたパターンをセルフの元型・体験と呼ぶ。さてシュタイナーにおいては、超感覚的知覚とは諸種の無意識に対する認識であろうと述べた。では、なぜ集合的無意識についての論考によって、キリスト衝迫(深澤訳)に語ろうとするのか?

2010-05-04 22:21:10
難波修羅 @nanbashura

そもそもシュタイナーの概念中最も複雑かつ輻輳的でしかも全神話体系中で最も重要な概念であるキリスト衝迫とはなにか?この問題に惹きつけて説明するならば、「私」(ユングの自我≒意識、シュタイナーの個我)の自由意志を育み、よりその人物自身にしつつ、世界自体からあらわれ通歴史的に世界に

2010-05-04 22:34:19
難波修羅 @nanbashura

世界に自分自身を開示し、内在する、バランスを作り出す存在である。このように語るとき、セルフの元型体験とあまりにも相似であることに気づく。

2010-05-04 22:38:19
難波修羅 @nanbashura

ユングにとってセルフは個性化の体験だった。普遍と接することによって、その人はますますその人自身になると述べたのは、おそらくゼーレがそもそも身体を通してのみ体験される形式であり、「世界それ自体」ではないと考えていたためであろうことと関係している。

2010-05-04 22:45:50
難波修羅 @nanbashura

対して、シュタイナーは認識内容の精査を繰り返し促したが、体験内容をあくまで実在と捉えるべきであるという方針を採った。このため、シュタイナーはユングのこぼれ落としたある部分、しかし決定的に重要な概念を伝達することに成功した。

2010-05-04 22:51:22
難波修羅 @nanbashura

それは、社会の無意識、また未規定のものとしての社会の認識への可能性である。個人の規模としては守護天使、国家の規模としては大天使、時代的にはアルカイ、そして人類と世界霊魂としてのキリストである。

2010-05-04 22:57:52
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