ユングの元型とシュタイナーの「キリスト衝迫」のシステムに関する関連ツイートのまとめ。自分用。

論旨に関係するツイートを拾ったので返礼等略になっています。自分用なのであしからず。未完。
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難波修羅 @nanbashura

シュタイナーがこうした伝統的オカルティズムの語彙を用いたことで、ユング以上に激しい濫用を招いたことはおそらく、シュタイナーの意図的選択である。伝統的思考と近代的認識論の橋渡しのための是々非々の決断として、あえて混濁させたのだ。

2010-05-04 23:05:09
難波修羅 @nanbashura

また同時に、ユングにおいて禁じ手「全体性への悲劇的あこがれ」の可能性もまた、「歴史を通じて漸進的に自己を開示するキリスト」という、実にヘーゲル的な概念の中に残した。このことに関して、自己超越の危険性と自己の矮小化に関する彼の神話のバランス設定は実に絶妙である。

2010-05-04 23:11:53
難波修羅 @nanbashura

この点において、ユングは手痛過ぎる失敗をした。ともあれ、ユングが経験科学的アプローチに徹したために、本来的に高度に認識論的な形式内容を持っていたシュタイナーの思想を解析する基礎が与えられた。

2010-05-04 23:17:10
難波修羅 @nanbashura

端的にいって、シュタイナーが認識世界を実在であると主張するのは、ユングの言う投影ではなく、戦略なのである。それゆえに、かえって世界それ自体と無意識を分離する態度をとるのは世界や社会との着地を危うくしてしまう。

2010-05-04 23:26:03
難波修羅 @nanbashura

このことにユングは気づいていたため、妥協点としてシンクロニシティの概念を用意していた。しかし、その世界共有は医師とクライアントの間だけのささやかなものであり、ナチスとの関係の失敗もあってか、社会運動化を意図的に避けていた。

2010-05-04 23:42:36
難波修羅 @nanbashura

インターネットしばしばはレコメンデーションを通じて、個人の嗜好にとり好ましい情報≒世界体験形式を集約する。この体験はユングの意味での自我の肥大化への傾向を促す。しかし、Twitterは非匿名性とリアルタイム性によって寧ろ個性化や自己認識を促す。

2010-05-04 23:48:12
難波修羅 @nanbashura

その機能が偶然性や蓋然性を通じ外的に、また自己認識の訓練によって同時に内的に自己自身を開示するキリスト衝迫そのものの性質と重なり合う。

2010-05-04 23:52:40
難波修羅 @nanbashura

インターネットは体験形式を集約するが、体験それ自体すなわち身体経験を付与しない点において、あまりにユングの憑依概念近い。

2010-05-04 23:57:42
難波修羅 @nanbashura

多くの点で新興の共時的・創発的メディアは、俗流の集合的無意識概念に似ている。それはおそらく、その存在の要請の起源が同一であることから発生している。

2010-05-05 00:03:32
難波修羅 @nanbashura

すなわち個人が個人であるために他者とつながろうとする欲望と、別の存在でなければならないと懸隔しようと、差異化しようとする欲望とである。

2010-05-05 00:08:23
難波修羅 @nanbashura

本来的にユングの集合的無意識はコミュニティの一体性の洞察と不可分であり、そのまなざしにはそこへの期待が宿っている。であればこその、危険も魅力も内在している。共時創発的メディアの出現が意識されなければ、その空洞をうめるように人は集合的無意識を希望的に観測するだろう。

2010-05-05 00:19:32
難波修羅 @nanbashura

そして、転倒してこれらのメディアとは別個にその背後にある世界を投影してしまうことになるだろう。それは致命的にズレながら、いびつに重なりあう。しかも、意識上でも無意識下でもである。

2010-05-05 00:24:25
難波修羅 @nanbashura

もうひとつ、世界自身が情報量の増大により可能性を手探りで探している。我々の認識の限界はさほど拡張していない。にもかかわらず、情報アクセスの範囲は爆発的に拡大した。これは、個人的未規定性の拡大であり、共同体的自明性の後退である。

2010-05-05 00:42:22
難波修羅 @nanbashura

この事態は宗教学で言う私事化のプロセスである。にもかかわらず、自我にとっての無意識の意識化、すなわち情報の集約・縮減のプロセスは進行している。これはユングになぞらえていえば、外的システムによる個性化の涵養である。

2010-05-05 00:49:15
難波修羅 @nanbashura

しかし、シュタイナーの概念ではこれは明確にキリスト衝迫の開示そのものなのである。ここにおいて、シュタイナーの戦略や神話設計が自由意志の進化を主題にしている重要性が顕わになる。

2010-05-05 01:08:21
難波修羅 @nanbashura

シュタイナーは自由意志論におけるハルトマン経由の進化論のある種ヘーゲル的な予定説を克服することをキャリアの初期に持っている。そのため世界それ自体が進化することで人間の自由意志が制約されてくることを予期していたのである。

2010-05-05 01:26:11
難波修羅 @nanbashura

その中で、シュタイナーは自由意志を求める戦いの経歴を『自由の哲学』に残した。彼にとってのキリスト衝迫とは自由意志の助け手というより、自由意志の敵の敵に近い。しかしながら、婉曲的には助け手でもあるのである。この霊的=ロゴス的力がまさにtwitterの中に「見出される」のである。

2010-05-05 01:32:11
宮台真司 @miyadai

RT @TT65536: 宮台さんの子供時代「70年代」は、まだ「日常」はカンタンに壊れ「世界」が見えていた。今の中高生は相当キツいだろうなと。「社会」はしょせん作られたもので、「世界」はその外にあるけど、「日常社会」はどこまでも広がっている。

2010-05-05 08:32:24
宮台真司 @miyadai

RT @TT65536: また、壊れた芸術家の撮った「日常の風景」が「確かに日常だけど、非日常だった」という(ゴッホ的)お話も。密度が濃かったが、宮台氏の語りたかったことは「どうせウソである「システムの一部」じゃない「世界」に直に接するアート」を作れ、という激励だったんだと思う。

2010-05-05 08:32:42
宮台真司 @miyadai

RT @TT65536: 質疑応答で。女子大生「私ずっと、このキャラ(不思議ちゃん系)で来たけど、大学生になって、このキャラはKYだって言われて…」宮台「オレだってKY承知でやってるよ。批判されてるよー(笑)やめるのはつまらなくて、もっとやる。わざとやる、ってやってるよ(笑)」…

2010-05-05 08:33:16
宮台真司 @miyadai

RT @TT65536: …近代は「非日常」もまた「日常の一部」として、システム化(日常化)されている。それが強固な時代には、アートが「リラクゼーション」になる。しかし「世界体験(非日常=社会の外)」を呼び、元の自分に戻れなくするのがアートである。

2010-05-05 08:33:50
T-T-Cold @TT32768

@miyadai どど、どうも。先日はおつかれさまでした!本多です。すごい恐縮すぎて恐縮です!

2010-05-05 08:38:45
宮台真司 @miyadai

昨日は、アバンギャルドな画家で美学校講師であられる内海信彦さんと、神田神保町の三省堂の真裏にある文房堂ギャラリー4Fとトークしました。フロアが隅から隅まで立見で埋め尽くされ、ギャラリーによると歴代動員新記録だったそうです。二百人はいた。八十人くらいが打ち上げに。十五人が二次会に。

2010-05-05 08:39:04
宮台真司 @miyadai

会場には鈴木邦男さんや白虎社の大須賀勇さんも来ておられ、鈴木さんは打ち上げにまで参加してくださいました。内田輝(サックスプレーヤー)P.A.N.A project(サウンドクリエーター) のアバンギャルド・ジャズも、会場の雰囲気を弁えて、アンビエントの味付けもあるノイズで、最高!

2010-05-05 08:50:55
宮台真司 @miyadai

トークの前座として行われた(?!)中島晴矢のパフォーマンスで、チンコを見て目を丸くしていた少女たちと、完全に見慣れている僕との間の「落差」を前に、いろいろ考えた。なぜ、ロバート・フリップが言ったように、1968年と1969年の二年間には「恩寵の扉」が開き、神の光が降り注いだのか?

2010-05-05 08:54:24
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