ユングの元型とシュタイナーの「キリスト衝迫」のシステムに関する関連ツイートのまとめ。自分用。

論旨に関係するツイートを拾ったので返礼等略になっています。自分用なのであしからず。未完。
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宮台真司 @miyadai

その当時「非日常」の中に「日常」が浮かんでいた。〈世界〉の中に〈社会〉が浮かんでいた。だからヒョンなことで「日常」は「ウソ日常」として、「社会」は「ウソ社会」としての相貌を表した。ヒョンなことを提供するのがアートだった。それが「ウソ日常」「ウソ社会」と分かってしまったら戻れない。

2010-05-05 08:58:04
宮台真司 @miyadai

別の言い方をすると、「日常」や「社会」から成り立つ閉鎖系カプセルには、容易に亀裂が入り、亀裂に手を伸ばすことを通じ、僕たちは〈世界〉に接触できた。フリップの言う「恩寵の扉」とはそういうこと。今は「非日常」の中に「日常」が浮かぶどころか逆に、「日常」の中に「非日常」が登録されてる。

2010-05-05 09:05:58
宮台真司 @miyadai

:映画論二冊で述べたように、先進各国での急速な戦後復興&郊外化は、ポップカルチャーに刻印されるように「薔薇色の夢」を伴った分、1960年代半ばに到る頃には広範な「こんなハズじゃなかった感」をもたらしていた。この不全感が、頓挫した夢に変わる全体性(ここではないどこか)の希求を与えた

2010-05-05 09:12:45
宮台真司 @miyadai

映画論二冊ではそう書いてきたが、トークで述べたように、単に社会変化の速さもある。敗戦後から1960年代半ば(オリンピック)まで20年。この20年の変化は余りに激烈だ。「夢」を抱くと否とにかかわらず、日常や社会に疎隔感を抱いて当たり前。そう。僕はここにこうしていたのかという感覚だ。

2010-05-05 09:16:24
宮台真司 @miyadai

打ち上げのとき、僕の左横には16歳。右横には15歳と16歳の女子高生が座った。95年の震災もオウムも知らない。援交という言葉も知らないコがいた。僕「生まれてから社会に何かスゴイことが起こったっていう経験ある?」。女A「9.11かな」。女B「でも別の国だし他人事じゃん」。僕「…」。

2010-05-05 09:19:13
難波修羅 @nanbashura

この間の宮台氏の大塚英志との会話のつぶやきを考慮すると、彼の語る「世界との接触」は大抵ゼーレ内部でのセルフから自我への示現であり、個性化過程やシュタイナーのような自由を獲得する(主に内的な)闘いによる世界への無限漸近として語ることは意図的に少なくしているということのようだ。

2010-05-05 09:22:34
宮台真司 @miyadai

〈世界〉を告げ知らせることで〈社会〉を「今まで通りには」生きられなくする機能がアートだとすると、文学における受容理論に寄り添う形になるが、何かがアートであるか否かは--〈世界〉を告げ知らせるか否かは--受容文脈(社会的文脈)次第だということになる。僕の10代と今の10代の落差。

2010-05-05 09:23:11
難波修羅 @nanbashura

やはり岡本太郎はスタンダードなんだなぁ。RT @miyadai 〈世界〉を告げ知らせることで〈社会〉を「今まで通りには」生きられなくする機能がアートだとすると、文学における受容理論に寄り添う形になるが、何かがアートであるか否かは--〈世界〉を告げ知らせるか否かは--受容文脈…

2010-05-05 09:27:21
宮台真司 @miyadai

トークでは微妙な問題を幾つか話した。(1)〈世界〉の告げ知らせは「作品」「表現」を経由する必要がない。前衛やシュルレアリストが作品や表現といった人称性にこだわる点、ロジェ・カイヨワが述べたように「モダンアートの自明性」にアート界が埋没していないか。僕らにとってはどーでもいいのに。

2010-05-05 09:28:34
宮台真司 @miyadai

(2)これもカイヨワが述べたことだが、〈世界〉からの告げ知らせを、「見えないものが見えるようになる」という19世紀的な「潜在性の思考」に引き寄せがちではないか。「植物図鑑」以降の中平卓馬がそうだったように、目の前の日常風景が「そのまま」圧倒的力を以て脳髄を打ち砕くゴッイ的経験は?

2010-05-05 09:31:59
T-T-Cold @TT32768

@miyadai 「見えないものが見える」という「思想」とか「作家」という考え自体、「世界を捉えるアート」には無意味、ということでしょうか。

2010-05-05 09:34:44
宮台真司 @miyadai

(3)非日常を日常として次々と登録する日常において、影踏みのように非日常を追いかける営みは、それ自身、ポストモダンどころかモダンの運動そのものなのではないか。日常と非日常という図柄を完全に放棄した上で〈社会〉と〈世界〉を考えるべきではないか。そこで僕が参考にするのが人形劇の世界。

2010-05-05 09:36:47
宮台真司 @miyadai

江戸糸操人形結城座の(現在アセファルの)結城一糸が二つのことを言った。第一。古典劇は反復だ。だがそれを支える「闇の力」が枯渇してくる。枯渇する力を備給すべくアバンギャルド劇をやる。リスキーだがうまくすると「闇の力」が復活する。「闇の力」は「実数の間」ならざる「虚数の間」を与える。

2010-05-05 09:44:49
宮台真司 @miyadai

第二。アバンギャルド劇がリスキーというのは、5回の連続公演で1回しか成功しなかったりすること。だがそのことを見極める「闇の力」リテラシーを持つ観客が数百人に一人であること。僕はそれを見極められるらしい。以前万人が褒める公演を、僕一人が駄目出ししたら、長文の手紙をいただいた。

2010-05-05 09:50:09
宮台真司 @miyadai

いわく、完全に失敗したことが分かっている芝居を、万人に褒められることほどツライことはない。僕から「これでは駄目だと思う」と伝えられたとき、実は本当に嬉しかったのだと。僕が思うに、このことはいろんなことを示唆する。⒜闇の力は見えないものではなく、見えるものに見える力として宿る亊。

2010-05-05 09:54:14
宮台真司 @miyadai

⒝しかし多くの人には見えないがゆえに、多くの人に見える範囲で芝居を作らねばならず、自分自身や闇の力リテラシーのある人を裏切る結果になりがちなこと。⒞多くの人には彼らの見える範囲で愉しんで貰い、闇の力リテラシーのある人には別次元を愉しんで貰う、それがアバンギャルド劇ならざる古典劇。

2010-05-05 09:57:12
難波修羅 @nanbashura

宮台氏や苫米地氏が自覚しているように、水を統御するようにして無意識の力は適切な手続きで行使出来る。ユング派ではバーバラ・ハナーやアーノルド・ミンデルがこの技術を発展的に継承した。ただし、無意識の流れていこうとする流れを読む高度な力が要求される。

2010-05-05 09:58:30
宮台真司 @miyadai

やはりカイヨワがブルドンらシュルレアリストを批判したのが、〈世界〉の訪れを神秘的なものと見る通俗傾向。RT @wamiho: 宮台さんがアートについてツイート。日本で作家性とかいうとこういうアーティストに降りてきたものを神秘的なものとして扱いがちな気が。RT @miyadai

2010-05-05 09:59:30
宮台真司 @miyadai

そこには、ユングが喝破したように、神秘体験は、神秘現象の存在を指し示すどころか、〈世界体験〉の1フェイズに過ぎないとの見做しがある。むろんそうした見做しも〈世界体験〉で、我々は〈世界体験〉の外には出られないが、たかだか個人の神秘体験にこだわるが如き主観主義は克服されねばならない…

2010-05-05 10:04:15
宮台真司 @miyadai

素晴しき纏め。RT @TT65536: 宮台先生のツイートを見ながら。昔は「非日常の中に、日常が浮かんでいた」から、そのことに気づかせる「アート」が意味を持った。今は「日常の中に、非日常が登録されている」つまり「時々行って帰るもの」になり、アートも「日常の一部」に吸収されている。

2010-05-05 10:05:20
T-T-Cold @TT32768

あ、あありがとうございます!@miyadai 素晴しき纏め。RT @TT65536: 宮台先生のツイートを見ながら。昔は「非日常の中に、日常が浮かんでいた」から、そのことに気づかせる「アート」が意味を持った。今は「日常の中に、非日常が登録されている」つまり「時々行って帰るもの」に

2010-05-05 10:07:38
榎本憲男★『サイケデリック・マウンテン』絶賛発売中!!! @chimumu

榎本です。宮台さんの主張は、蓮實の「説話論的な磁場」、物語はかって知っている者が知らない者に向かって特権的に語りえたのに、いまや、誰もが知っていることを確認し合うために物語り、物語を通して知っているものしか知ろうとしない状況になった、ということと関係あり? RT @miyadai

2010-05-05 10:09:33
宮台真司 @miyadai

類似への気づきの連鎖によって〈世界〉は確かにそうなっていると一瞬の気づきに到る(一瞬後にはどうなっていると思ったのか定かでなくなる)という、人称性に還元できない「全体性への気づき」を、ベンヤミンはアレゴリーと読んだが、同時代に仕事をしているカイヨワ(やや年少)と共鳴している。

2010-05-05 10:10:40
宮台真司 @miyadai

蓮實の「説話論的な磁場」は僕の概念系では「〈世界体験〉の構造」に相当。蓮實の「物語」は「〈世界〉はこうなっているという主張」に相当。「〈世界〉はこうだという主張」として破綻していても「〈世界体験〉の構造」を掬い上げたものがあるのに、それに鈍感化しつつあります@chimumu さん

2010-05-05 10:20:24
榎本憲男★『サイケデリック・マウンテン』絶賛発売中!!! @chimumu

そうです! RT @miyadai: 榎本さんの仰言るのは、「〈世界体験〉の反復される構造に無知なまま口角泡を飛ばして〈世界〉はこうなってるんだぞという誰もが知っている話を反復する」という事態です。

2010-05-05 10:28:07