ユングの元型とシュタイナーの「キリスト衝迫」のシステムに関する関連ツイートのまとめ。自分用。

論旨に関係するツイートを拾ったので返礼等略になっています。自分用なのであしからず。未完。
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宮台真司 @miyadai

いや榎本さんと呼びましょう。おはようございます。『映芸』読みました。かつての討論を思い出しました。続けますね。「知っている者が語る」とは、「〈世界体験〉の反復される構造を熟知した者がテオリア的観念を保持したまま〈世界〉はこうだという物語を語る」に当たります。

2010-05-05 10:28:17
宮台真司 @miyadai

:榎本さんの仰言るのは、「〈世界体験〉の反復される構造に無知なまま口角泡を飛ばして〈世界〉はこうなってるんだぞという誰もが知っている話を反復する」という事態です。レイヤーがややずれるのですが確認すると、表層=説話論的磁場=〈世界体験〉の反復構造。深層=物語=〈世界〉についての主張

2010-05-05 10:29:33
宮台真司 @miyadai

とすれば古典人形劇こそ〈世界体験〉の反復を逆利用して〈世界〉の訪れを導く営みです。RT @chimumu: そうです! RT @miyadai: 榎本さんの仰言るのは、「〈世界体験〉の反復される構造に無知なまま口角泡を飛ばして〈世界〉はこうなってるんだぞという誰もが知っている話…

2010-05-05 10:33:19
難波修羅 @nanbashura

私の昨日のツイートも長いわりに大したことをいってないなぁ。元型の確率について落ちてんじゃねーかという・・・。

2010-05-05 10:41:16
難波修羅 @nanbashura

ユング=エリアーデが普遍的無意識を構想したのは、神話の超局所性・反復性=超時代性を観察したからだけれども、それはゲノン、コルバン、湯浅らの永遠の哲学・伝統主義への着地を考えてのことだったかもしれない。が、それはアプリオリのものとしての元型とパターンを一絡げにする誤解を受けた。

2010-05-05 10:55:33
難波修羅 @nanbashura

パターンの反復を伝統主義者の多くがそれが普遍的様式だからなのだと誤読した。しかし、そうではなく凡庸なパターンがランダムに散らばっており、それが偏りが比定を通して認識されるとき、それが反復なのだと言うことが、まず理解されなければならない。

2010-05-05 11:11:34
難波修羅 @nanbashura

このことをユングは布置(コンステレーション)と呼んだ。これは運命的なるもの(ダイモーン的なるもの)の配置・プロセスの構成が、星の恣意的集合に過ぎないが運命を定める星座(コンステレーション)が見出す側によって形作られることに、明らかに意識的な命名である。

2010-05-05 11:19:30
難波修羅 @nanbashura

またコンステレーションの命名には「アスペクト」によって意味が複雑的・輻輳的との含意があるのかもしれない。アスペクトは意識の世界認識に対する仕方であり、パターンであるが、それは無限のアスペクトの内のひとつに過ぎず、無意識には意識化されない無数のアスペクトがあり、しかも常に

2010-05-05 11:42:51
難波修羅 @nanbashura

しかも常に、コンステレーション自体がリビドーの流動として変容しているのである。常にゼーレは変容している故に、意識化のプロセスには終わりがない。しかも、おそらくゼーレは他者やダイナミックな個人的のゼーレの集合・創発としての社会的無意識や世界そのものと風と波のように融合している。

2010-05-05 11:57:12
難波修羅 @nanbashura

ここらで断って置きますが、今日の一連のツイートは @miyadai 氏の今日の一連のツイートの暗示に注意を促されて、重要論点落脱しまくりの昨日のツイートを補足するものです。怖い、怖すぎる。

2010-05-05 12:04:34
難波修羅 @nanbashura

元型はこのような、無数のパターンのうち最も凡庸でありふれたもの、偶然なされる確率の高いもの・大量のものとして経験科学の観点に捕捉されるものである。ユングはそのため元型は必然的なものと言うよりは蓋然的なものであると述べたのである。

2010-05-05 12:25:12
難波修羅 @nanbashura

元型を普遍的なものと見做すのは、したがって、あくまで経験科学≒現象学の観点からは転倒である。では、元型が最もありふれたものであるにも関わらず、元型体験=「世界体験」が強烈なものとして聖体示現するのは、なぜなのだろうか?

2010-05-05 12:41:39
難波修羅 @nanbashura

ユングは、それをエナンティオドロミーとして説明している。風が海に吹くとき押さえつけられたエネルギーは別の場所に波として力を蓄え、一瞬後には元の場所にあるいは別の場所に打ち寄せる。それは水のいかなるアスペクトにおいても平衡を保つべく全体が同時に、リズミカルに運動する。

2010-05-05 12:54:54
難波修羅 @nanbashura

したがって、元型体験を引き起こすエナンティオドロミーは個人のゼーレの偏りと、ゼーレ自体の外部との平衡との二つの要因が考えられるが、そもそも我々の想定するゼーレの外部はゼーレとしてしか体験されないのであることを付言しておく。

2010-05-05 13:02:21
難波修羅 @nanbashura

元型は大量のものである。比定・パターン認識によって世界を把握する我々にとって、類似・相同のものの分布の偏りである元型は強烈に引き戻り、シミュラクルの全てを連動して元型体験を引き起こす。そしてその波紋はの潮流のごとく無限のアスペクト間で平衡を保ちながら、コンステレーションを反復する

2010-05-05 13:38:08
難波修羅 @nanbashura

ユングの個人的無意識、ナショナル無意識、普遍的的無意識は階層的に構造化されていると多くの場合理解されている。実際ユングもそのようにとれる説明をしたりもしているが、そうではなくゼーレ間の創発と世界との連動により生じる集合的無意識のまとまりの、数学の意味の集合の名称と見做すべきだ。

2010-05-05 14:12:23
難波修羅 @nanbashura

そうでなければ記述的研究の範囲を逸脱し、かつあまりにスタティックな見方である。エナンティオドロミーが外部から波及してきたものにせよ、内的偏向が原因にであるにせよ、それはゼーレの内部での体験としてしか経験出来ない。無意識から波及してくるものは、そもそも意識化の網を免れたものである。

2010-05-05 14:24:03
難波修羅 @nanbashura

任意の心的プロセスが無数の転移のプロセスによってシンクロするようなとき、そのプロセスは転移誘発の契機の量によって増幅されることがある。そのようにして集合的無意識はこの個人の集まり以上の振る舞いを見せる。

2010-05-05 14:42:00
宮台真司 @miyadai

家族一緒に世田谷公園にいって汽車ぽっぽに二回乗り、ファンゴでターキーサンドとバジルチキンサンドを食べ、その後は子供の広場公園に行って、例の不思議な遊具で遊んで、汗だらけになって帰ってきました(-。-;)。昨日、夜遅くまで二次会カラオケに付き合ったせいで、のどの調子がヘンです。

2010-05-05 14:47:49
難波修羅 @nanbashura

このとき、個人のゼーレは環境の転移の力によって変容を被る(逆もまたしかり)。それが即時に自我に波及するとは限らない。むしろ時差をおいて海嘯を被る。何かについて欠如を感じたり、過剰を感じたりすることの潜在力はミルククラウンのように時間ををいてせり上がり来る。

2010-05-05 14:49:47
宮台真司 @miyadai

そして、死を意識しました。久しぶりに。娘たちが僕と同じ齢になる頃、僕は生きていない。それはいったい、どういうことなのだろう。その頃、娘たちは、僕について何を覚えているのだろう。僕はいま、こんなところで、何をしているのだろう…。

2010-05-05 14:56:40
難波修羅 @nanbashura

このとき、すでに波紋をもたらしたものは過ぎ去り、ただその残響が自我をとり囲んで、元型パターンを示す。こうした無意識の海嘯のうち自我の帰属・アイデンティティに関わる群のなかで世界それ自体の群と関わる群のカテゴリーを、とくにユングはセルフ元型と呼んでいる。

2010-05-05 15:01:29
宮台真司 @miyadai

ありがとう。僕は死を怖いと思った記憶はないし、暗い場所を怖いと思うこともないのですが、明るい陽の光の下に出ると死を意識します。クセみたいなものです。RT @Atomium2011: 宮台さん。死を意識できるということは生きてるってことですよ。存分に死を意識しましょう。( ^^)

2010-05-05 15:09:55
宮台真司 @miyadai

自分が若い頃から南の国々を旅行し、今も沖縄から離れられないのは、そのせいではないかと思います。沖縄でもネットウヨク(熱湯浴)のようなことがあると忘れていますが、死を意識するために沖縄に通い続けてきたことも思い出しました。僕は北ではなく南に逃げる種族です。ヤクザは南に、政治犯は北に

2010-05-05 15:15:49
宮台真司 @miyadai

@nanbashura さんのユングについての素晴らしい説明を読んでいたら、娘たちと一緒にいたとき、遊具で遊びながらずっと死を意識していたことを思い出したのです。妻との新婚旅行で波照間島の海辺に座っていたときにもとてもよく似た意識状態になりました。不安とは全く異なる平穏な状態です

2010-05-05 15:19:34
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