黒瀬陽平が語る「構図」と「画像(画素)」~粘菌的絵画論~
@yishioka ご存知かもしれませんが、Stephen Shoreの"The Nature of Photographs"2007も併読することをお勧めします。『写真家の眼』のいわば続編として書かれたものです。
2009-12-17 02:07:28スーラみたいに画面内画素比が一定に近ければあくまで構図的、揺らぎが大きくなったり様々な画素数のイメージを同一平面に呼び込めれば画素的という理解 *Tw*
2009-12-17 01:34:18あースーラかあ。ピカソの気持ち悪い色の点描の絵あるよね、クラウスもなんかかいていたようなあの絵。今うまく作品指示できないけど、あの絵は割とガチの予感
2009-12-17 01:39:15しかし黒瀬くんの話はフルクタルのような綺麗な形の変化ではなく、小さい単位と大きな単位の間の単位の見え方やつながりが、歪んでいたり、くもったような、不明瞭な感じがあるんじゃないか?あとブレイクから考えるとわかりやすいのかなあ
2009-12-17 01:53:18本棚見てて思いだしたけど、構図と画像の対立は、柄谷行人風にいえば「風景」と「(差異としての)場所」の対立でもあるわけだ。
2009-12-17 01:40:13お、こんな指摘も。大黒さんの「<メディア>の哲学」を本棚から探すなう・・ http://bit.ly/8oIrnt RT @masmt: さっきの構図/画像・画素の話はルーマンでいう形式/メディアの話と捉えてもいいのだろうか。
2009-12-17 01:42:27柚木さんは黒瀬に任せた! RT @kaichoo: !!! なんかわからないけど、すごい恥ずかしいですww RT @yuzuruu: @kaichoo 黒瀬さん何かここんとこすごいw
2009-12-17 01:52:01フォーマリズムの言葉が荒っぽすぎることにとてもとても限界を感じる。だから言葉を作るしかないと思う。保守的に聞こえるかもしれないけど、ぼくは基本的にはフォーマリズムを捨てる気はない。フォーマリズムっていうか、形式的分析っていったほうがいいのかな。
2009-12-17 01:47:38.@kaichoo フォーマリズムの言葉が荒すぎるのが問題ではなく、ほかのジャンルの語彙に反射的に翻訳できない、少なくともその変換に時間がかかることが問題なのだよ。どんなジャンルにも形式的分析は存在していて、ただそれを表現する語彙が違うだけなのだから。
2009-12-17 01:50:16なるほど!それが濱野力ですね! RT @hazuma: @kaichoo フォーマリズムの言葉が荒すぎるのが問題ではなく、ほかのジャンルの語彙に反射的に翻訳できない、少なくともその変換に時間がかかることが問題なのだよ。どんなジャンルにも形式的分析は存在していて、ただそれを表現する
2009-12-17 01:53:00いまや濱野は歩く連想マシーンだからな。。。 RT @kaichoo: なるほど! 濱野力ですね!ww @kaichoo フォーマリズムの言葉が荒すぎるのが問題ではなく、ほかのジャンルの語彙に反射的に翻訳できない、少なくともその変換に時間がかかることが問題
2009-12-17 01:54:02うーむ。さっそくぼくの思考の限界が明らかになったわけだが、濱野力をつけすぎると「しかし人には心がある」という真理を忘れてしまう、という副作用があると聞く。
2009-12-17 01:55:59ちょwどんな中二病wwRT @hazuma: .@kaichoo 濱野は人の心と引き替えにMAD力を手に入れたのだ。
2009-12-17 02:00:06僕自身としては連想マシーンというかニコ動のタグのようなフラクソノミカル・アーキテクチャたりたいと思っておりますwRT @hazuma: いまや濱野は歩く連想マシーンだからな。。。 RT @kaichoo: なるほど! 濱野力ですね!ww
2009-12-17 01:57:22