「徳川家康は幼い日、駿河で虐められた」は伝説?~「王族の『人質兼留学生』」を巡る世界史、晩年の駿府居住、氏真との関係など
しかも高麗の場合は、王子が人質としてモンゴル皇帝直属の親衛組織(ケシク)で忠勤に励んでたことが理由になり、当時王子だった忠烈王がクビライ・カアンの娘クトゥルクケルミシュを娶(めと)って、モンゴルの最高支配層の一員の「駙馬」(ふば)になってます。人質が高等教育を受けて親戚扱いされた例です
2022-07-16 18:02:29@Kokaji5 古代史クラスタなので、その辺の歴史には相当疎いので、他の詳しい方々のご教示を仰いだ方が良いと思いますが、「人質」だったり「奴隷」だったりと、条件的には重なりながらも少しづつ違うこともあるかもしれないです。先史時代の牧畜習慣に由来する人間観であることは間違いないと思ってます。
2022-07-17 21:03:21ぶっちゃけモンゴル帝国に限らず割とあちこちにあるので……(高官の子弟の代わりに奴隷にすると中東でよく見ますねのやつ 清朝でもモンゴル王公が宗室の嫁さんもらって中央で侍衛やったりしますね(地元で管理やってる本家筋より爵位官位が上に行ったりする(使いやすいねん twitter.com/fushunia/statu…
2022-07-17 15:59:29モンゴル帝国史には詳しくないですが、モンゴル帝国では人質として集めた他国の若い子弟を組織して、忠実な近臣・近侍になるよう馴染ませ、場合によっては高麗のように親戚扱いになる、って話があったような気がしました。服してる限りは親戚扱いで、離反したら人質として機能するので表裏一体では? twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…
2022-07-16 16:54:41プレモンゴル帝国時代の国家だとどうだっけな(史料的記述がないだけかもしらんが 契丹も似たようなことはやってたような気がするがうろ覚えだ……
2022-07-17 16:01:15@Historian_nomad 日本にモンゴル帝国から慣習が伝わったと言った訳では無いのですが、人質が忠実な直属の近臣になって、そこから帝王の娘を娶ったりすることは、その用例がある歴史が好きでない限りは、意外に認識が共有されて無いのでは?と思ってツイートしたしだいです。
2022-07-17 16:04:57@keityusi 突厥と匈奴でそんな話なかったかな~って思いだそうとして出てこなかった(こなみ 北魏は確か宮先生……宮先生じゃなかったかな……がモンゴル語で内廷官の職掌が解釈できる!の論文があったので出さなくても自明やろって(おい
2022-07-17 16:07:08@fushunia ワイも特にそういうアレなくついでに清朝とかマムルークとかあるよねーって話題の幅を広げようと思って引用した次第です(何 そういやインドだとあんまこういう話見ねえな(見落としてるだけかな
2022-07-17 16:08:01@keityusi それこそ会田先生の新書でも北魏隋唐であんまり北方要素ばっかり強調すると見誤ることも多いでって釘刺されたばかりですしねえ(学部~Mくらいの頃のワイをこの新書で五十回くらい叩きたい
2022-07-17 16:09:32ゆるぼ:インドにおける高官子弟を側近官として登用運用する制度の有無 なんかありそうな気がするしそれ前提の記述を見たような気もするけどうろ覚えなので……(ムガル確かあったよね……?
2022-07-17 16:08:45日本の戦国時代における「人質」もこれに近い奴ですで 真田左衛門佐信繁(幸村)のパッパ真田昌幸は国衆である真田家から武田に送られた人質であると同時に武田の軍略を教育されて強力な近侍として武田家臣団を校正するわけでしてハイ twitter.com/Historian_noma…
2022-07-17 16:09:01生類憐れみの令、朝鮮出兵、桶狭間、鎌倉幕府開府など。 学生時代に習ったことが、次々に書き換えられて過去のものとなっていく。 これだから歴史というのは面白い twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…
2022-07-16 18:26:23家康を今川の人質とする評価は、今の研究では支持されなくなっている。松平氏庇護のために駿府で養育し、関口氏純の息女築山殿と娶せて今川一門格にした。将来は岡崎に帰還させる予定だったと推定。家康が今川から離反した結果、駿府にいた妻子が、結果的に人質となったに過ぎない。『三河物語』の
2022-07-15 18:11:06高官子弟、「人質」って言い方するとあれだけど基本的に同じ釜の飯を食わせて仲間意識とコネをガンガンに作って将来の出世確定ヤッター!という意味で高官サイドにも益があるし君主サイドもこれで忠誠心爆上げヤッター!なのでwin-win(後者は必ずしもそうとは限らないけど
2022-07-17 16:11:13太平天国・捻軍・回民反乱・洋夷(こら)と国難がぶちあがった咸豊同治の時代に「淮河越えた賊絶対根絶やすマン」として大暴れしたセンゲリンチンもこのパターンです(道光五年十二月戊寅「命科爾沁郡王僧格林沁在御前行走」 末期養子で爵位継いだ二か月後だから取り込みにかかったなこれ twitter.com/Historian_noma…
2022-07-17 16:16:33@Historian_nomad 女真の論文を読んでたら、幼い頃から苦楽をともにする「家奴」(という表記で良かったでしょうか)とは、特別な間柄になることがあると出てきましたが、古代の草原地帯の神話だと「家族同然の大切な存在の牛を犠牲する」ことから、インドを含めて様々な神話が派生してるとのことでして気になってました
2022-07-17 16:17:54@fushunia あーほらヌルハチが分家の名目で追い出されたときにつけられた連中とか他にもヌルハチ旗揚げで一緒に死にかけてた連中とかいるじゃないですか、あれあれ>女真
2022-07-17 16:20:45清朝の場合実際これやったモンゴル王公が割と要所要所で大活躍するので……(雍正帝の大ポカでジューンガルに荒らされたハルハを分捕り返してしばらくハルハ方面の総責任者になったツェリンとか太平天国と捻軍根絶やすマンのセンゲリンチンとか
2022-07-17 16:22:29人質時代から三河統一にかけての家康の前半生は、こちらをご覧ください。 #どうする家康 twitter.com/mac_fukuda/sta…
2022-07-16 19:16:59「徳川三河守家康: 戦国の覇者が歩んだ試練の前半生」をKindleで配信中。 戦国の覇者となった徳川家康が乱世を戦い抜いた術は、人質時代から三河・遠江統一の過程において獲得したものだった。 #どうする家康 amzn.to/37psbSf
2022-07-15 15:19:04