「徳川家康は幼い日、駿河で虐められた」は伝説?~「王族の『人質兼留学生』」を巡る世界史、晩年の駿府居住、氏真との関係など

”天下のご意見番”大久保彦左衛門の「三河物語」には確かにそんな記述が見られるが、そこに”作為”もあるのでは…?様々な状況証拠から、話題も広がります
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追記

こんな本が出ます

猫の泉 @nekonoizumi

角川選書9月。目次あり。 「家康は今川家の人質ではなかった! 徳川氏研究の第一人者が、最新の研究成果をもとに、江戸時代に苦労人「徳川家康像」がいかにして構築されたのかを明らかにしつつ、青年期の実像を描く。」 ⇒柴裕之 『青年家康 松平元康の実像』 hanmoto.com/bd/isbn/978404…

2022-07-30 22:53:28
リンク 版元ドットコム 青年家康 松平元康の実像 柴 裕之(著/文) - KADOKAWA 家康は今川家の人質ではなかった! 徳川氏研究の第一人者が、最新の研究成果をもとに、江戸時代に苦労人「徳川家康像」がいかにして構築されたのかを明らかにしつつ、青年期の実像を描く。 - 引用:版元ドットコム 1

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K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。

K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

家康を今川の人質とする評価は、今の研究では支持されなくなっている。松平氏庇護のために駿府で養育し、関口氏純の息女築山殿と娶せて今川一門格にした。将来は岡崎に帰還させる予定だったと推定。家康が今川から離反した結果、駿府にいた妻子が、結果的に人質となったに過ぎない。『三河物語』の

2022-07-15 18:11:06
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

作為に翻弄されてきたといえるこれまでの状況を、文書と記録を頼りに検証しなおす時期に来ている。すでに、そうした研究が増えている。

2022-07-15 18:12:45
水野誠志朗『新説!桶狭間の戦い』 @daysmizuno

平山優氏が「今川は西の守りを家康にまかせた」と証言されましたが、どういう資料敵根拠があるのかな。知りたい。#どうする家康

2022-07-15 14:23:41
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

丸島和洋「松平元康の岡崎城帰還」(『戦国史研究』76号、2018年)を御覧下さい。 twitter.com/daysmizuno/sta…

2022-07-15 17:45:55
福田 誠(まっくす) @mac_fukuda

家康が、なぜ晩年を生まれ故郷の岡崎ではなく、「人質」として預けられた駿府で過ごしたのか。そこに、家康が今川家でどう扱われていたかという答えの一端があると思っている。 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2022-07-15 20:57:28
福田 誠(まっくす) @mac_fukuda

人は嫌な思い出しかないところよりも、いい思い出のあるところで過ごしたいものだ。

2022-07-15 20:59:51
ITO Ryutaro @higeito

@mac_fukuda 昔、その話を直接聞いた時に、なるほどなあと腑に落ちたよ。

2022-07-15 21:02:58
福田 誠(まっくす) @mac_fukuda

家康は、今川の「人質」だった時期がもっとも幸せだったのだ。

2022-07-15 21:16:35
ヨンマルパパ1970『貴聰庵 晴耕雨読』 @40BJ42VV8

改めて『三河物語』自体の成立過程の検証、再評価の必要がありますねぇ🤔 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2022-07-15 21:19:57
蒲原二郎(ディロウ・キャンバラ) @JirouKanbara

家康個人の器量がすぐれていたこともあろう。「あいつ、なかなか使えるな」と思われていたからこそ、一門扱いにされたともいえる。織田への対抗と、三河には名門吉良もいたから、洗脳した生え抜き国衆が欲しいところ。『三河物語』には鷹狩りが許されている描写も。 twitter.com/hirayamayuukai…

2022-07-16 07:27:27
ITO Ryutaro @higeito

もう十何年前かな、福田先生と飲んでて…「岡崎の記憶なんて殆どなくて、駿河で人格形成期から元服まで大事に育てられた。岡崎に戻ったら家臣の半分が一向一揆側について、鎮圧までエラい苦労させられた。そんな土地に思い入れなんかあるわけ無い。ヤツの心の故郷は駿河なんだよ」との高説を聴いて… twitter.com/mac_fukuda/sta…

2022-07-16 13:33:58
ITO Ryutaro @higeito

…なるほど、そう言われりゃそうだよなぁ…と腑に落ちた思い出がw

2022-07-16 13:34:49
ITO Ryutaro @higeito

あっ「駿河」って書いちゃったけど、「駿府」ね。

2022-07-16 13:36:12
くろう @crow_o

人質じゃ無いとかあまり意味ないんじゃ無いかな?三河物語が家康擁護で都合の良い解釈するのは明らかだけど、人質としての機能はその時代の関係性なら常にあっただろう。 twitter.com/hirayamayuukai…

2022-07-16 14:16:27
ぷぅ@Qar_Atoeb_ed @Qar_Atoeb_ed

半世紀以上前の山岡荘八でも外様と言う緊張感を内包しつつ、今川義元とはかなり親しい関係だった事が描写されていたような。桶狭間の戦いの直前に、義元と元康が松平勢の編成を膝詰めで打ち合わせする箇所は、それが現れていて印象的です。 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2022-07-16 17:20:22
ぷぅ@Qar_Atoeb_ed @Qar_Atoeb_ed

織田家との戦いで松平家がこれ以上消耗する事を恐れて主力を第一線から外そうとする元康と、松平家の家臣をきちんと把握している義元との駆け引き。結局は元康を一人前の指揮官として認めたからなのか、義元が元康の考えを呑むわけですが。昔読んだので間違っているかも知れませんが。

2022-07-16 17:20:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

モンゴル帝国史には詳しくないですが、モンゴル帝国では人質として集めた他国の若い子弟を組織して、忠実な近臣・近侍になるよう馴染ませ、場合によっては高麗のように親戚扱いになる、って話があったような気がしました。服してる限りは親戚扱いで、離反したら人質として機能するので表裏一体では? twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2022-07-16 16:54:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

参考にした本は、世界史リブレットシリーズの『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』(2011年出版)です。そのP41にモンゴルが服属国に要求する事項「禿魯花」(トルガク)が出てきて、支配層子弟の人質だとあります。トルガクはモンゴル皇帝直属の親衛隊に組織されて、皇帝の警護や家政に従事したとありました

2022-07-16 17:27:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

歴代の高麗王は、王子か王族を人質のトルガクとしてモンゴル帝国に差し出してたのですが、彼ら人質は親衛隊組織(ケシク)に編成され、ケシクは皇帝の恩寵を受ける特権的地位であり、立身出世の憧れだとされ、権力中枢における教育の場でもあり、「来降者をすみやかに体制内の要員に転換する装置」でした

2022-07-16 17:41:05
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