リン・ハント『人権を創造する』のとある感想

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リン・ハント『人権を創造する』、めちゃくちゃ面白かった。「人権という概念はなぜ生まれたのか?」という問いに答えるためには「18世紀半ばになぜ身体刑や拷問が急減したのか?」という疑問に向き合わなければならず、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』のアナザー・ストーリーみたいな感じになる。

2022-07-19 17:30:54
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ハントは倫理学者ではなく歴史学者なので、「人権」の自明性を宇宙の法則のようには捉えていない。歴史上のある時期を境に、私たち人類はそれを「自明のものだ」と感じるようになった。1776年の独立宣言でジェファソンは「我々は以下のことを〝自明の真理〟であると信じる」と書くに至った。

2022-07-19 17:33:05
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ハントは、人々が身体を(社会や共同体ではなく)個人に属するものだと考えるようになり、各個人を自律・自立した存在だと捉えるようになり、それまで共感を向けなかった違う社会階層の人々に対しても共感を向けるようになったからだ……と、議論を進めていく。

2022-07-19 17:35:32
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では、なぜヒトには「共感」の能力があるのか?という生物学的な疑問には、ハントは答えていない。読者である俺の脳内では、つい最近読んだブライアン・ヘア『ヒトは〈家畜化〉して進化した』が共鳴していた。機械論的に言えば、それはオキシトシンの作用だ……ということになる。

2022-07-19 17:37:25
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一般には「愛情のホルモン」という通称で知られるオキシトシンを、ヘアは「お母さん熊のホルモン」と再定義している。オキシトシンは家族や仲間への愛着を強める作用を持つと同時に、それを傷つける〝敵〟に対してとことん攻撃的にさせる作用もある……とヘアは論じている。

2022-07-19 17:38:50
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ハントやフーコーが指摘する通り、18世紀後半の数十年間という歴史的には「一瞬」と呼んでいい短期間に身体刑や拷問は(少なくとも国家の制度からは)消え去った。人類は「仲間/敵」の線を引き直すことに成功し、オキシトシンのもたらす「共感」の能力を良い方向で使えるようになったのかもしれない。

2022-07-19 17:42:40
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同時にハントは「普遍的な人権」の概念が、新たな差別の理論を生み出したことも指摘している。普遍的な人権と、差別的な制度・文化とを共存させるためには、「あいつらは〝人間〟ではない」少なくとも「俺たちとは〝別の生き物〟だ」という論理が必要になってしまうわけだ。

2022-07-19 17:44:35
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普遍的な人権が新たな差別の理論を生み出したというハントの指摘は、俺の見方(=オキシトシンによる「仲間/敵」の線引きを変えたのだ)を裏付けているように感じる。ヒトは「自分たち」と「あいつら」の間に線を引きたくて仕方ない動物である。

2022-07-19 17:49:00
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進化心理学の分野でこの謎に挑んでいる書籍といえばスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』なのだけど、パラパラとページをめくってみたら(当然のことながら)リン・ハントへの言及もあった。たとえば上巻p314

2022-07-19 18:00:18
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書簡体小説が人々の共感を引き出したというハントの主張を、ピンカーは裏付けているように思える。『暴力の人類史』の中で、ピンカーは人々の共感能力が上がる要因として、「文明化のプロセス」や「経済的な豊かさ」を検討している。

2022-07-19 18:04:13
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文明が発展して経済や社会が複雑になるほど、他人と「うまくやっていく」能力が必要になるはずだ。ところが、これは時期が一致しない。文明化のプロセスは古代から乱高下しつつ着実に進んできたはずだが、人道主義の革命は18世紀後半という「一瞬」で起きている。なぜこの時期だったのか説明できない。

2022-07-19 18:06:10
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経済的な豊かさも同様で、ピンカーはグレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』の内容を引き合いに出している。人類の経済は19世紀以降、指数関数的に豊かになった。もしも経済的豊かさと共感能力に相関・因果があるのなら、人道主義革命は産業革命よりも後に起きなければおかしい。実際は逆である。

2022-07-19 18:08:09
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ピンカーは(例としてイギリスにおける)書籍の出版点数が増大し、識字率(とくに男性の識字率)が50%を超えた時期が、ちょうど18世紀半ばだったことを指摘している。人道主義革命と時期が一致しているのだ。「小説を読んで他人の気持ちを理解した」というハントの主張を裏付けるようなデータである。

2022-07-19 18:10:53
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リン・ハント『人権を創造する』では、書簡体小説に心を掻き乱された当時の人々の感想もたくさん紹介されている。リチャードソンの『パメラ(1740年)』『クラリッサ(1747-48年)』、ルソーの『新エロイーズ(1761年)』を読んだ人たちが、今でいう「限界化したオタク」みたいな感想文を残していて楽しい。

2022-07-19 18:14:38
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QT「(※註:18世紀の哲学者)ディドロは実際、小説の登場人物と一体化してしまい、小説の最後で取り残されたと感じる。『私は、長い間密接に関わり合い一緒に生活してきて、いまや別れようとしている人々が感じるのと同じ感覚を抱いた。小説の最後で、突然私は1人取り残されたように思えた』」p50

2022-07-19 18:21:17
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このディドロの感覚、オタク的には「分かるぅーッ!」って感じませんか。

2022-07-19 18:21:44
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物語文学は人類の歴史と同じくらい古い。けれど、大半は詩歌の形で書かれてきた。一方、リチャードソンたちの書簡体小説は一種のモキュメンタリーとして書かれていた。NetflixもKindleもない時代、小説という新しい物語形式は読者の心を強く掻き乱したのだろう。

2022-07-19 18:26:01
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身体刑や拷問が減った理由を「オキシトシンによる〝仲間/敵〟の線引きの変更」と解釈すると、日本の場合は国民国家の成立が大きな影響を与えていそうに思える。「おらが村」「おらが町」以上の郷土愛を持たなかった日本人が、明治維新後に「私たちは〝日本国民〟である」という同族意識を手に入れた。

2022-07-19 23:48:54
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欧米では、身体刑や拷問の急減が見られるのは1760年代以降。国民国家の成立は(一般的には)フランス革命以降だとされている。国王を処刑して「フランス国家は国民により統治される」と決めた彼らは、誰が「フランス人」なのか定義する必要に迫られた。こうしてナショナリズムが生まれた。

2022-07-19 23:52:13
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では、なぜ私たちは見ず知らずの他人を「同じフランス人だ」「同じ日本人だ」と認識できるのだろう?旧石器時代の私たちは、十数人~数百人規模の血縁社会で暮していたはずだ。日本列島に出自を持つ一億人以上が「同じ仲間」という認識を共有できるのは、一体なぜだろう?

2022-07-19 23:54:56
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進化心理学者ロビン・ダンバーは『友達の数は何人?』というエッセイ集の中で、「言語」が血縁度を測る指標なのではないか?と述べている。 生物学的な「言語」の謎は、情報伝達手段として変化しやすすぎるという点だ。親子ですら言葉遣いが変わり、数百年で意思疎通が困難になるほど変化してしまう。

2022-07-19 23:57:31
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百年前の記録音声を聞くと、発音や言葉遣いがかなり違うことに驚かされる。百年といえば、人類ならたった四世代だ。たとえばミツバチの「八の字ダンス」なら、四世代でこれほどの変化はない(はずだ)。情報伝達手段である以上、変化しにくいほうが都合がいいはずなのである。ところが、

2022-07-19 23:59:49
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たとえば平城京時代の日本語(やまとことば)を再現した動画がこれ。現代日本人とはほぼ確実に意思疎通できない。たった1300年前、300世代ちょっとで、ここまで変わってしまう。 youtube.com/watch?v=Nzwmtk…

2022-07-20 00:03:18
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ダンバーは、言語の「変わりやすさ」に進化適応上の利点があったのではないかと述べている。つまり、変化しやすいがゆえに「多少の訛りがあっても会話が通じる」ことは、「比較的近い過去に共通祖先がいる」つまり「血縁的に近い親戚である可能性が高い」というわけだ。つまり、

2022-07-20 00:05:11