戊辰戦争北関東戦役の輜重と人足動員
飯島章「戊辰戦争期旧幕府軍通行の一考察」 doi.org/10.20712/kotsu… 「旧幕府軍は移動に際して(中略)輜重隊のようなものを保有していなかった」「沿道の宿村の人馬を徴発し運搬させるしか手立てがなかった」
2022-09-09 00:55:06「食事や宿泊には沿道の農民宅や寺院を用い、先遣隊が宿札をかけたり、先触れを出したりしていたようである。これらは軍事輸送とは言いながら、平時における参勤交代などの武家通行の方式を、そのままま衍用したものと言えるのである」
2022-09-09 01:08:45@enumura 戊辰戦争の後方はどっちの陣営も似たような現地徴発なんですが、野営用天幕が無いから寺や民家に宿営するんですよね。敵地だろうと自領だろうと集落をやたらに焼き討ちするのも、それが大きな理由のひとつなんでしょうね。
2022-09-09 01:09:58@tsukasafumio 確かに焼き討ちは方々で目にしますね。戦技はなんとか習得しても、行軍や輜重の技術までは手が回らなかった感じでしょうか?
2022-09-09 01:18:19@enumura そこらへんはほとんど大名行列のノウハウの転用だったんでしょうね。 北陸道の新政府軍の藩兵など、前線に出た記録があまりない割にかなりの兵力動員を報告している事例があって、そういうのは領内の宿駅で徴発された人夫を含んでいるんじゃないかと思うのですが。
2022-09-09 01:24:10半ば無政府状態で、旧幕軍は武力を背景にした強制徴用、実質的な踏み倒しだったとはいえ、両陣営とも宿と賦役のシステムという同じインフラに依存しているのが面白い。まさに内戦。
2022-09-09 13:06:43小林紀子「戊辰戦争時の軍夫役」doi.org/10.51005/kinse… 下野での事例研究。宿から宿への運送業務のための継立人足と、野戦部隊の輜重を担当する軍夫は別枠。当然か。余裕があれば雇を入れるけど、戊辰役では両軍からの不意の徴発で現夫を差し出す事例が大半と。当然ながら困窮百姓の割合が高め。
2022-09-09 13:07:434月17-18日にかけて芳賀郡若旅村(現・真岡市中村)で旧幕軍別動隊に徴発された軍夫が、20日になっても戻らず(19日に第1次宇都宮戦)、鎮守千度参詣をする騒ぎになったという事例が(夜に無事帰村)。宇都宮までの往復2日あまりでも、想定外の長期という認識なのね。輜重は行軍ごとにリセットか。
2022-09-09 13:09:03青木俊郎「戊辰戦争における小藩の行動論理 -出羽国亀田藩を中心に-」 hdl.handle.net/2065/27677 「小藩」を盾に立ち回るたサバイバル。「自藩の態度を二転三転させる中で、新政府、同盟のどちらも勤王、という論理に加えて、「朝敵」とは「天下の廻り持」とする論理にまでに到達していた」言うねぇw
2022-09-09 13:14:11小松賢司「中学校社会科における「歴史的な見方・考え方」を育む授業 : 『二本松の戊辰戦争』を用いた出前授業の実践報告」 hdl.handle.net/10270/5471 福島大学の教員による中学2年生への出前授業。表題冊子を事前配布し「二本松藩はどうしたら戊辰戦争に勝てか?」という事前課題を課しての討論。
2022-09-09 13:20:29「親近感や感情移入に基づく理解を相対化するために,筆者は,生徒が一度歴史の当事者になりきって様々な選択肢を考え[if],その上で,実際にはそれらの選択肢が採られなかったのは何故なのか[why]を考えさせる,という方法が有効だと考えている」とくに後者が重要。最近このネタで話した。
2022-09-09 13:20:54「当事者になりきるという,親近感や感情移入に基づく理解を一度深めた上で,実際の歴史上の人物が自分とは異なる選択をしたことの意味を考えることで,歴史上の人物が,自分と同じ人間でありながらも,考え方が異なっていることに気づかせることができる」郷土史からの異文化理解。
2022-09-09 13:21:07二本松市:書籍『二本松の戊辰戦争 ~時代の激流にほんろうされた二本松藩と人々~』を販売します city.nihonmatsu.lg.jp/page/page00746…
2022-09-09 13:21:176-10月にかけて、大田原藩から白河方面に十日交替で軍夫を出している例が出てるな(塩谷郡亀梨村、現・高根沢町北高根沢村)。安定した後方になると、雇用期間も伸びるのね。
2022-09-09 14:05:37@enumura 亀田藩の動きは、国立国会図書館デジタルコレクションにある「秋田叢書4」にあります。兵力が100に満たない藩はゲームからは割愛しましたが、この辺の動きは面白いですね。
2022-09-09 14:17:43小林紀子「戊辰戦争時の軍夫負担と在地支配 : 下野国の直轄地を事例として」 doi.org/10.24471/shiga… 先の派生研究。新政府の軍夫徴発に反発した世直し一揆が鎮圧された後も、一揆に参加した村で更なる徴発が続いたのが酷い(芳賀郡の例)。未参加村の倍くらいの人数を出してるので、意図的な懲罰か。
2022-09-09 15:17:33@enumura 真岡代官所の代官の殺されっぷり、略式裁判も無くて、乱入してきた鍋島兵に下僚共々討ち取られ陣屋を焼き払われるというテロ行為そのもので、異様な事件なんですよね。
2022-09-09 17:12:12@enumura 面従腹背で会津に内通して兵糧を横流ししたというのが嫌疑ですが、取調べも無くいきなり37564されちゃったので真相は不明です。この後の下野は佐賀藩の預かり地となったので、軍政をスムーズに進めるため旧幕吏僚を粛清したのでしょうが、それにしても容赦が無いという。
2022-09-09 18:28:08@tsukasafumio 会津藩の大田原襲撃を手引きしたことになってるんですね。思ったより話が大きかった。 archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/…
2022-09-09 19:11:28