- otintinrando
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先生はこのお話に反応
内田先生「60年代70年代、凄くリッチだった。」
曰く、実家ではなく日本が
60-70年代の学生運動の高揚の理由を「実家が太い」と解した人がいたみたいですけど、これはいかにも「現代風」な解釈だなと感服しました。若い人には想像がつかないと思いますが、あの時代の日本はすごくリッチだったんです。学生運動の財政的基盤は「学生が金を持っていた」ことです。
2022-09-12 23:35:33追記
11年前は逆の事を言っていた
2011年、東大の学生団体が内田樹氏に当時の大学生活についてインタビューした記事を見つけた。 「とにかくみんな貧乏だったから。お金が無い中でどうやって工夫して楽しく暮らすかと」 「共同生活というのは本当に「お金がない」に尽きる。前提条件として」 kenbunden.net/general/archiv… twitter.com/levinassien/st… pic.twitter.com/gcya21ncQA
2022-09-13 12:28:30自分の階層しか見ていない視野の狭さと、言うことがコロコロ変わる一貫性の無さ。 そういうのが脱成長論に結び付いてるんじゃないかと思うんですよね。
2022-09-13 12:33:2814.「もっと貧乏すればいいのに」
S ちょっと別の話に移らせてもらいますが…ブログで内田先生の大学時代に関しての記事を読んだのですが、個人的にはああいうものに憧れみたいなものを抱いていて。ああいう大学時代の過ごし方というのは今でも必要だと思われますか?
内田 そうだなあ…中進国の大学生だから(笑)、とにかくみんな貧乏だったから。お金が無い中でどうやって工夫して楽しく暮らすかと。「じゃあキャンプでもするか」という感じですよね。他にあまり楽しみがなかったんだよ。今みたいにみんなお金を持っていて楽しいことがいっぱいあればそれは改めて…でも共同生活というのは本当に「お金がない」に尽きる。前提条件として。とにかくみんなで限られた資源を共有するしかない。どうやって愉快に共有するかというように考える。もしいま僕がもっと若くて、豊かな国に生まれていたら、「別に一人でいいよ、一人が好きなんだよ、来んな来んな」と言ったかもしれないしね。それはわかりませんよ。社会の前提条件が違うから。でも楽しかったけどね、キャンプ生活は。結構もちろんつらいわけですよ、その、5人で共同生活するというのは。「俺のラーメン誰が食ったんだよ!」が年がら年中だから。
S お金があるとそういうのはできませんかね?
内田 そうだね。共同生活するエクスキューズが無いからね。
L 今の若者もみんなお金無いと思いますが、昔は次元が違うくらいお金が無かったんですか?
内田 そうだねえ、文化的にあまり子供のころから「お金が無い」ことに訓練されていないんじゃないかな。「金が無いなりに楽しもう」ではなくて、どうやって金を稼ぐかという方向に頭が働いている。僕らの頃は「どこに行っても金が無い」という感じだから。今だったら学生で起業したりするけど、僕らの頃はやってもやっても金は無いし、所詮知れてるわけで、そのわずかな金をみんなでどうやってやりくりして面白おかしく暮らそうかという風に考えざるを得なかった。
X 今の話に続けてなんですけど、今の大学生を教える側の立場からご覧になって、昔と変わって、こういうことすればいいのになあと思うことは有りますか?
内田 もっと貧乏すればいいのになあと。(笑) 資源の乏しい環境に置かれた時に人間は持っている本来の資質が開花するというか。たとえばトマトでもさ、お水あげないでカラカラなとこに置いとくとワーッと実がなるのと同じで。みんな生来のすごく豊かな資源を持っているけど、環境が緩いと発現しない。環境が厳しくなると生き延びるために必要な様々な力が出てくるわけで。だから基本的に環境の関数なので人間主体の側が努力してどうこうというのはなかなかできない。頑張って欲しいなあとは思うけどさ。でも進んで貧乏になるっていうのは…(笑) だけど僕は「貧乏は怖くない、恐れるな」と言っているけどね。貧乏になったらなったなりにいいことがあるよというか。必ずそれを埋め合わせるための能力が出てくるからね。こっちの方がおもしろい。おもしろいと言ったら変だけども。結局お金とか社会的地位というのは外付けでしょう。無くなっちゃう。自分の中に発現してきた人間的な資源、能力…危機管理センサーとか何でも食えるとかどこでも寝られるとかすぐ友達ができるとか、そういう能力は無くならないからね。
ツッコミの山
70年代には学生運動は既に かなり下火しています。 60~70を混同するのは宜しくないですね。あと日本が リッチだったのではなく 格差社会がもっとも激しかった時代です。大学進学率も 3割も充たず、いけるのは金持ちくらいでした。その一方で地方から出てきた人たちは 苦しんだ訳です twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 04:51:5460-70年代と混ぜてるのがペテンのキモで、学生運動が活発だった60年代は好景気ではあるけど地方の農家からあぶれた三男坊とかが上京してた頃で格差はまだ大きい。それらが潤って中産階級が増えたのが70年代から。その頃はもう学生運動は下火。 twitter.com/eizoten1/statu…
2022-09-13 01:05:40やっぱりこの人らは労働者階級とは違うんだよな twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 06:18:41樺美智子一家は大学教授がいるという大ブルジョア。北小路敏は貴族のせがれ。黒田寛一は大病院のせがれだった。中核派の本多書記長は労働者と百姓のせがれだったが、例外的だというほかはない。「学生が金を持っていた」どころか、親がゼニなぞを持っていただけですよ。 twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 02:35:41これ、60-70年代であれば、大学に行きたくても行けない人間が少なからずいたはずで、優秀だとはいえゼニもない若者の出世コースといえば自衛隊か警察なぞの公務員だった、ということをまるで無視している暴論としか言いようがありません。 twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 00:00:3960-70年代なら、夜学苦学生なんてもんは腐るほどいたはずであって、今であればそれを記憶している当事者もまだ生き残っている状態にある。その程度の記憶すら忘却しているのなら、当時を語る資格なんかないだろう。
2022-09-13 00:09:25筋金入りの革命戦士小西誠さんも書いておられたけど、貧乏人のせがれ小西少年にとっての出世道は自衛隊だったわけだ。そんな隊服を着たプロレタリア小西兵士が中核派のことを知った際、彼らに希望を託し、反戦自衛官=革命的兵士となった。なにが「当時の学生はリッチだった」だ。ふざけんな。
2022-09-13 00:29:50内田さん本領発揮ですね! この、ものすごく狭い視野で捉えた世界を全体像と思い込んで頑張って洞察した結果が、大きく的を外した数々の世評なんですよね。 twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 08:27:561960年の大学進学率が1割未満なんでだいぶ実家が太かったんだろうと。 特に地方だとほぼほぼ大卒なんておらんかったのではでは twitter.com/levinassien/st… pic.twitter.com/hQ1dDJwMmz
2022-09-13 01:47:5670年安保組の上野千鶴子御大が入学した1967年、女子の4大進学率は4.9%、全体でも12.9%。内田氏が受験した69年でも15.4%。 御大より数歳年長の叔母は、学年トップでも中卒で集団就職の時代。 団塊の世代が中学校を卒業した1963〜65年、中卒者の求人倍率は男女ともに3倍超。 上級国民の記憶改変。 twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 00:40:28@mogura2001 オイルショック以前の1960年代は今より地域間の所得格差は大きいですし、貧富の格差が大きい時代に都市部の一部の人達が豊かだった事を日本全体の話と錯覚してる可能性がありますね…。風と共に去りぬ的な… pic.twitter.com/w6lQxSKQwH
2022-09-13 06:28:00実家の太い、勝ち組的な考えですね。 …と当時既に中卒の社会人として働いていた両親を持つ私は思います。 twitter.com/levinassien/st…
2022-09-13 05:08:28