【古代史】垂仁天皇皇子『ホムチワケ王』の謎についての雑談(追加)

また聞きでストーリーを作って1人で話す 自分の卑屈で批判を避けているような態度も苦手で
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センシティブな内容注意

リンク Wikipedia 誉津別命 誉津別命(ほむつわけのみこと、生没年不詳)は、『記紀』などに登場する古墳時代の皇族(王族)。『日本書紀』では誉津別命、『古事記』では本牟智和気命もしくは品牟津和気命(ほむちわけのみこと)、『尾張国風土記』逸文では品津別皇子と表記される。垂仁天皇の第一皇子で、母は皇后の狭穂毘売命(さほびめのみこと、日子坐王の女)。『上宮記』の逸文では継体天皇の先祖に、通常応神天皇(誉田別命)とされる人物として凡牟都和希王(ほむつわけのみこ)の名が見える。 名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により本牟智和気 1 user 10
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

豊臣秀吉と神功皇后について調べていたら医者が死人の話で喧嘩していたのだ ナショナリズムは恐ろしく、歴史ロマンの壁は高いのだ(記紀の10代目天皇関係の系譜の研究を調べても科研費を貰っている黒田達也先生という人物くらいしか出てこなくて)

2022-10-17 10:19:59
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

こういうナショナリズムの横腹を続くような分野の学術研究ってセンシティブ中のセンシティブな感じがあるのだ、検証もできないので新しい人たちが生まれにくいのだ?

2022-10-17 10:21:55
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

一生外では言えないことなので 10代目の崇神天皇→11代目の垂仁天皇→「ホムチワケ尊(アジスキタカヒコネという神様と同一視)」、「景行天皇とヤマトタケル伝説」→「仲哀天皇・神功皇后・応神天皇(ホムタワケ)の伝説(香椎は比較的新しい地名だとか)」で、継体天皇がホムツワケ尊の子孫で、

2022-10-17 11:03:40
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

Wikipediaで見ると継体天皇は崇神天皇-垂仁天皇の女系の子孫でもあって、Twitterで見ると伝・崇神天皇陵(行燈山古墳)とかは古い古墳なのに須恵器があって、とか そうすると建国(神武ー欠史八代-崇神)以降のお話もかなり不思議なところや神話が多いなと思うのだ

2022-10-17 11:06:11
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

個人的には崇神天皇-垂仁天皇-ホムチワケ・誉田天皇(神話)ー継体天皇(豪族を取りまとめる)で、継体天皇は陰謀論的な成り代わり大王じゃなくてと崇神天皇系の復興者だというニュー陰謀論(妄想) でも多分一族の方々やその取り巻きが嫌がることなのでそんなに主張しないのだ、専門家でもないし

2022-10-17 11:08:48
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

香椎宮が新しい地名というソースが読書メモにないので後で見るのだ

2022-10-17 11:11:35
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

雑談アライさんアカウントで朝から思いつきでセンシティブな話をしているけれどもポケモン世界の妄想とかの方が好きではあるのだ(検公式のあれこれの情報でみんなが楽しんでいるのが好き)

2022-10-17 11:13:49
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

妄想が正しいという低い可能性だけれども、もしも古墳の研究とか考古学が色々進んだらホムチワケ尊(垂仁天皇の皇子)の古墳とか出てきて、ホムチワケ尊が後から天皇認定されることもあるんだろうか?なのだ(水戸学で大友皇子が、廃帝2人が明治に諡号された) 記紀自体は「誉田」の解釈変えるだけ?

2022-10-17 11:40:48
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

変な事言うんじゃない、人が見ているんだぞ!なのだ

2022-10-17 11:41:07

元ネタなど(自分も詳しく調べる予定)

巫俊(ふしゅん) @fushunia

事実上の初代天皇では?と言われてる崇神天皇ですが、古墳時代前期の古墳の編年の中では行燈山古墳(崇神天皇陵)は、特別な画期にはなって無くて、むしろ5世紀半ばの古墳時代中期の須恵器が出土してる、というのが最大の特徴です。

2022-10-13 13:02:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この頃に、渋谷向山古墳(景行天皇陵)からも須恵器が使われたことが分かってて、いずれも前期の大王墓で、中期になってから新たに祭祀が行われ、何かの意味付けがされてたことが示唆されます。

2022-10-13 13:06:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

葛城や出雲・吉備・紀伊などは、5世紀以前に連合を組んでた時期があって、共通の神であるアジスキタカヒコネ(=ホムチワケ)を信仰してたことが知られてます。講談社現代新書『倭国』や、『出雲神話論』にそのことに関係する話が触れられてました。

2022-07-01 03:20:31

記紀の五世紀以前部分の史料的性格(二)
奥田尚 東洋文化学科年報;The annals of the Department of Asian studies 5 66-76, 1990-11-01
(タイトルのミスを訂正)

あとがき

ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

矢嶋泉『古事記の歴史意識』の「イリヒコの歴史とタラシヒコの歴史」を少し読んだけれども、ホムチワケ(原応神)を皇統譜に入れていて(図17)、(継体天皇の祖先としての話はあくまで別物扱い)

2022-10-17 17:55:40
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

吉市晃『倭国 古代国家への道』ではホムチワケ王は大和国葛下郡の品治(ほむち)郷の宮で葛城に宮がある王と推定できると、

2022-10-17 18:31:01
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

上野祥史『東アジアと倭の目で見た古墳時代』の中の岸本直文『倭王権と倭国史をめぐる論点』で箸塚古墳や行燈山古墳(崇神天皇陵)のところから佐紀地域の古墳へ移る(垂仁天皇などの陵がある、ホムチワケ王の陵もあるのだ?) 同書には権力の交代だとか色々書いてあるのだ

2022-10-17 18:35:45
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

宮内庁のお許しが出たり纒向遺跡(卑弥呼の墓とされる箸塚古墳が有名、纒向は崇神・垂仁・景行天皇の宮、間の成務天皇は別の位置)の発掘が進んだり、色々自由になったら邪馬台国と初期ヤマト王権の繋がりと権力構造が明らかになるんじゃないかと思うのだ

2022-10-17 18:39:02
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

上の方の「イリヒコ」「タラシヒコ」の系譜の話でもざっくり言うと大物主タイプの「イリ」と天照大御神タイプの「タラシ」の神話の類似が出てきて子孫はどちらもホムチワケ(誉田別)王 でも後者の応神天皇陵の誉田山古墳はスケールが大きくて謎

2022-10-17 18:44:13
ラブおじイさん(夢想家) @Z_ganbarunoda

つまり2人のホムチワケ王とか自分が日記で書く以上に深い話だったということなのだ まあ妄想にしても学問的には完全にトンデモではないということで

2022-10-17 18:44:48

さらに追加 「ホムタマワカ」という人物