戦国末期南奥州の強弓集団・竹貫衆と精兵・水野勘解由左衛門光定の事
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中にも窪田十郎といふ者は、茂庭左月(鬼庭左月斎良直)を追懸けて組みたるが、安々と取つて押へて首を掻く。參河守も、能き敵討つてけり」
2023-01-04 23:42:07向井吉重 [著] ほか『会津四家合考』1,国史研究会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション
「會津四家合考 巻之二」高倉合戰の事 (コマ番号44)
『磐城史料』巻之三(野史一班十一條)・岩城ノ隊将竹貫三河守ノ殊功 「岩城ノ隊将、竹貫三河守重光、弓隊ニ命ジテ曰ク、敵ノ牌手(タテモチ)ハ雑兵ノミ、目ヲ注クヲ須ヒス、惟繰矢拳ニ、翔禽(カケトリ)ヲ射ル如クシ、引満シテ一時ニ俱発セヨト、 pic.twitter.com/3M8GK4se8A
2023-01-04 23:49:24握リニ余ル弣ノ大勁弓【俗ニ魚餻(カマボコ)弓ト称ス、形ヲ以テ名ツクルモノ】ニ猫潜リナドイフ、大羊頭(オホカリマタ)ノ矢幹(ヤカラ)十三四把バカリナルヲ、速注連発(ヤツギハヤ)スル、射手六百余人、弦口斉ク発ス。重光敵陣ノ披靡ニ乗ジ、衆ヲ鼓シ刀ヲ揮ツテ進ム。
2023-01-04 23:52:46大須賀筠軒 (次郎) 著 ほか『磐城史料』巻上,小山祐五郎,明45.3. 国立国会図書館デジタルコレクション
「磐城史料 巻之三」野史一班十一條 岩城隊將竹貫三河守の殊功 (コマ番号38)
『奥陽仙道表鑑』巻之七・高倉軍之事 「…明れば十七日高倉の城へ向つて合戰す。岩城の加勢 竹貫三河守は、其の名を得たる強弓の精兵をすぐりて、六百餘人肩先揃へて六百の矢を一度に放つて、將棊を倒すが如くばらばらと射伏せられて面を向ける者ぞなき。高倉の勢散々に射なやまされてためらふ所へ、 pic.twitter.com/LEH0rWYTHl
2023-01-04 23:59:11三河守拔つれて切つてかかり、無二無三に追ひ崩す。中にも久保田十郎(窪田十郎)と云ふ大剛の兵、卯の花威の鎧着て黑旗に大半月の指物、一陣に進み、伊達勢の内、茂佐内(鬼庭左月斎)と引組みて、終にくみ伏せ首搔き切りて差上る。續いて竹貫三河守も自身太刀討して高名す」
2023-01-05 00:01:52『岩磐史料叢書』上巻,歴史図書社,1971. 国立国会図書館デジタルコレクション
「奥陽仙道表鑑」巻之七・高倉軍之事 (コマ番号183)
『新編東國記』巻第四・高倉合戦事 「…岩城よりの援兵の内に竹貫参河守と云ふ者、精兵の手垂六百餘人を相具し、一陣にすゝんで下知しけるは、敵陣の先きに進むは足輕なれば、目な懸けそ、高く差揚げて繰箭に射よと云ひけるに、元來田舎者なれば、弓矢の用意こそ綺羅綺羅しくは見えねども、 pic.twitter.com/GJ8X6dVO05
2023-01-05 00:07:05握太なる鎌矛弓のつく(釻)打ちたるに、猫潜と云ふ大雁股を打ちつがひ、一度にぱつと放ちければ、群立つ鳥の羽音の如く、虚空に暫し鳴渡つて敵陣に落ち掛りけるに、冑の鉢 籠手の機會中る所をかけず、ふつとぞ射貫きける、敵是に少しひるんで見えければ、竹貫得たりやかしこしと、
2023-01-05 00:11:22一度に抜連れ切つてかゝる、其中に窪田十郎は、茂庭五月(鬼庭左月斎)と引組み、取つて押へて首をとる、参河守は長刀にて、能き武者一人切つて落す、上遠野因幡(後彌生ト號ス)は敵二人を討取りける」
2023-01-05 00:13:14早稲田大学編輯部 編『通俗日本全史』第17巻,早稲田大学出版部,明45-大2. 国立国会図書館デジタルコレクション
「新編東国記」巻第四・高倉合戦事 (コマ番号135)
『積達古舘辨』巻之五・高倉舘 「…明れば十七日高倉城へ向って合戦す、岩城の加勢竹貫三河守は其名を得たる強弓の達人なる、己か程これなけれども普通様の強弓精兵を勝りて六百人、肩先を揃へ六百の矢を一度に放つに、将碁倒しをする如くばらばらと射伏せられて、面を合する者もなき、
2023-01-05 00:18:48高倉勢散々に射立られて、ためらう所へ三河守抜連れて切り懸り無二無三に追崩す。中にも久保田(窪田)十郎といふ大剛の兵、巳の刻に輝く卯の花おどしの鎧きて黒のほりに、金の大半月のさし物して、一陣に進み伊達勢の内 茂庭左月(鬼庭左月斎)と引組て、終に首をかき切さし上る、
2023-01-05 00:20:39郡山市 編集『郡山市史』第8巻 (資料 上),国書刊行会,1981.12. 国立国会図書館デジタルコレクション
「積達古舘辨 巻之五」高倉舘 (コマ番号170)
同じく『積達古舘辨』巻之五・高倉舘 「一説に云(中略)…岩城よりの援兵の内に竹貫三河守と云者、精兵の手たれ六百余人を相具し、一陣に進んで下知しけるは、敵陣の先に進むは足軽なれば目なかけぞ、高く差揚て繰矢に対よと云けるに、元来田舎者なれば弓矢の用意こそ綺羅々々敷くは見へねとも、
2023-01-05 00:24:54握太なる鎌倉弓のつく(釻)打たるに、猫潜と云大かり股を打ちつかひ一度にはつと放つ、群立鳥の羽音の如くに虚空に暫は鳴渡りて、敵陣に落かかりて甲の鉢籠手の機会中る所をかけず、ふつとそ射貫ける、敵是に少しひるんで見へければ、竹貫得たりかしこしと一度に抜連切てかかる。
2023-01-05 00:26:30其中に窪田十郎は茂庭左月(鬼庭左月斎)と組引て押へて首を取、三河守は長刀にて能武者一人切って落す、上遠野因幡(後弥生と号す)は敵二人を射取る」
2023-01-05 00:28:15郡山市 編集『郡山市史』第8巻 (資料 上),国書刊行会,1981.12. 国立国会図書館デジタルコレクション
「積達古舘辨 巻之五」高倉舘 (コマ番号171)
※窪田十郎は鬼庭左月斎良直を討ち取った者として記されているが、実在したのか明確な史料は残されていない。
個人的に窪田十郎に関しては「鬼庭左月を討ち取る程の兵」という象徴として、作り上げられた存在なのではないかと最近は疑っている(竹貫氏や岩城氏に窪田十郎の痕跡となる一次史料が見当たらない為)。
2023-01-13 00:39:22竹貫衆が使用した巨大な狩股「猫潜り(ねこくゞり)」
水野勘解由と言えば古殿町に現存する弓と鏃。『磐城志』には「(竹貫)三河守の臣、水野勘解由左衛門は、殊に勝れたる強弓の射手なり。今大久田村に、水野精左衛門家に、彼かまほこ弓にや、外竹ばかり内丸木に削立たる一寸余の分厚き弓に、箆は手の大指よりも大きに、差亘し六寸に余る大狩俣實に、 pic.twitter.com/Pss7051JzM
2021-01-05 23:18:25