『天穂のサクナヒメ』英語ローカライズは原語(日本語)における社会的属性やキャラ特徴をよく捉えているという話
〔つづき〕単に splendid と言うとき、実は「美しい・壮麗な・印象的な」(英語でいう beautiful, impressive などと互換)という意味になります。これだけでも英国風という装いがあります。ところが例文のように + observation と観察に紐づくと、こちらの現代寄りの意義では通じません。
2022-12-15 15:22:38そしてたとえば OALD (Oxford Advanced Leaner's Dictionary, オックスフォード上級学習英英辞典) でsplendid を引くと、 > (全体に) (especially British English) / とりわけ英英語 > 2. (old-fashioned) excellent; very good / 〔古風〕素晴らしい・とてもよい と説明されます。
2022-12-15 15:24:44つまり、ここでタマじいに splendid という言い出しを言わせている時点で、「タマじい=古風な言い回しではあるが決して場違いではない英国紳士・英国執事風の役割」にふさわしい語釈が施されていることが感じられるわけです。これだけですごいですよね。
2022-12-15 15:26:33(2) 次に observation:これは「観察・注意深く見ること」というわけですが、現代ではほぼ科学論文とかにピッタリな堅めの語となります。これもタマじいのお堅い立場の呈示に一役買ってます。そして異論はありましょうが、こういう堅い名詞でトメてるのは余計かしこまった感じがあります。
2022-12-15 15:29:53(3) 最後に Princess:サクナヒメは姫なので Princess と呼ばれて当然ですが、実は Princess とその都度言うのはどうもタマじいだけみたいです。というのは、田右衛門などは「Lord Sakuna(サクナ殿)」などと、姫かどうか関係なく目上の統治者として呼び、ほかの人はサクナをあまり姫扱いしません。
2022-12-15 15:31:38【訂正】Lord Sakuna -> Lady Sakuna
〔承前〕つまり、原語における「おひいさま」に対応する、畏まった目下から目上の王女殿下に対するその都度の敬称を決して欠かさないという態度表明を、大文字の "Princess" に込めている感じがします。こんな短い文だけでも1語の選択ごとに技アリがあってすごい、という話でした。
2022-12-15 15:33:19これに対するサクナが "Oho! So they ARE connected after all. Impressive!" と返します。サクナの側は、「語彙自体は端正だが、喋り方がいちいち尊大であるためしばしば動詞などが大文字化(capitalize)し、あまり紳士淑女らしくない間投詞が多用される」というあたりで落ち着いています。
2022-12-15 15:36:39ちなみに「大祈祷の森」の英語は Forest of Supplication です。supplication は supple (膝を折る→従順である)から派生して「(膝を折って)祈る・懇願する」と名詞化したもので、pray よりさらに厳しく深々と祈ってるようなニュアンスになってますね。#サクナヒメの英語
2022-12-15 16:53:18『ディスコエリジウム』が高度に日本語翻訳されたことによって英文学として受容しやすくなったのと同様のことが、英語ローカライズを通じてサクナヒメにも起きていると思う。英語化しがたいファンタジー室町後期の異なる階層・出自の者たちが、一つ屋根の下で特色のある言語を持ち寄る日本文学。
2022-12-15 17:25:50#サクナヒメの英語 田右衛門「恐悦至極に存じまする」。渓谷で救われた時にサクナに対して述べる台詞は "Oh, thank you, my lady! You honor me!" 役割語と敬語が英語には(言い回しとしては明確にあっても文法的対応語彙としては〕少ないため、文を刻んでかなり工夫をしている。
2022-12-18 04:35:23thank you は、カジュアルにthanx なとと略さない限り目上の人にも使える。my lady は「(頂の国の女神としての)サクナ様」を田右衛門視点から敬って呼ぶ際の語としてfixされている。my ladyは日本語では他に「御台所」「御前」「お嬢様」など、貴族女性ポジションの人への敬称になる。
2022-12-18 04:39:06最後に You honor me. については、他動詞としてのhonorを使って「貴女は私に栄誉をくださいました」と直訳できるが、ここは全文2つが丁寧に述べられたことでレバレッジが効いて「光栄にございます」というニュアンスが強まっている。
2022-12-18 04:43:18従って「恐悦至極です」という一文を敬意ある三文に分割してコンボを決めているのがこの訳語になる。「貴族の女性に対して、目下の武士階級の男性が栄誉に応える」シチュエーションの英語はこう訳されるわけだと非常に興味深い。田右衛門はタマじいより大仰な英文が多いがここは教養を感じさせる。
2022-12-18 04:45:35次に河童について述べるところ。「カイマルは河童について来たようでございます」。対応訳文は "I would venture that Kaimaru followed it here." このthat節までが、英語ローカライズにおける田右衛門の無駄に慇懃な口調がよく出ています。
2022-12-18 04:48:55venture は adventure(冒険)の意味と通じる語で「危険を冒す」から「思い切って行う・言う」と言う意味だが、そこから「恐れながら申し上げます」というような謙譲のニュアンスを含めることもあるんです。さらに will の過去形 would を入れることで「主張から一歩引き下がった感」を出している。
2022-12-18 04:52:40またthat節において敢えてthatを省略しないことは、「後段の文へと聞き手を丁寧に導く」という配慮を示します。したがって I would venture that ... という切り出しは、時代劇風に言うと「〔上様、〕恐れながら申し上げます、といいますのは……」に等しい。三つも敬意の技ありがある。クドい敬語。
2022-12-18 04:55:48たかだか「カイマルは河童についていったみたいですね。」と言うだけでここまで畏まった敬意表現を連発するあたりに、オリジナル田右衛門の日本語のくどくどしさ、芝居がかった慇懃な武士階級ことばを英語なりに再現しようとした苦心の跡がみられます。
2022-12-18 04:57:51サクナ、タマじい、田右衛門は、それぞれ「育ちが良く教養に溢れた語彙を使うが言い回しが尊大で幼い(サクナ)」「オールドスタイル英国紳士風だが適切なpolitenessを示す(タマじい)」「よく教育されたことは伝わるがいちいち敬意表現が過剰で芝居じみている(田右衛門)という違いがあるんですね。
2022-12-18 05:02:01高水準のネイティブ言語教育を受けたサクナ、タマじい、田右衛門、3人それぞれに対する英語ローカライズ翻案は、英語における politeness と言語的教養の重なるところ、重ならないところがうまい具合に役割分担の中でグラデーションとなっていて、一文ごとが極めて味わい深いものになってます。
2022-12-18 05:05:16最後にサクナヒメ。「なんだか(ゆいの説明には)釈然とせんのう」。対応訳文は"The veracity of that claim is suspect..." 原文の直訳とも言えるがやはりサクナの高い言語教養を感じさせる。まず veracity (真実との一致度)がラテン語 vērācitās 由来の単語。
2022-12-18 05:11:42claim は、もちろん一般語ではありますが、公的な性格を帯びた意見表明を指す時に使うのでこれもややフォーマル寄りで丁寧。suspect はここではSVC(S=Cの関係)で形容詞「疑わしい・胡散臭い」となる。また主部がやや名詞的で“重たい”ことにより、語彙豊富な人が頭でっかちに述べてる感じが出ている。
2022-12-18 05:15:59#サクナヒメの英語 序盤食事イベントにおける "May you be victorious in all that you do," (原文忘れましたが「サクナ様の行く先に勝利がありますことを願っております」というような意味)。有名なスターウォーズの決り文句 May the force be with you. と同軸の厳しさですね。 pic.twitter.com/EQodSv88j0
2022-12-18 06:10:51