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日本の電子部品メーカーに8年働いた後、2021年2月から1年4ヶ月米国(シアトル・ボストン)に駐在。その後、欧州の外資系製造業メーカーへ転職し、2022年6月から東京勤務。転職の経緯は『俺たちの転職物語』に寄稿しました。note.com/gontasan1992/n…
1)来週の12/22で激動だった32歳が終わります。32歳を終える前に、私が目標としていた海外駐在を僅か1年4ヶ月で手放し、転職し、日本に戻った理由でも、ここに書きたいと思います。少し長くなるので、ご興味ある方だけ読んでもらえたらと思います。
2022-12-17 14:42:212)初めに、今から書く内容は前の会社や、当時の上司を批判する為に書くものではありません。これから駐在される方や、駐在希望している方への参考と、マネージャーとして部下をまとめてる方が、些細なきっかけで、部下の気持ちが一気に離れてしまう事を理解して貰えたらと思って書きたいと思います。
2022-12-17 14:43:443)まず、駐在に行く前の話となります。私は元々、海外駐在の希望があったので、新卒で海外転勤の可能性があるメーカーに入社しました。東京で5年働いた後、京都へ異動。京都時代は、駐在に備え、毎朝1人で英語の勉強に励んでいました。当時の英語力では欧米は難しいと思い、まずはアジア駐在を希望。
2022-12-17 14:46:434)京都本社での勤務が2年6ヶ月経った2021年9月。当時の日本の上司から急に呼び出され、『アメリカの営業で欠員が出た。アメリカに行かないか?』と言われた。アメリカか、やっていけるかな、と一瞬悩んだが、この機会を逃したら海外駐在に行けるチャンスが中々こないと思い『行きます』と返答。
2022-12-17 14:48:505)勤務地については、色々な候補が出てきたが、最終的にシアトル行きが決定。そこから一度のシアトル出張を挟み、シアトルへ赴任。私の赴任に際し、ボストンから現地の営業部長(日本人)もシアトルへ異動。元々駐在してたエンジニア1人も含め、3人オフィスでの業務がスタートした。2021年2月の出来事。
2022-12-17 14:50:006)そんなこんなで駐在生活がスタート。前任が辞めた事もあって、仕事内容もよくわからない、アメリカ人の話す英語もよくわからない、生活も自力でセットアップしろと言われよくわからない。とにかく、そんな世界線を一生懸命に生き、毎日悪戦苦闘しながら生きていた。
2022-12-17 14:54:567)日系企業からアメリカへの駐在は、とにかく勤務時間が長い。朝は9:00から仕事が始まり、昼間はアメリカ内部での打ち合わせだったり、夜中に来てた日本からの依頼事項などをフォロー。夕方からは日本が始まるので、そこから日本との会議で0:00頃まで仕事。その後はNetflixを見て、寝る…という毎日。
2022-12-17 14:56:188)そんなこんなで10ヶ月の月日が経過。12月のある時、シアトルの上司から12/22の午後に来年の営業体制についての説明をしたいと、個人面談の打診があった。その日は俺の32歳の誕生日。夜は1人でベルビューの菊寿司を予約しており、仕事終わったら、美味いサーモンを食べる予定をしていた。
2022-12-17 14:57:339)会議に出ると、サンノゼにいるチームリーダーもWebで入っていた。開口一番、上司から『実はアメリカから、1名アジアに人を出さないといけなくなった。たまたまシアトルで日本語と英語が出来る人が来月から入る事になったから、あなたが行く事が決まった。時期は夏で、場所はまだ決まってない』と。
2022-12-17 14:59:5710)かなり一方的な話であった。私の心情としては、『たしかにアメリカでの仕事は苦労してたし、迷惑もかけていた。ただ、色々な気持ちを持ってここに来たのに、こちらの相談もなく10ヶ月で見切りをつけ、勝手にアジア行き決めたのか』と思った。この瞬間にこのシアトルの上司との信頼関係は崩壊した
2022-12-17 15:01:5411)面談が終わり、菊寿司で32歳の誕生日を1人で祝ったが、過去一で気持ちが落ちた誕生日だった。クリスマス休暇に入り、転職する事も考えたが、サンノゼのチームリーダーからの説得もあり、アジア行きを固める。年明け上司に『アジアには行くが、行くなら最短4月異動で場所は台湾が良いです』と伝えた
2022-12-17 15:06:2412)次の日に返ってきた答えが、『時期も赴任先もまだ決められない』。いや、アジアで人が欲しいんじゃないの?と思った。後から分かった事だが、私のこの要望は、シアトルの上司から上の関係者(現地社長や日本の関係者)には伝えられておらず、全てこの上司の所で意見が食い止められていた。
2022-12-17 15:08:0013)次の週、シアトルに私の後任が入ってきた。かなりのナイスガイで、日本語も英語もよく出来る。ただ、やはり仕事の引き継ぎには時間がかかるとも思った。ここで私は『最後の半年、アメリカで存分に遊び尽くしてから、当初希望していたアジアに行って頑張ろう』というマインドに切り替わった。
2022-12-17 15:09:1214)2022年の1/17。オフィスで仕事を終えて帰宅。日本との会議の前にマンションのジムで汗を流していた私に、シアトルの上司から電話が入った。『実はボストンの営業が今朝辞めると言ってきた。それで、誰かそこにカバーで回さないといけない。言いたい事わかるよね?ボストンに行ってくれないか』と。
2022-12-17 15:09:4815)この後も色々あるが、最終的にこの会社を辞めようと思った決定打これだった。同じオフィスで働いてるのに、アジアからボストンへの異動の変更を、夜に電話でするのか。オフィスで時間取って、頭下げて、もう一度アメリカに気持ち戻して、働いてくれないか。とお願いする所だろ。と心で思った
2022-12-17 15:11:0916)私の答えは『すいませんが、もうアメリカで働く気はないので、他を当たってください。お願いします』上司もそんな事言われると思ってなかったのか、ボストンの素晴らしさを1人で電話語ってるが、重要なのはそこじゃないよと思い適当に流す。最後に『明日オフィスでまた話そう』と言われ、電話を切る
2022-12-17 15:13:1517)明日(火)話すのかと待ち構えていたが、3日放置された。そして金曜日のお昼に『TRESでサンドイッチを買ってきましょうか?』と上司に聞くと、慌てて思い出したかのように、『今日の夜時間ある?』と。夕方に面談するのかと思い『空いてます』と応えると、『飲みに行こうか』。飲みで説得とか最悪だな
2022-12-17 15:14:3318)夕方、近所のお店で待ち合わせ直ぐ、上司は『ボストンは素晴らしい所。現地に行って欲しい』の一点張り。私から『誠意がないアメリカ販社で働くモチベーションがない』と言っても、その意図を汲み取る事もなく、ボストンの良さを永遠に語る。これはもう会話にならないと諦め、話すのを辞める私
2022-12-17 15:15:5219)最後に私から『サラリーマンなので、行けというなら行きますが、アジアに異動したい希望は変わらないです。後はお任せします』と伝え終わる。週明けに上司から、『先週の話は飲んでくれる?』と言われ、もう諦めて『はい』と回答。手を出されたので、仕方なく握手した。人生で1番浅い握手であった。
2022-12-17 15:18:1220)その週、アメリカの社長と電話で話す機会があった。話した感じ、社長からも『アメリカでまた頑張って欲しい』みたいな話はなく、『ボストンいつから行くんや?楽しいで』と、的外れなコメントを頂く。俺の上司、本当に何も伝えてなくて、社長に『上手く説得出来ました』としか報告してないと分かる
2022-12-17 15:18:5321)電話を切った後に、デトロイトで働く後輩の駐在員に連絡。一連の流れの不満を彼に話すと、彼が私の不満についてアメリカの社長に漏らす。週末に慌てて社長がシアトルにやってきた。私はその時初めて、アメリカの社長と会い、直接会話をした。存在が遠い社長である。
2022-12-17 15:20:3822)事の顛末を社長に話をして、もうアメリカで働く気がないと話しても、やはりその意見には耳を傾けず、ボストンで頑張ってくれと言われる。もうこの社長と、シアトルの上司(ボストンに行っても変わらず私の上司)の下では働けないと確信。退職をほぼ固める。
2022-12-17 15:22:5223)そこからボストンへの引っ越しと並行して、転職活動を開始。3/10にボストンに引っ越した後、希望の会社から内定を貰い、3/23に退職を伝える。引越しの荷物がシアトルからボストンへ移動中の事である。国内異動して、僅か2週間以内に退職報告するという、過去に例を見ない、とんでもない辞め方である
2022-12-17 15:23:4124)日本でお世話になった方々から引き留めの連絡が入る。現地の社長からも説得と合わせて、異動してから直ぐ辞めた事(アパートの契約後だった事もあり)についてのお説教もあったが、無事に5/31の退職を認められる。ボストンの後任も採用出来、引き継ぎをわずか5日で終わらせ、5/11の最終出勤を迎える。
2022-12-17 15:26:51