【ワーワー我こそは】 正義のジレンマ考 【正義の地上代行者なり】

ウォール街デモが日本に波及したらしいが、日本のデモは主張がてんでバラバラ。 では―― 「主張の異なる正義がそれぞれ衝突したらどうなんのかな?」 という辺りで口火を切りつつ、「自分を守るための正義の矛盾と暴走」について考えてみた。 続きを読む
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日本版ウォール街デモが要旨不明な件

加藤AZUKI @azukiglg

ワーワー騒ぎたいだけのものをデモと位置付けるのは無理がある RT @getnewsfeed: [ガ] 「東京を占拠せよ」ウォール街の格差デモに呼応 主張はバラバラ http://t.co/hFOCAJvJ の巻 #getnews

2011-10-17 12:37:26
加藤AZUKI @azukiglg

例えばこのフェスデモで「TPP反対!」と「TPP即時締結!」が混在したら、デモ参加者同士の衝突が起こるお RT @whitebellsweet: フェスですよね、これじゃ RT ワーワー騒ぎたいだけのものをデモと位置付けるのは無理がある http://t.co/VVEtuz76

2011-10-17 12:50:51

正義は自らの禁を破る正当性を非難する相手に求める

加藤AZUKI @azukiglg

昨今の騒動や対立を見ていて、どの勢力にも顕著だなと思うコト。指摘者Aが自身の正義に照らし合わせて批判対象Bの不誠実を批判する。これはいいんだけど、Bの不誠実を批判するためにA自身が忌避した手段を、Bに対しては無制限に行使しても許される、という態度を取る。

2011-10-17 14:38:38
加藤AZUKI @azukiglg

例えばAがBに対して「Bは差別主義者だ。自分ならそんなことはしない」と批判するが、そのBに「あいつは恥ずべき差別主義者」という【差別】を行う。しかし、Aの命題である「差別主義者Bを批判する」という目的を正当化するための手段なので、「AがBを差別する」は許可されてしまう。

2011-10-17 14:39:47
加藤AZUKI @azukiglg

この論法は「A=自分は(自分の)正義の代行者だから自分の行為は絶対である」と考え、「Bは自らの不誠実を自ら被ることで【思い知るがいい】」という報復のために、A自身が不誠実としたBの手法をAが行使することに無限の許可を与えてしまう。

2011-10-17 14:40:56
加藤AZUKI @azukiglg

Aが自ら批判したB的行為をA自身が行うことは、「正義のための報復だから許される」と考える。これは、反戦、反原発、反反原発、韓流批判、民主批判、自民批判、ワーワー、右派左派、はっきり言って何にでも当てはめて評価できる気がする。

2011-10-17 14:42:20
加藤AZUKI @azukiglg

「おまえが先にやったのだから、私がおまえのやり方をおまえにやって何が悪い」という思考の出元はなんだろかと考えた場合、【専守防衛】の歪んだ解釈、または発展的肯定思考、ということになるまいか。「先に手を出したのが相手なら、自分は相手と同じ手段で相手を滅しても許される」

2011-10-17 14:43:53
加藤AZUKI @azukiglg

だから、自分が相手を滅する口実を得るために、相手を挑発し怒らせ手を出させようとする。相手が手を出そうものなら「待ってました!」とばかりに自分の封じ手を「相手がこの自体を引き起こしたのだ」と転嫁して解禁する。当たり屋的思考といってもいいのかもしれないな。

2011-10-17 14:45:05
加藤AZUKI @azukiglg

「弱者になれば強者に対して無限の報復が可能になる」という弱者最強思想もこれに通じる。結局、「自分は正しいから相手よりも強力だが我慢してやっている。相手が少しでも不誠実な手段を取れば、本当はそれを全力で滅したい。しかし自分から先に手を出すと自分が批判されるから手を出す口実が欲しい」

2011-10-17 14:46:30
加藤AZUKI @azukiglg

そのために、アラを探す。それは揚げ足取りでも言い訳で(正義のためだから)、些末な相違であっても「自分の正義に反する。そして自分の正義は社会的なマジョリティの支持を得られているはず(検証はしない)」として、自分を被害者に定義することで、正義を執行する根拠を得る。

2011-10-17 14:48:02
加藤AZUKI @azukiglg

自分の正義に賛同する人間は一人か二人でよい。自分以外の人間が一人でも賛同すれば、「自分の正義は社会に認められた」になる。Twitterはそういう「賛同者を見つけやすい」ツールでもあり、ついつい「自分の主張は社会に支持された!」と考えがちになるのかもしれない。ここは自戒すべき点。

2011-10-17 14:49:15
加藤AZUKI @azukiglg

PCやスマホ、携帯に向き合っているとき、モニタの向こうに何万人がいようと、自分の隣には誰もいないというか、自分の発言を入力しようとするときはほとんどの場合は「自分は一人」だ。このため、どうにも「見ず知らずの誰かから一言でも賛同があれば世界に容認された気分」になってしまう。

2011-10-17 14:50:52

「多数派の正義」と「少数派の正義」を自在に選ぶ柔軟さ

★多数派の正義=民主主義的な意味で影響力が大きいマジョリティに属する意見は正義である。
★少数派の正義=民主主義的な意味で少数意見は尊重されなければならない。故に少数意見を迫害する多数派は悪であり、少数意見は正義である。

※少数意見は「無視されるべきではなく、意見発露の機会は補償されるべき」だが、尊重される≠採択されるであって、最終的な判断機会に選ばれるべきは、多数の支持を得た意見であるべき。
「少数意見は常に優れている、迫害された少数意見は選択されるべきエリート」という選民思考が、貴族や王(や特権的指導層)といった特権的階級を正当化する温床になる、とか。

加藤AZUKI @azukiglg

そうして容認された人Cと容認(擁護?)したC'を、他のDがまた「馴れ合い」「お仲間」「身内」と称してバッシングを始めるケースがある。これも内外でよく見かける。

2011-10-17 14:52:22
加藤AZUKI @azukiglg

これはC+C'という対抗相手が「集団」、または自分の意見に賛同する味方の総数より多くなることについて、Dは「相手はマジョリティを形成した。マジョリティは自分(マイノリティ)を迫害する悪しき共同体」という認識をする。これによって自分と対立する意見が増えることを強者による横暴と見なす

2011-10-17 14:54:20
加藤AZUKI @azukiglg

強者に蹂躙される少数弱者であるという地位に陥ると、今度は「迫害された正義」という根拠を得る。「社会の支持を得た正義」と「迫害された正義」、どちらにでも自分を落とし込んで正義を主張できるから、やはり対立者に対しては【正義の善導】を理由に【残忍な態度】を無限に許可してしまう。

2011-10-17 14:55:38
加藤AZUKI @azukiglg

んー。ここにもまた「良かれと思って、の無限適用」「正義の万能性の濫用」が出てくる。

2011-10-17 14:57:01

「正義」の濫用の始まり

加藤AZUKI @azukiglg

結局の所、これは【正義を根拠に自分以外を破壊したい】という破壊衝動の発露、自分だけが生き残って自分以外を排除しようという意識の表れではないのか、と。共生は現実的な妥協だけど、排除を踏まえた自分優先の生き残りを正当化しようと思ったら、自分以外を絶滅する正当な根拠が必要になる。

2011-10-17 14:59:15
加藤AZUKI @azukiglg

このへんの「自分以外を絶滅する正当な根拠」を欲するという指向性は、例えば福島を差別する「子供の母」側だけではなく、それを皮肉る側にも見られる。つまり、思想のベクトルや善悪の強度の度合いとは【無関係なリアクション】なのではないのか、と思えてくる。

2011-10-17 15:00:44
加藤AZUKI @azukiglg

このへん、「我慢する、妥協を強いられる」というのは現実と折り合うために欠かさざることなんだと思うけど、その現実と折り合う事に対してフラストレーションを感じている人々の割合が増えてきている、とか。暴発する根拠、暴発をしても自分は悪くないと言える理由を欲している。

2011-10-17 15:02:22
加藤AZUKI @azukiglg

宗教を根拠に「神がそう言ったから」と神に責任転嫁する輩もいれば、ウォール街デモなどのように「奴らが悪い」と自分を悪行に走らせた別の悪に責任転嫁する輩もいるが、どっちにせよ「自分のせいではない」を担保した上で暴れたい、暴れ回りたい、っていう欲求が高まってると言える。

2011-10-17 15:03:46

正義の行き着く先は破壊衝動の正当化