【ワーワー我こそは】 正義のジレンマ考 【正義の地上代行者なり】

ウォール街デモが日本に波及したらしいが、日本のデモは主張がてんでバラバラ。 では―― 「主張の異なる正義がそれぞれ衝突したらどうなんのかな?」 という辺りで口火を切りつつ、「自分を守るための正義の矛盾と暴走」について考えてみた。 続きを読む
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加藤AZUKI @azukiglg

てか「知らない知識」を得られることと「その知識を検証すること」「理解すること」と「それを選択するかどうか」は、多分別だと思うですよ。知ったから使える、というほど僕らは賢くないことをまず識るべきじゃないだろうかw RT @_____zoe_____: ですねー。本当に、「一個人がい

2011-10-17 15:46:13

補足

※「ペルソナ変えればリセットできる」の補足と「実名&匿名論」の関連。

匿名と実名の議論にも通じる話だけど、ハンドルネーム、コテハン(固定ハンドル)、アカウント名、などは厳密には同一ではないほうが有意義な議論ができると思う。

実名での議論は後に引けない
発言者はあらゆる分野について全能である訳ではなく、門外の分野に関しては前提となる知識に乏しく、専門家から見れば噴飯者の誤認をしている場合がありうる。すぐに頭を下げることに躊躇がないならともかく、実名(Photoshopで言うと一番下の背景レイヤーの名前、でもよい)での間違いは一番下の背景レイヤーに傷を負わせ、取り返しが付かない、と考える人も多い。
「ネット上での実名発言はそれ故に慎重になるはずだし、信用がおけるはずだ」というのが実名論者の理想論だが、常に人は100%を維持できるわけではなく、ケアレスミスや拘りから取り返しが付かない事態に自らを追い込みかねない。
ハンドルネームというのは、現実の実名である背景レイヤーの上に重ねる、別のレイヤーであると言える。以前これを「ペルソナ=仮面」と定義したことがあった。日本における能や海外の仮面劇の多くは違う種類の仮面を被り変えることで演じられる人物の役割が変わるが、仮面が負う「主張」は仮面をしている間のみ適用され、仮面を外した、或いは別の仮面に掛け替えた後には適用されない。般若の面を被った演者が般若の台詞を吐いたとして、その後におかめの面に被り変えた後、仮面を取った素顔の者が般若そのものであるとは普通は考えない。
役割に応じてペルソナを変えることは、同時にそのペルソナでの発言で失敗したとき、ペルソナを棄ててしまい別のペルソナに変えることで、背景レイヤー(実名)の自負心をも守る。
「だから匿名発言はいい加減で責任を負わないものであり、信用ならない」というのもまた実名論者の主張で、それ故に実名論者は対立する匿名論者の防衛手段を嫌悪し、自衛手段を講じずにいきなり全裸で身を投げ出す実名論に崇高さを見出そうとする。

議論は後に引いてよい。相手の主張に合点がいったら意見は変えてよい。自分の主張は絶対敵かつ終末的な結論、絶対正論などではあり得ない。そのために自身の矜持が邪魔になるなら名前=ペルソナなどどんどん棄てて良い。

正義とは自分を守る根拠であり、
自分を守るために相手を残忍に排撃することを許す無限権限の自主的な交付であり、
後に引けない実名はそれを容易に許す。
「誰が言ったか」より「何と言ったか」。
「その意見は変化しない決定的結論」なのか「経過途上にある中間的声明」なのか。
「妥協を見出せる主張の提案ととりまとめをするのが、常に自分でなければならないのか?」
などなど。

……もっとも、黙っていても合点できる意見を誰かが出してくれて、黙ってそれに付いていくのが一番楽で賢いんじゃないかなあ、と常々思う次第ですw