転生したら岩だったので話は終わりだ(3)

DASEI
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前回の話

以下本編

帽子男 @alkali_acid

白と金の斑の肌を持つ妖精の森番、ヴォルントゥーリルは、杜の都の一画にある厩に宿を借りた。 妖精族が霧のあなたから連れてきた馬は、たいていの場合、屋外で過ごす方を好んだが、仔馬を産む際や、めったにないことではあるが怪我を癒す際には、樹木の枝が絡み合って天蓋を作る洞窟のような場所で、

2022-12-07 21:12:29
帽子男 @alkali_acid

休息をとることもあった。 これが妖精の言う厩であって、人間が建てる板塀と藁ぶきの小屋とは随分と趣が異なる。 さて斑の男は、己の肌とよく似た色合いの黄金色の干し草の間に、のんびりと寝そべり、どこから紛れ込んだのか、うずくまる雌馬のかたちをした岩の、ちょうど脇腹のあたりに頭をもたせ、

2022-12-07 21:15:34
帽子男 @alkali_acid

ぐっすりと心地よい眠りについていた。 さて妖精のことだ。ヴォルンが枕にしている岩というのももちろん本当の岩ではなく、宝玉でできた美しい馬の像だ。右の後ろ脚の付け根、優美にして力強い曲線を描く臀の部分にくっきりと妖精の文字で所有の印が刻んであるので、森番の財産に間違いない。

2022-12-07 21:18:12
帽子男 @alkali_acid

妖精はかように支配の証を入れた持ちものを、優れためくらましの魔法によって何でもない岩や木に見せかけてしまえる。 したがって人間や、あるいは鼻の効く小人や、場合によっては同族の妖精さえも、黄金の山や緑柱石でいっぱいの箱のそばを通りがかってさえ、そうと気づかない場合がある。

2022-12-07 21:20:46
帽子男 @alkali_acid

さて森番が術をかけて寝具として使っている雌馬の像は、砂漠の駿駒らしいすらりとした造形も見事だが、何より素材となっているのが凝星石、すなわち大地の芯からのみ産するという宝玉の中の宝玉、まさしく鉱物の女王と言える品で、王国を一つ、いやひょっとしたら十は贖えるだけの価値がある。

2022-12-07 21:24:04
帽子男 @alkali_acid

さらに豊かな鬣や尾は、目にしたもの触れたものの感情を昂らせずにはおかないという不思議な性質を帯びた赤金(しゃっきん)でできている。 帝王の宮殿や、大神の本社にこそふそふさわしい拵えだが、斑男は我がもの顔で頬ずりをし、腕を回してなめらかな肌触りを楽しみ、寝ぼけて甘噛みさえする。

2022-12-07 21:27:59
帽子男 @alkali_acid

実に奇妙にも、雌馬の像の表面は宝玉でありながら、妖精の丈夫がなれなれしく触るとやわらかくたわみ、まるで生きているかのようにさざなみだつのだ。 いや生きている。 そう。エイコニーエすなわち歌う岩と名のついた宝玉は透き通った身体の奥に命を宿していた。

2022-12-07 21:30:37
帽子男 @alkali_acid

かつて異なる世界で、非正規雇用の独身中高年女性として介護のはてに唯一の肉親である母を看取った人物が、生まれ変わるならば、静かに虚空に漂う岩となってあらゆる俗塵を払い、もの煩わされることなく過ごしたい、そう願った末に今の姿となったのだ。 残念ながら悪縁というのは輪廻転生を経ても、

2022-12-07 21:33:25
帽子男 @alkali_acid

追いすがってくるものであるらしく、紆余曲折の末、不本意ながら今は妖精の寝具として斑の肌をした森番にひっつかれているのである。 蹴とばしたい。

2022-12-07 21:34:26
帽子男 @alkali_acid

後ろ脚で思い切りあつかましい森番を蹴り上げ、百里の彼方へ追いやってやりたい。 だがエイコさんが堪忍袋の緒を切らしそうになるたび、ヴォルンの指が右尻に刻んだ妖精文字をなぞり、甘い痺れが腰から頭の芯までを走り抜け、胴からも四肢からも力を奪ってしまう。

2022-12-07 21:38:36
帽子男 @alkali_acid

宝玉の雌馬は仕方なくじっと彫刻のふりを続けたが、伏せた耳は、へばりついて離れない主人の寝息をはじめ、緑の天蓋をゆするそよ風や、葉を這う虫、餌を求めて飛び回る小鳥の羽搏きさえ聞き漏らさず、それぞれの生み出すあまたの歌を心に留めていた。 やがて聞き慣れない独唱が立ち上がってくる。

2022-12-07 21:41:59
帽子男 @alkali_acid

蹄の音もなく、妖精の馬が一頭天蓋の中に入ってきた。身重でもなければ怪我もしていない。鞍はないが乗り手を運んでいる。 騎士だ。女の騎士。新緑の頭巾つき外套の下に武具が覗く。

2022-12-07 21:43:11
帽子男 @alkali_acid

女丈夫は重さがないかのように、ふわりと地面に降り立つと、馬の首をそっと叩いてから、決然とした足取りで寝こける男に近づいて来る。 「ヴォルカーラリルの子ヴォルントゥーリル。目を覚ませ」 呼ばうと、返事も待たずに剣を抜き払う。

2022-12-07 21:45:26
帽子男 @alkali_acid

「むにゃむにゃ…大目付殿…いま少し」 「よい。ならば眠ったまま霧に還れ」 迅雷の一撃が森番の首を落とすかに思えた刹那、とっさに宝玉の雌馬は主人の襟を咥え、結晶の肢体の反対側へと投げるようにして庇った。

2022-12-07 21:49:19
帽子男 @alkali_acid

利刃と美瑛がぶつかって玲たる音色を立てる。 一瞬、武人は見当を失って、得物を引くと、油断のない構えをとった。 「きさま…」 「やあ…いい響きだな…」

2022-12-07 21:52:47
帽子男 @alkali_acid

あくびをしながら森番がまぶたを開き、太平そうに馬の像の透明な腹を撫でてから、緋色に輝く鬣を指でくしけずり、おもむろに立ち上がる。 「や…これは…おおきみのおそばにいらした」 「ふん。挨拶はよい。そこへ直れ。すぐに用は済む」 「用というと…」 斑男は、女丈夫をぼんやりと伺う。

2022-12-07 21:55:23
帽子男 @alkali_acid

「沙汰が下りましたかな」 「いいや。諸侯は御前にてまだ評定の最中。きさまの上役を辺境より呼び戻すところだ」 「ああ。妖精らしく話は長くなりましょうな。ではまた百年ほど経ちましたら」 「すぐ済むと言ったであろう」

2022-12-07 21:57:53
帽子男 @alkali_acid

騎士は剣を構え直した。刀身にはほのかに妖精文字の呪句が輝いている。 森番はしばらく切先を見つめてから、ゆったりとした動きで馬の像をかばう位置に立った。 「この剣を知っている風だな」 「はあ…まあ…」 「断金(だんきん)剣を知るならばきさまも使い手ではあろう。武器をとれ」

2022-12-07 22:02:36
帽子男 @alkali_acid

斑の男は困ったように笑うと、あくびをかみ殺した。 「意地の悪いことを」 「ふん…断金剣が斬るのは噛み合った剣槍ばかりではないぞ。徒手でいるなら、きさまの骨が代わりになるだけだ」

2022-12-07 22:05:12
帽子男 @alkali_acid

ヴォルンは視線を宙に遊ばせる。 「おおきみは、近衛の御身が同胞の血で手を汚されることを喜ばれますまい」 「要らぬ気使いだな。私は半妖精。妹は妖精として生きるを選んだが。私はまだだ」

2022-12-07 22:11:55
帽子男 @alkali_acid

そう答えた騎士が踏み込むと、森番は間合いをとるべきところを、しかし岩をかばったままひとところに留まっていた。 「おおきみは…御身が妖精殺しの人の子として都を去ることも喜ばれますまい」 「ああ。だが妹の夢見は常に正しい。きさまが妖精に…我が王に…禍を呼ぶならば、為すべきことを為す」

2022-12-07 22:19:54
帽子男 @alkali_acid

語るべきことは語ったというように、武人は輝く得物を構え直し、双眸に死を湛えて横薙ぎの太刀を繰り出した。 またしても凛とした音色が、緑の天蓋に跳ね返る。 いつの間にかヴォルンの指には、石工の仕事道具、鑿(のみ)が一本握られていた。溶けない氷でできた小さな先端が、

2022-12-07 22:23:35
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