黒瀬陽平「粘菌的絵画論」のTogetterまとめを読む
黒瀬陽平がTL上で展開した「粘菌的絵画論」のTogetterまとめを読む。 http://togetter.com/li/1905
2009-12-17 18:45:26黒瀬は、「構図」に対して「画像」を強調するのだが、それはドゥルーズ=ガタリが「リゾーム」という概念に託した何かと近い気がする。途中、東浩紀が「それって、否定神学的脱構築と郵便的脱構築の変奏じゃない?」とツッコんでるのだが。
2009-12-17 18:48:05黒瀬の「図像」が、ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」の概念に近いのではないか? という疑問をメモしておいたのだけれど、それはなにか、あの懐かしい「ニューアカデミズム」の復興のようなイメージがある。
2009-12-17 20:26:08それは『思想地図』Vol.4の冒頭が、中沢新一へのインタビューで始まっていること、あと最後に収められた、中川大地の論文「生命化するトランスモダン」に濃厚に漂う、一種の「人工=自然論」の印象もあるのだけれど。
2009-12-17 20:28:12そしてそのことは、編集委員である東浩紀自身の巻頭文――中川論文への註――の部分にも明らかだ。「本誌の前号や前々号で展開された「アーキテクチャの思想」なるものは、ニューエイジ思想/生命主義の後継者であり、そして“それでいい”(原文傍点)ということである」。
2009-12-17 20:30:53だが、僕のなかには、そうした「人工=自然論」に対する、根本的な不審がある。「人工的自然」であれ、「大正生命主義の復権」であれ――あるいはそもそも、ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」であれ、ハイデガーの批判的読解を通して――というか、その緊張感のなかで生まれた概念だと思うからだ。
2009-12-17 20:35:40ハイデガーが「人間」を「現存在」へと解体/再構築したときの、最大の重点は、「人間」を「時間」と結びつけたことにある。それは、いかにもヨーロッパ的なスタティック(静的)な「時間」だったかもしれないが……。
2009-12-17 20:38:06だからざっくり言ってしまうと、黒瀬や中川の論点は――彼らが参照する先行するアイデアがそうであるように、ハイデガー的な「時間」を取りこぼして、あるいは意図的に無視することによって成立している気がしてならない。
2009-12-17 20:40:27.@yishioka うーん、うまく言えるかわからないですが、黒瀬くんの発想は、ある種、スタティックな「構図(作り手の意図)」よりも、作品を構成する細部の、多様なベクトルが交差する「力学」、そこで現れる「生成」を重視していると思うんですね。
2009-12-17 21:51:12.@yishioka そこでは不可避的に、大きな「時間」の流れよりもさらに微細な――あえて乱暴にいえば「無時間」的な広がりが問題になった。それは、東さんの「郵便的脱構築」にも反映されている、と僕は思っています。
2009-12-17 22:14:19