構図/画像(画素)論への反応~画像かわいいよ画像~
.@yishioka そして――こちらがより重要だと思うのですが、それが「人工的な環境整備」のなかで、いわば粘菌的な表れとして生起する。ここに東さんが「郵便的脱構築」を見たのは、よくわかるなーと。
2009-12-17 21:55:39.@camiroi なるほど。<スタティックな「構図(作り手の意図)」よりも、作品を構成する細部の、多様なベクトルが交差する「力学」>という区別をした場合、作家が創作を行うときの想像力は後者の力学を画面上で駆使しているときに現れ、それが「意図」でもある、と読むと生産的だと思います
2009-12-17 21:58:15.@yishioka 即事的には、まったくその通りです。僕は、そうした着想を得る、思考の現れ方を問題にしている――というと、まるで非難しているように思われそうですが、僕自身の思考のヒントにしている。ということなんでしょうね。
2009-12-17 21:59:25.@camiroi さんにとっては「郵便的脱構築」もまた、時間論における不信の対象なのでしょうか?もしそうでないなら、その隠喩は「リゾーム」よりも生産的に働くと思います。
2009-12-17 22:03:40.@yishioka 僕はここのところずっと、宮川淳の芸術論を読み直しているのですが、そこで強調されているのは、抽象絵画以降、絵画はそのような「細部の力学=コミュニケーション」の表れになった、ということです。たぶん、宮川のそうした発想が僕の頭のなかにはあったんでしょう。
2009-12-17 22:05:43.@camiroi 宮川淳はとりわけスタシス=静止をみることに長けた批評家で、そこが美しいとともに、美術の思考における罠でもあります。 http://togetter.com/li/1905 ここでフォーマリズムが重要だが警戒の対象になっているのは、その成果をふまえたものです。
2009-12-17 22:11:33.@yishioka うーん、あくまでざっくりと整理してしまうと、ポストモダン哲学はハイデガー的な「現存在」のアイデアを父として、そこからのいかに距離を取るかによって、思考を深めていったと思っているのですね。
2009-12-17 22:11:54.@yishioka そこでは不可避的に、大きな「時間」の流れよりもさらに微細な――あえて乱暴にいえば「無時間」的な広がりが問題になった。それは、東さんの「郵便的脱構築」にも反映されている、と僕は思っています。
2009-12-17 22:14:19.@camiroi ですが @camiroi さんはその「思考の深まり」がハイデガーを矮小化しているとも考えているということでしょうか。私のTLから再び引くなら、まずは「画像かわいいよ画像」の力学を考えるべきだろうと思うわけです。それが新たな現存在分析にもなり得ると信じて!
2009-12-17 22:17:27.@yishioka おお、なんと頼もしい!(笑) でも冗談ではなく、そうなってくれればと思います>新しい現存在分析 ハイデガーをいかに再導入するかは、個人的にすごく大きな課題だと思っているので。
2009-12-17 22:23:02.@camiroi まあオチのつけ方がソードマスターヤマトなので、ちょっとアレですけれども(笑)長々と失礼しました。
2009-12-17 22:26:45アーキテクチャの議論を一言していればそういうことも言えたと反省。しかし梅ラボトークでは話したよ。RT(一部抜粋) @yishioka: @camiroi 作家が創作を行うときの想像力は後者の力学を画面上で駆使しているときに現れ、それが「意図」でもある、と読むと生産的だと思います
2009-12-17 22:12:05なんかTLがゆっくりしすぎていて見落としました。失礼。おそらく話していただろうと思っていましたが。 RT @kaichoo アーキテクチャの議論を一言していればそういうことも言えたと反省。しかし梅ラボトークでは話したよ。
2009-12-17 22:48:02おっと、これは貴重なコメントでした。見落としていた。RT @kusareIORI: 初期の狩野派の「構図」的要素が、狩野芳崖の過色感や行き過ぎたデコレイティブ感が「画像(画素)」的として最後に開花したものの、その趨勢を止められず、行き場を失うこととなる。
2009-12-17 23:18:17