- Kagamikimihiko
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濱野智史さんによる「リトル・ピープルの時代」書評
かつてマルクスは「人間の解剖は猿の解剖に役立つ」といったが、ニコニコ動画やAKB48の解剖は、来るべき社会の解剖に役立つ。なぜならそれは既存の社会システムから「半歩ずれた」あるいは「ハイブリッド」な存在であり、それゆえにこそ現実を〈批判〉する手立てとなりうるからだ。「ビッグ・ブラザー」のように社会システムの全体性を見渡すことはできなくとも、「リトル・ピープル」のように個々のシステムに潜り込み、別様でもありうるはずの世界を垣間見せること。そんな宇野が切り拓いてみせた批評のあり方とは、かつて文学が持ち得た「異化」の力を受け継ぎ、〈拡張〉することに他ならないのである。
「文学を拡張せよ:濱野智史さんによる書評」より一部引用。
(初出「新潮」2011年11月号)
(PLANETS/宇野常寛 第二次惑星開発委員会)
http://wakusei2nd.com/lp02/shincho
読んだ。RT @hamano_satoshi: RT @PLANETS_8: じゃじゃーん。噂のネ申書評、太っ腹の全文掲載です!濱野智史(@hamano_satoshi)さんの書評を全文掲載しました! | PLANETS http://t.co/GketguF8
2011-11-07 22:03:56シリアスな疑問をひとつ。「原発問題後、あらためて父を呼び出す議論など無効に決まってる」という指摘はむろん正しいとして、では、そのようなタイプのメタ論壇批判こそがいまや失効しているという批判に対しては、この種の「批評」はどのように答えるのであろうか。
2011-11-07 22:06:39AKB48や仮面ライダーを読解することこそが来るべき日本社会の解剖たりうる、と論じるためには、まずそのような読解を書き/読む場が用意されていなければならない。宇野や濱野など新世代は、その場を維持することに対して、どれほどのコミットと責任をもつつもりなのだろうか。
2011-11-07 22:08:05その問いに対する回答がなければ、ぼくは、彼らの議論は東浩紀批判として有効だとは思わない。なぜならば、それは、その主張がどれほど真実を言い当てていたとしても、結局はぼくを含めた先行世代の「批評」の場でのゲームにすぎないからだ。
2011-11-07 22:10:18震災後ぼくが急にサブカル批評とかどーでもよくね?とか言い出したのは、震災があった以上大人になりましょうとかいう単純な話じゃなくて、それぐらいの振る舞いしないともうほんとに批評とか打ち棄てられるよって危機感から来ているわけですよ。
2011-11-07 22:13:39震災/原発のあと、AKB48や仮面ライダーの本を出すという「空気の読めなさ」は、まあそれはそれで批評的と言えないこともないけど、実際はみながそれやったら「ゼロ年代ってアホじゃね?」ってことになるわけで。ぼくはそういうことを考えて行動したんだけど、これが伝わらないんだよなあ。
2011-11-07 22:15:34そうか、次回は濱野くんか……w RT @columbus20: ニコ生思想地図がガチの師弟対決になりそうな気配
2011-11-07 22:24:42サブカル批評に可能性を見ている若い世代には悪いが、サブカル知識人は、結局は読者確保のためにまとめサイトの顔色見て生きてくことになると思うんだよね。
2011-11-08 01:38:29まとめサイトもバイアスがかかってるのに…嫌な世の中だな。 RT @hazuma: サブカル批評に可能性を見ている若い世代には悪いが、サブカル知識人は、結局は読者確保のためにまとめサイトの顔色見て生きてくことになると思うんだよね。
2011-11-08 01:49:06確かに今ここ。でもRT @hazuma: サブカル批評に可能性を見ている若い世代には悪いが、サブカル知識人は、結局は読者確保のためにまとめサイトの顔色見て生きてくことになると思うんだよね。
2011-11-08 01:49:36
(一方その頃)
僕はこれまでも、そしてこれからもポップカルチャーの分析が、現代の、そしてこれからの世の中を考える上で大きな手掛かりを与えてくれるという確信の元に行動してきたし、そのための場を維持するため、成立させるためにも個人的に色々な活動を重ねてきている。
2011-11-07 23:14:45もう6年目になる〈PLANETS〉の活動はもちろん、専門でもない社会評論家としてテレビに出るのもそう。「場」そのものの作成だけではなく、その社会的評価を引き上げるためにはどうしたらいいかも考えて、非力ながら淡々と実践していたつもりだ。恥ずべき態度は取っていない。
2011-11-07 23:15:56これはもちろん、先輩諸氏の積み上げて来たものの上に成立しているものだ。そして彼らからしてみればまだまだ問題にならない程度の成果かもしれない。僕自身まだまだ手探りだが。こんなものは一万回のツイートや立ち位置トークよりも一回の実践だ。これまでと同じように、淡々と実践するのみだ。
2011-11-07 23:16:10ちなみに「空気の読めない」「震災後のサブカル評論」と揶揄される「リトル・ピープルの時代」は(読んだ人は知っている通り)僕なりにこの震災というものに全力で立ち向かったものだ。これが「〈災後〉には無用の平時の思想」で「呑気なサブカル評論」かどうかは是非実際に読んで判断して欲しい。
2011-11-07 23:16:59まず、「AKB48や仮面ライダーを読解することこそが来るべき日本社会の解剖たりうる、と論じるためには、まずそのような読解を書き/読む場が用意されていなければならない。宇野や濱野など新世代は、その場を維持することに対して、どれほどのコミットと責任をもつつもりなのだろうか。」ですが、
2011-11-07 22:51:07この問いかけに対しては、言葉ではなく、行動で、実績で、パフォーマティブに示すほかありません。そして、それはいままでのところ、(少なくとも宇野さんは当たらないと思いますが、僕自身についていえば、)とても十分にはできていないと率直に思っています。開き直るわけではありませんが・・
2011-11-07 22:52:47でも、少なくとも僕は、震災後にAKB48を語ることは全くアホなことだと思ってない(アホには見えるとは思いますよ、何よりつい最近まで、僕もそう思っていましたから)書評にも書きましたが、そこにはいまの日本社会が陥っている代議制民主主義の危機に対する、ヒントがあると思っている。
2011-11-07 23:00:09