【#どうする家康】第26回「ぶらり富士遊覧」時代考証担当・平山優氏の解説ツイート

他の回の解説は「時代考証の呟き」タグからどうぞ。
1

(1)石田三成と家康の関係Ⅰ

K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

それにしても、調べれば調べるほど、石田三成像は江戸時代以来の虚像(主に悪印象)にまみれていて、事実を反映していないなぁ。そもそも家康を目の敵にしていたり、反目し続けていたなんて事実はまったくない。ずっと協調して豊臣政権を支えようとしている。佐和山隠居後に発生した「家康暗殺計画」の

2023-07-13 12:25:58
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

時も、家康を支えようとしているし、三成の息子は秀頼に奉公し在大坂であった。しかも彼は家康と非常に懇意だったと記録にある。家康と三成の決裂の過程は、もっと慎重に検討しなければならないと強く感じています。 #時代考証の呟き

2023-07-13 12:31:01
Cobute @cobute

こうゆう「事実はない」系の話は、反証が十分揃ってないと単なるミスリードにしかならない。 歴史って難しいもんだよねー twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2023-07-13 12:59:10
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@cobute 同時代史料には、本当にまったく記述されていない。むしろ協調関係にあったことばかり。これが慶長5年に暗転するんだから、戦国・織豊期の政治の世界はわからない。

2023-07-13 13:00:51
さもん @morowasabi

単純に考えると福島正則や加藤清正らが三成を襲った辺りが決裂の起点なのかと思ってしまう。 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2023-07-13 12:39:18
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@morowasabi 三成襲撃事件は、近年の研究で否定されています。あれは三成を処分せよという訴訟であったようです。あの時も、家康は三成を庇護し、隠居という裁定でおさめようとしたのですが、このことが「家康暗殺計画」に繋がったのではないかといわれるようになってきました。でもまだまだわからないことだらけ😫

2023-07-13 12:41:51

回天@埼玉 @HT_kaiten1965

@HIRAYAMAYUUKAIN そうなると今度は、非常に懇意だったにもかかわらず数少ない刑死者になったのは何故か?という謎がせり上がって来ます。むしろ定説通りの方が明快に説明できてしまう。

2023-07-13 18:02:09
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@HT_kaiten1965 それは関ヶ原合戦の戦場でぶつかった首謀者の1人ですものね。

2023-07-13 19:28:09
回天@埼玉 @HT_kaiten1965

@HIRAYAMAYUUKAIN そこは見逃せない点ですが、なおモヤモヤ感が。

2023-07-14 00:38:39

なぞだしଲ @Himadashiz

@HIRAYAMAYUUKAIN こんにちは。 家康と三成の関係は先生の研究の範囲外になってしまいますか?

2023-07-13 12:54:34
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@Himadashiz 調べてると面白いんですけど、私の人生の時間が限られていて、他にやりたいことが山ほどなんですよ😭

2023-07-13 12:55:49
なぞだしଲ @Himadashiz

@HIRAYAMAYUUKAIN なるほど!手が回らないですよね笑 でも是非この機会に何かの形にして頂けたら良いなと夢想しております💭

2023-07-13 12:58:04

(2)石田三成と家康の関係Ⅱ

K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

忙しいので放置してたら、誹謗中傷が湧いてて面倒くさいね。まず、現状の石田三成研究として、谷徹也氏編『石田三成』、大谷浩司氏編『石田三成』、中野等氏著『石田三成伝』の三著作を見ると、少なくとも秀吉死後までは何ら対立はなく、死後の私婚問題からすれ違いが始まるが、政権運営では協調し続けている。また、三成暗殺未遂事件は、訴訟だという学説が強まっており、家康は三成隠居で事態の収拾を図ったとされる。その後の家康暗殺計画時も、三成は反対の立場だったのではないかと指摘され始めている。問題なのは、前田攻めの計画や、上杉攻めの問題で、大名統制の在り方に政権内部で分裂が発生したことが大きい。ただ秀吉存命であれば、大名に上洛命令を出し、拒否したり動きがおそければただではすまない。豊臣体制の求心力が失われる可能性もあった。上杉攻めは、強引という印象だが、周辺の大名からの訴えもあり(これはさらに要精査)、政権を預かる立場として無視出来なかったとも言える。それぞれの立場や、思惑が交錯して反家康連合が形成される。その核となるのが「内府違いの条々」である。石田三成文書の集成を行っている谷氏によれば、三成と家康の対立は、家康暗殺計画頃までは兆候がないとされる。やはり、その後の政局をよく分析する必要があるのだろう。いまだに軍記物や、幕府編纂物等の影響が強いのだが、豊臣時代の研究は着実に進んでいる。「真田丸」の時よりも進んでいる。なお、私には大坂の陣についての著作もあるよ(『真田信繁』)。

2023-09-15 11:38:23
陰陽師A @onmyouji00

ポニーキャニオン所属タレント #平山優 氏によるこの妄言は専門外の事に口を出してはいけないという好例なんだよねw 比べると家康ファンほうがマシな発言w 武田が滅んだ時点でこのヒトの出番は無くなったってことなのよ🤷‍♂️ #時代考証の呟き #どうする家康反省会 #関ヶ原2023 pic.twitter.com/ciqSiOEXbN twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2023-09-15 10:09:28
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

自分の勉強不足を自認できず、知識のブラッシュアップができないのに、古い知識で絡んで来ないでください。迷惑です。一知半解の輩こそ、デマを撒き散らすトンデモの括りに他ならない。勉強して出直してくださいませ。 twitter.com/sekaiichibanha…

2023-09-17 23:15:49
源朝臣宇宙大将軍(推しは中野三玖) @sekaiichibanham

平山先生の時代考証のつぶやきで 家康は豊臣姓を名乗っていた 家康と三成は強調関係だったは流石にやめて欲しいんだが それがさも正しいみたいな感じも違和感なんだよな #どうする家康

2023-09-17 22:19:58
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

恐縮ですが、貴方の自己紹介の謳い文句は、空文句ですか?私は名指しで批判されたので、反論したまでです。貴方ならどのように反応しますか?私も「典拠を示さず適当な、はたまたデマを拡散する」言説を批判したに過ぎません。 twitter.com/nohoppp/status… pic.twitter.com/BN71L3FHzi

2023-09-18 01:35:51
ブラミー @nohoppp

いやぁ…これ、元の呟きをした人の知識がアップデートされてないのが悪いのは実際そうなんだけど、ハッシュタグ大河ドラマつけて所感述べただけで時代考証の人に「絡んで来るな」「デマを撒き散らすトンデモ」「出直してこい」と晒し上げられるのきっついわ… twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…

2023-09-18 00:23:58
拡大
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

これって、まず秀吉死後のことですよね?生前には見られないし、顕在化しない(秀吉存命ならば当然)。生前に秀吉が三成と家康の対立を危惧したとか、敵視しあっていた根拠を提示する必要がある。次に、秀吉死後に五奉行との間に間隔が生じていたという想定は、史料解釈の問題。当時、家康は「坂東」(東国、東北)の仕切りを、「坂西」(西国、九州、四国)は毛利輝元、小早川隆景が仕切りを秀吉に委ねられていた。隆景死後も輝元が担ったが、家康の比ではない力関係だった。そのため、家康を牽制、規制するというのは当然ありうる。それは豊臣政権内部でのパワーバランスを維持するためのもので、おかしくない。敵視と、規制・牽制は違う。毛利も、三成も、大谷も、宇喜多も家康と協調しながら、秀頼を奉戴したがら政権運営を行っている。それらは、三著作に書いてある。忙しいから週明けに詳細を指摘してあげるよ。

2023-09-20 20:52:10
陰陽師A @onmyouji00

@HIRAYAMAYUUKAIN 「家康と五奉行の間にはすでに懸隔が生じており、」と書かれていた。 太田浩司氏編『石田三成』224ページは秀吉が死んだ10日後の史料の説明で「この誓約において、四奉行と対立すると見られていた仮想敵とは徳川家康であった。」と書いていた。谷徹也氏編『石田三成』からは平山氏の発言に関係した文は

2023-09-18 10:20:34
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

家康といわゆる五大老(当時上方にいた人物)と五奉行が、家康の屋敷で談合してるんだけど。それ、知ってていってんのかなぁ。

2023-09-20 20:55:26