初心者向け「旧陸軍歩兵連隊」と「編成の面での十一年式軽機関銃」のお話

以前話した 『旧軍の師団・連隊の編成』(http://togetter.com/li/210188)と 『初心者向け「旧陸軍の分隊構成とその指揮関係」のお話』(http://togetter.com/li/213382) の続きとなる小話です。 今回は旧陸軍の歩兵連隊についてと、それの関連小話として、部隊編成の面から見た十一年式軽機関銃の運用についての話をしています。
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這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

という訳で旧軍歩兵連隊の編成と、十一年式軽機関銃のちょっとしたお話。

2011-11-19 22:47:39

~ここから旧陸軍歩兵連隊の編成の小話~

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日本の歩兵連隊は基本的に郷土密着型であり、連隊長や幹部将校以外の殆どが地元出身の兵士ばかりで構成されていました。

2011-11-19 22:50:38
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歩兵連隊は通常は三個歩兵大隊及びその支援部隊で構成されており、その各大隊は本部及び三個から四個中隊とその支援部隊から構成されています。ちなみに平時においてはこの中隊が部隊での基本単位となります。

2011-11-19 22:53:54
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そして一個中隊は三個小隊で形成されており、一個小隊は四個分隊によって形成されています。旧軍の分隊についての話は以前軽く話していますので、そちらのまとめ(初心者向け「旧陸軍の分隊構成とその指揮関係」のお話:http://t.co/InaOgJiZ)をご覧ください。

2011-11-19 22:56:37
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もちろんこれらの編成例はあくまで基本で、実際には時期や師団ごとに編成が違ってくることがままありました。また、戦時には一部部隊を他の部隊と併合させることなども起こっています。

2011-11-19 22:58:18
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それでは、今度は実際の編成一例を見てみましょう。これはあくまで一例であり、部隊によってはこれと違う編成をされてる場合があるので誤解なきよう。

2011-11-19 23:00:53
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歩兵連隊内訳:連隊――連隊本部――三個歩兵大隊(大隊本部――三個歩兵中隊――機関銃中隊――歩兵砲中隊)――歩兵砲中隊――速射砲中隊――通信中隊

2011-11-19 23:05:48
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ここで大隊内に編成されていない別の歩兵砲中隊、速射砲中隊は連隊直轄の独立部隊です。これは大隊長では無く、連隊が直接運用します。

2011-11-19 23:08:28
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旧軍歩兵の火力運用で特徴的なのは、迫撃砲などの曲射兵器の重視です。擲弾筒から始まり、大隊砲、連隊砲と歩兵部隊が直接運用出来る曲射砲の数が比較的多く、それらを利用した陣地攻撃は旧軍の得意とした戦術でした。

2011-11-19 23:14:05
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まあその旧軍の欠点は、皆さん知っての通り基材及び弾薬の不足で、それらを補って十分な戦力を保有することは最後まで叶いませんでした。

2011-11-19 23:16:47
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日本の戦闘単位レベルでの戦術と編成での問題は、近代歩兵戦闘における陣地戦の主要装備と戦法の研究が不十分だった点と言われています。

2011-11-19 23:20:21
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しかし、旧軍が陣地戦を軽視していたとは必ずしも断定できず、その証拠に対ソ戦術の要諦がソ連軍の縦深戦術の制圧にあると書かれていたように、実際に研究されていた形跡が見られます。しかし、結局実戦でそれらを活かすこと無く、大戦を通してそのままだったことが旧軍の致命的な問題だったのです。

2011-11-19 23:22:31
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という訳で、旧軍連隊のお話はここまで。次は編成の面での十一年式軽機関銃のお話です。

2011-11-19 23:23:37

~ここから十一年式軽機関銃についての小話~

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十一年式軽機関銃は、装填架を使用することで挿弾子に収められた弾薬をそのまま使用して射撃できるという、その変わった形式から、今日の分隊支援火器(SAW)に通ずる思想とよく言われています。

2011-11-19 23:28:29
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しかし、十一年式軽機関銃が開発、そして正式化された当時はこれを小銃分隊に属して戦わせる事は一切考慮されておりません。十一年式軽機関銃は中隊単位で編成される独立した軽機関銃分隊に配備され、必要に応じて小隊に配属される予定でした。

2011-11-19 23:31:45
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

つまり当時は軽機関銃を分隊長はおろか、小隊長も軽機関銃を直接隷下に持つことがないという運用思想の下に開発されたものであり、十一年式が開発時に想定していた「補給の簡素化」「弾薬の共通化」とは、中隊全体で配備される銃弾を対象にしているだけのものだったのです。

2011-11-19 23:34:28
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

当時の軽機関銃は、突撃に際し小銃手と一緒に敵陣へ突進するのではなく後方よりの火力支援に専念し、小銃手の突入を見てからおもむろに敵陣に進入するという規定でしたが、この規定は実戦的でないとして、1937年(昭和12年)の歩兵操典草案で本格的な分隊疎開戦闘に移行することとなります。

2011-11-19 23:36:38
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

つまり、実質九六式軽機関銃の登場まで旧軍の軽機関銃は「分隊と共に密接に行動し、適切な火力支援を随時行う機材」というよりは「重機関銃より簡単に据え付けて迅速に移動できる『後方機材』としての機関銃」としての色合いが強かったという訳です。

2011-11-19 23:42:03
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

まあ、実際旧軍が軽機関銃をどのように運用していたかは、この写真を見てしまえば一目瞭然ですね。分隊と共に突撃する九六式とは違い、十一年式は据え付けて援護射撃を行なっています。 http://t.co/BfS3fN3a

2011-11-19 23:43:53
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

という訳で、十一年式は現代のSAWのような感覚で作られた兵器ではなく、極めて当時の旧軍の基質を色濃く反映されて作られた軽機関銃だったのです。

2011-11-19 23:45:05
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

と、いうところで今日の小話はこれで終了します。お疲れ様でした。

2011-11-19 23:46:36