攻撃衝動の集団的組織化とネルフ・ゼーレ・戦略自衛隊-バタイユ的解釈-
- Abraxas_Aeon
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@Abraxas_Aeon では、お言葉に甘えて… 宮崎はわかったんですが、庵野のほうがですね、ちょっとしっくりこないなぁ、と 彼の有様は、バタイユ的な意味での「俗」であると? ちょっと捕捉説明してほしいです (公式RTしたのでお分かりいただけるように、とても面白い論点だと)
2010-05-29 00:12:28@mittsko あっ、そのあたりですか。ちょっと説明悪かったかもしれませんね。本来的な意味では、どっちの有様も「聖」とおもうんですよ。ただ、「庵野本人の認識」は、あの有名な「逃げちゃダメだ」にしろ、事あるごとに自分の描き出すものを現実現実と唱えるところがあるので・・・
2010-05-29 00:18:02@mittsko 庵野本人がやってることは「現実に対する復讐」ですから明らかに「聖」です。しかし本人にそういう認識があるかというとないのではないかと。そしてなぜかそれが、商業誌とかでリアルだとか現実だとかあたかも「俗」であるかのようにいわれることが多い、というのが私の見解でして。
2010-05-29 00:37:00@Abraxas_Aeon 捕捉説明ありがとうございます とてもスッキリしました /庵野さんは、そんなに《現実なるもの》へのコミットメントがあるんですか…? そうなんだぁ…
2010-05-29 00:42:23@Abraxas_Aeon 今度は「商業誌」についてですが、庵野さんの自覚を「リアル」とか「現実」というのならわかるのですが、それは バタイユ的な意味での「俗」 と言っていいんでしょうか?
2010-05-29 00:44:34@mittsko 違うと思います。私本人は、ちっとも彼の「現実」とか「リアル」の自覚についてはバタイユ的な(というか本来的な)意味での「俗」だとは思いません。ただ、「俗」の意味が「聖」を含んだまま常態化しちゃってるんじゃないかと。
2010-05-29 00:59:09@mittsko すみません、なんかうまく説明できてないですね…。ただ、私が述べたいのは最近の商業誌とかが説明する紹介とか全然かつて暴露されたことに基づいていないというか、その暴露されたことを黒歴史化するかのように覆い隠すようなところがあるんじゃないかということでして。
2010-05-29 01:12:20@Abraxas_Aeon 庵野さんについては、わかってきました ですよねぇ、本人の自覚とは別に、あれは とても典型的にバタイユ的に「聖なる」有様ですよね 「聖」を含む「俗」の常態化! /一方、ソッチ系商業誌をまったく読まない僕には、どんな感じなのか そもそも想像できないんです
2010-05-29 01:30:07放縦的傾向に突っ走ったグノーシス主義の一派には、自然の内に書き込まれている本能図式に服したままの生殖活動・性行為が忌むべきものと見做されているものがあったという。むしろ非生殖的な性的乱行、性的倒錯など、消費的活動としてのエロティシズムが絶賛されたという。
2010-06-09 20:59:17@Abraxas_Aeon そのグノーシス主義の一派によると、妊婦との性交は前者になるのでしょうか?それとも後者になるのでしょうか?妊婦との性交自体は非生産的ですが、それ以前に生産的な性交をしなければならなりませんので。
2010-06-09 21:04:46@ClothSack その妊婦ですが、そもそも妊婦そのものが忌み嫌われるのだそうです。生殖活動そのものが忌むべきというのは、肉体をもって生まれること自体、悪の造物主の原理だからです。だから妊婦はむしろ腹を割かれて、その胎児は取り出されて、すり潰されて飲まれるのだとか。
2010-06-09 21:14:46@Abraxas_Aeon 『ベルセルク』のサバト(乱交)のシーンにおける赤子のスープを思いだしました。非生殖的な消費的活動としてのエロティシズム(生からの逃避)というのは、生の否定を伴うものであると考えれられますね。他者(生)の否定が自己(非生)の肯定に繋がっているような。
2010-06-09 21:26:27@ClothSack 『ベルセルク』ですか、なるほど。エロティックな教理に基づく躁宴は、消費的な活動の内に肉の妄執を涸れ尽きさせる手段だったのだとか。ただ、妊婦に限ってみれば仰る通りかもしれないですが、肉の妄執からの脱却については他者の否定に限られていないと思います。
2010-06-09 21:43:35@ClothSack あ、でもClothSackさんの語法からすると、自己(非生)の肯定というのは、裏返してみれば自己(生)の否定ですかね。自己(非生)の肯定+他者(生)の否定というと、この場合宇宙を支配する者(ヤルダバオートとその統率下のアルコンテス)も他者に該当しますかね。
2010-06-09 21:54:25@Abraxas_Aeon 「自己(非生)の肯定というのは、裏返してみれば自己(生)の否定」そうなると思います。自己の内部に他者が存在するイメージかもしれません。自我と超自我てきな。
2010-06-09 22:17:41しかし他者(生)の否定による自己(非生)の肯定とは、この今のグノーシス派の説明をしようとしていた上でもとてもうまい表現かも。とはいえ、グノーシス派の場合、「非生」と言われているところのものがまた、プレーローマへの帰還=「真の生の回復・復活」という意味がある。
2010-06-09 22:13:04しかし、この「真の生の復活」を果たすためには、この世の「偽りの生」があるうちに知識(グノーシス)を開示されねばならない。そうでなければ、「この世で死んだ」としても「真の生への復活」は果たせられない。なぜって、それは開示を受けないままの人は「かつて生きたことが無い」から。
2010-06-09 22:16:59旧約聖書の律法に対して冒瀆的であることを辞さないグノーシス派としては、シモン派、オフィス派、そして特に放埓主義的なカルポクラテス派が挙げられている。ナグ・ハマディ文書には『大いなるセツの第二の教え』というのがあるが、ここではモーセも含めた律法の救済史的意味が完全否定されている。
2010-06-09 23:22:46【メモ】バタイユとグノーシスについての思索。キリスト教的価値観からグノーシス主義が「悪」とされる事について、バタイユ的には、断罪する側の「虚構」と「罪」の創作という観点から、断罪する側にしてもその断罪行為がキリスト教的善からの自由を実践できる聖の時空とみなせるのではないか。
2010-06-11 21:39:57【メモ】以前書いたグノーシス主義の、正統派キリスト教からすれば冒瀆とされることを辞さない態度について。この冒瀆の執拗さについては、バタイユにしてもグノーシス主義者にしても、どちらもおかれた環境が時代に逆行した疎外的なものだったと捉えると共通項が挙げられるのではないか。
2010-06-18 19:42:26ゼーレがあたかも意味ありげにエヴァ(弐号機)のことを「忌むべき」とか言ってるあたりを、先日書いた妊婦を忌み嫌う性的放縦の傾向に突っ走ったグノーシス主義のエロティックな教理に基づくものと見做すネタがあるんだが(あくまでもネタ)。
2010-06-25 20:33:52まず断っておきたいのは、一概にグノーシス主義と言ったところで、それが正統的教会がその偏見から無律法主義あるいは反律法主義だとするような見方に固執してはいけない。グノーシス主義にも様々なタイプがある。
2010-06-25 20:47:24プトレマイオスは神によって与えられたと主張する正統的教会の立場と、逆に律法はイエスの愛の神に反逆する悪神に由来すると見做すマルキオン派、或いはグノーシス派の一部の立場とを排し、旧約の律法とりわけ十戒は、イエスの律法に対する立場に即して、いわばキリスト論的に解釈すべきとしている。
2010-06-25 20:56:11プトレマイオスは、一人のグノーシス主義者として、律法の出自を至高神にではなく、その下位に立つ悪の造物主に帰しているが、「グノーシス」を得た者(真の救済を得たキリスト者)は、この世にあって「グノーシス」を保持していくために、律法の真意に従うべきだとしている。
2010-06-25 21:10:49プトレマイオス(ヴァレンティノス派)のように、救いの条件としては律法を否定するが、救われた状態をこの世で持続していく手段として律法の効用を認めるグノーシス派の立場(パウロの律法観に近い)は、ナグハマディ文書の発見によっても裏付けられた。
2010-06-25 23:34:24