攻撃衝動の集団的組織化とネルフ・ゼーレ・戦略自衛隊-バタイユ的解釈-
- Abraxas_Aeon
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「禁止は犯されるためにある」という命題は、殺人の禁止が普遍的であるにもかかわらず、どこにおいても戦争に反対していないという事実を理解しやすくするだろう。禁止がなければ戦争は不可能であり、想像も及ばないことであるに違いない、と私は確信さえしているのだ! 『エロティシズム』
2010-05-18 03:50:50禁止を知らない動物は、彼ら同士の単なる争いよりほかに、戦争のような組織された闘いを知らなかった。戦争は或る意味で、攻撃衝動の集団組織化に帰着する。それは労働のように集団的に組織され、労働のように目的を決められ、指導者の立てた計画に従うのである。 『エロティシズム』
2010-05-18 03:51:32戦争は組織化された暴力である。禁止の違犯は動物的な暴力ではない。戦争は、理性のある存在によって(必要とあらば暴力のために知恵を働かせて)行使された暴力だ。禁止は、それを越えて初めて殺人が可能となるような敷居である。戦争もまた、集団的にこの敷居を乗り越えて初めて可能となる。『エロ』
2010-05-18 03:51:57ここからエヴァネタに移行しよう。これは、あのどうみてもすぐに空中分解してもおかしくない「特務機関ネルフ」という「アマチュア大衆的戦闘狂組織」、その裏にいるゼーレ、戦略自衛隊(そしてひいては製作者)について、バタイユ的観察眼によって考察する試みである。
2010-05-18 03:52:17まずネルフという組織は、ゲンドウ・冬月、そしてゼーレの野望が渦巻く人類補完計画という儀式のために用意されたものだ。その上で使徒を殺すことは儀式の一環となっている。最終的には補完計画も含めて、上層部には全て人間犠牲(シト=ヒト!)の儀式と目されているといえる。
2010-05-18 03:52:36このためには人を集めなければならないが、上層部は下層のネルフ職員には、これから何をしようとしているかということをほとんど明るみにしていない。実際にやろうとしていることを明るみにすれば、人は集まらずついてこないということを知っているのでコソコソしたやり方をとっているということ。
2010-05-18 03:53:31上層部には、単に使徒=人間犠牲の儀式的過程をこなしてくれる労働力を持った組織があれば十分その役割を果たしえる。ではどのように人間を集めて使徒を殺す組織をつくりあげたか。それは、「死についての意識[=暴力的で驚異的なものに対する戦慄]」をあからさまに煽ると言うやり方だ。
2010-05-18 03:53:53「使徒は全ての人間に死をもたらす。それを倒さなければ人間に未来はない」。このような「死についての意識」の植え込みは個々人の生の不安を煽る。これが人間全体に普遍的なものとしてあるということが、人々に「死についての意識」という一点において深淵を越えた共同体意識を起こさせたのである。
2010-05-18 03:54:13ところでこれまで上層部と下層のネルフ職員との間で認識が違うかのように書いてきてしまったが、全てのネルフ職員が使徒を倒す戦いに加わっていることについては、「人類が生きるために使徒を犠牲にするという「聖なる戦い」に参加している」という点でそれは或る意味上層部と同じところがある。
2010-05-18 03:55:07起きたら-攻撃衝動の集団的組織化とネルフ・ゼーレ・戦略自衛隊-バタイユ的解釈- ができてたなど
2010-05-18 06:08:58『「死についての意識[=暴力的で驚異的なものに対する戦慄]」をあからさまに煽る』これは911もそうだ。
2010-05-18 06:18:07非連続的存在である我々にとって、死は存在の連続性を顕現させるというバタイユ。戦争[=人間犠牲]を行うために、死についての意識を煽ることで、労働力としての職員を集めることに成功し、組織をつくりあげることに成功したというのは、ある意味以下のバタイユの言葉がしっくりくる。
2010-05-18 23:20:12非連続から連続への過程の中で、活を入れられるのは基本的な存在の全体なのだ。暴力だけが、暴力に結びついた名づけがたい混乱だけが、このように全体に活を入れることができるのである!『エロティシズム』
2010-05-18 23:20:54この活を入れるやり方は、唐突に呼びつけられてエヴァに乗ることを要請された碇シンジにも該当する。あの血塗れの綾波レイを見せたのも、お前がやらなければこの血塗れの少女が闘うことになる→つまりは死ぬ確率が高いということを突きつけて「死についての意識」を煽ると言うやり方に相違ない。
2010-05-18 23:21:21新劇では特に強調されるようになった団結力の美化だが、このようなやり方で組織化された人々の連帯意識は、ユング=ノイマン的に言うと、集団的結合を犠牲にした大衆的一体性→「烏合の衆」でしかない。新劇はむしろこの点を強めている。これは大衆化過程と併せてまた後ほど考察することにしよう。
2010-05-18 23:21:50さて、バタイユに戻るが、この使徒・人間犠牲のために結成された組織は、俗の時間において、この犠牲のための労働を俗の時間において行っている。この俗の時間における労働は、どのようなものであれ、劇中通じて全て使徒・人間犠牲のためのものだということに注目してもらいたい。
2010-05-18 23:22:11ネルフの場合、使徒・人間犠牲を如何に効率よくこなせるかの「残酷の工夫」のための労働によって富[=兵器の生産・パイロットとエヴァを用いた実験の「結果」など]の蓄積が俗の時間においてなされる。なんにせよゲンドウを真似るなら「全ては暴力、使徒・人間犠牲の儀式ために」である。
2010-05-18 23:22:34「戦争とは暴力行為であって、この暴力の行使には限界がない」と言ったのはクラウゼヴィッツだ。ネルフにおいて俗の世界で試みられるのは、常に暴力の行使の際限のない効率の良さを追求した「工夫」のための労働である。しかしこの暴力の行使は、俗の時間においては禁止されている。
2010-05-18 23:23:13しかし基本的に禁止されている暴力の行使は、ある条件のもとでは解除され、違犯してもよいとされる。ネルフの場合は使徒出現時にそれが該当する。使徒の出現の仕組みについては、劇中ではほとんど飾りにしかなっていない位相空間について取り上げた知人の投稿がある。
2010-05-18 23:24:06使徒と光の巨人-The Angels and a Shining Man of gigantic stature- →http://ht.ly/1MyL3
2010-05-18 23:25:25さて、あからさまに死についての意識を煽られる対象となった使徒は、上層部においては補完計画のため、下層部においてはその計画の実態が不明のままでも、自身のあるいは全人類の生存のためという違いがあっても、どちらにとっても聖性を帯びた生贄として捧げられるということについて掘り下げよう。
2010-05-18 23:26:01供犠(犠牲)は熱狂であり、共通労働組織を構成する個々人の内奥性がその中で取り戻される。暴力がその原理である。だが、時空の面で労働がそれ(暴力)を制限する。共通物を結合し合わせるその解放は、俗なる時間の労働の中に彼らを縛り付ける。『呪われた部分』
2010-05-18 23:26:32