真筆御書から読み解く日蓮の文字曼荼羅の主題の下に必ず書写された「日蓮」の二文字の意味と人法一箇論

今までに日蓮本仏論を二つほどまとめましたが、 https://togetter.com/li/1235285 https://togetter.com/li/2151216 これが三回目でかつ、最後のまとめとなりそうです。
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komekome39 @komesandazo

加えて、この神力品の宝塔の下の娑婆世界で説法する釈尊の文上と文底の意味は、間接的だが撰時抄にちゃんと説かれているのだ。それをこれから引用しよう。 「前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのり 続

2023-09-16 13:27:59
komekome39 @komesandazo

をかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時・十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経

2023-09-16 13:29:07
komekome39 @komesandazo

南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし」 「彼のにくみつる一の小僧」とは宝塔の下で南無妙法蓮華経を説法する大聖人のことである。南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経。ここで神力品にはない題目が登場している。即ち、法華経の文上・文底の二重構造を示しているということだ。 続

2023-09-16 13:32:05
komekome39 @komesandazo

さらに重要なのがこの御書の後半部分。 「大蒙古国・数万艘の兵船をうかべて日本をせめば上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて各各声をつるべて南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、日蓮の御房・日蓮の御房とさけび候はんずるにや 続

2023-09-16 13:34:32
komekome39 @komesandazo

(略)提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱えたりき、仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを業ふかくして但南無とのみとなへて仏とはいはず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらんふびんふびん」 続く

2023-09-16 13:35:27
komekome39 @komesandazo

仮に釈尊が文字曼荼羅の中心であれば、「南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、教主釈迦如来」とならなければならない。「日蓮の御房」となる道理はない。そして「南無日蓮聖人」、これは南無妙法蓮華経の、そして日興のいう御経聖人や法花聖人の別名と言えるだろう。

2023-09-16 14:12:40
komekome39 @komesandazo

これで南無妙法蓮華経の下に必ず大書された日蓮の文字の意味が御書と法華経から証明できたと言えると思う。 「法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺るように摺りあらわした御本尊」と先程引用した御書にあったが、正にその通りだろう。 続

2023-09-16 14:17:29
komekome39 @komesandazo

虚空に浮かぶ宝塔の下で法華経を説法する釈尊を、宝塔内の十界の衆生が一斉に崇拝して「南無釈迦牟尼仏」と合掌したという神力品の記述を文底から読んだものこそが、大聖人の文字曼荼羅の元になっているという捉え方は、日蓮正宗、或いは他の日蓮宗にはあったのか? 続

2023-09-16 14:31:29
komekome39 @komesandazo

私の知る限りでは、そのような解釈は日蓮宗のどの宗派にも存在しない。須田論文で須田氏は www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/p… 撰時抄の「南無日蓮聖人」という記述は日蓮本仏論を表している考えており、そうしたものを元にして私が考察した解釈だ。しかしながらこの解釈は正しいと思わずにはいられないな。 続

2023-09-16 14:37:48
komekome39 @komesandazo

なお、大曼荼羅の中央に大書された日蓮の文字は、文底のみならず、文上に現れるお姿と解釈することも可能だと思う。理由は、釈尊が座っていた如来の座に交代で座り、釈尊その他の十界の衆生が、「南無日蓮聖人」と礼拝するからだ。即ち、文上で既に、釈尊の脇士の上行と釈尊の立ち位置が入れ替わるから

2024-01-10 23:06:35
komekome39 @komesandazo

非常に面白いのは、戸田先生の獄中での体験が、この神力品の箇所と完全に重なることだ。 spi2002.web.fc2.com/sidout3.htm この箇所がそれ。 「彼は自然の思いのうちに、いつか虚空にあった。数かぎりない、六万恒河沙の大衆の中にあって、金色燦然たる大御本尊に向かって合掌している、彼自身を発見した

2023-09-16 14:45:50
komekome39 @komesandazo

もう一つの重要な記述がこれ。人間革命一巻より「虚空会の儀式が、そのままの姿で御本尊に厳然として認められているpic.twitter.com/7qOVWSYNGU

2023-09-16 14:50:15
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komekome39 @komesandazo

仮に神力品の「宝塔の下で説法する釈迦に一切衆生が合唱する」という箇所が文字曼荼羅図顕の元となっているという考え方が日蓮正宗にあったならば、戸田先生の獄中での悟りは、アンチくん達に、それを元に捏造したのではという疑いをかけられても仕方がないだろう。しかしそのようなものはない。 続

2023-09-16 14:57:09
komekome39 @komesandazo

合唱 ❌ 合掌 ⭕️ 誤字訂正

2023-09-16 15:41:55
komekome39 @komesandazo

即ち、日蓮正宗の誰かに教えられたものでもなく、私のようにあれこれ御書や法華経を引用して理論理屈で導き出したものでもなく、文字通り自分の生命で、御本尊に図顕された世界観を感じ取ったと考えるべきだろう。「日蓮となのる事自解仏乗」寂日房御書 と御書にあるが、戸田先生の体験は正にこれだな

2023-09-16 15:03:03
komekome39 @komesandazo

それでは仏=生命と解釈した戸田先生の悟りはどうなのか?仏を生命と解釈したのは実は戸田先生が最初ではないようだ。これは御書を真意に解釈すれば出てくる答えだと言えそうだ。しかし、無量義経の三十四の「非」を生命の表現と解釈したのは戸田先生が初めてではなかったかと思う。 続

2023-09-16 15:08:29
komekome39 @komesandazo

無量義経の三十四の「非」は生命を表しているという解釈は実は御書に説かれている。それは私の知る限りでは一生成仏抄のみ。しかしこれは中古天台本覚思想が濃厚という理由で身延派に勝手に偽書扱いされており、身延の御書には当然掲載されていない。身延の御書しか手に入らなかった当時、 続

2023-09-16 15:12:48
komekome39 @komesandazo

戸田先生がこの御書を読む機会はなかったのではないかと推測できる。この御書を戸田先生は読む機会があったのか否か?これは研究材料だな。即ちこの悟りというのも、誰かの意見を参考にしたのではなく、戸田先生の真剣な祈りにより、自力で悟った可能性の方が高いことになる。

2023-09-16 15:15:57
komekome39 @komesandazo

こうした御書解釈から見た場合、戸田先生の獄中での悟りは捏造などではなく、真実の話であった可能性が圧倒的に高くなる。又、この話を否定したいアンチ君たちによって散々騒がれた牛乳瓶の蓋で作った数珠の話も、捏造ではなく真実であったことがここで検証されている。 note.com/lionking_youth…

2023-09-16 15:21:04
komekome39 @komesandazo

なぜ牛乳瓶の蓋で作った数珠はインチキだという主張を血眼になってするかというと、戸田会長先生の獄中での悟りをインチキ扱いしたいから。即ち創価学会の信心は全てインチキであると。ここに繋げたいわけで、黒い意図が透けて見えるな。この主張、確か某書物で取り上げられ、それが拡散されたのでは?

2023-09-16 11:57:10
komekome39 @komesandazo

蛇足になるかもしれないが、現証から見た釈迦本仏論と日蓮本仏論というものを多少追加しておく。その理由は「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」三三蔵祈雨事 とあるためだ。 大石寺の中心となるものは当然日蓮本仏論だが、これを覆した法主がいた。

2023-09-16 18:24:22
komekome39 @komesandazo

その人物こそ大石寺第17世法主日精。寛永14年に二度目の法主の座に着くと、次々と仏像を建立したことで悪名高い。その目的は、釈迦の仏像で信徒を勧誘して金儲けという日蓮を悪しく敬う行為。しかもこの法主は、大石寺を金銭的に助けたということで、堀日亨に否定される前までは中興の祖とされていた。

2023-09-16 18:33:12
komekome39 @komesandazo

「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」種種御振舞御書 この御書には真筆はないが、内容には問題はない。さて、この法主日精が二度目の法主の座に着いた寛永14年(1637年)とはどのような時代であったか?自界叛逆難に相当する島原の乱が発生している。江戸時代最大の内乱だ。

2023-09-16 18:38:06
komekome39 @komesandazo

さらにこの内乱から3年後、寛永の大飢饉という江戸四大飢饉まで発生しているのだ。某氏は当然これを偶然の一致と笑って否定するだろう。当然科学的に見ればそうだろう。しかし、このような偶然の一致が起きたということは歴史的事実なのだ。逆に、身延の釈迦本仏論を学会が小樽問答で打ち破った時代は

2023-09-16 18:42:58
komekome39 @komesandazo

どうであったか?仮に身延の釈迦本仏論が正しいのであれば、「同時に二仏に亘るか将た又一方は妄語なるか」石本日仲聖人御返事 という大謗法が栄えた時代となる。国が滅びることはあっても栄えることなどないはずだ。ところが日蓮正宗創価学会の時代は、一億総中流、Japan as Number Oneなどと評され

2023-09-16 18:55:05
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