「宗教」とは本来キリスト教みたいなものや仏教みたいなもの程度の定義の言葉で普遍的ではなく…かつて神道も宗教ではなかった話

宗教の定義
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DJ プラパンチャ @prapanca_snares

〇すでに水没したジルニトラは水没しない。まだ水没していないジルニトラも水没しない。すでに水没したジルニトラとまだ水没していないジルニトラを離れて、現に水没しつつあるジルニトラは水没しない △色のない緑の考えは猛烈に眠るというわけでも眠らぬというわけでもない ロT-34 ShockとDJプラパンチャは同一でも別異でもない

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DJ プラパンチャ @prapanca_snares

「宗教」という概念を特に疑問を覚えることなく用いている人は多いようだ。だが、そもそも現在の我々が考える「宗教」という概念は、明治以前には存在しなかった近代的な構築物である。「宗教」という概念それ自体を疑ってみる必要があるように思うので、少々長くなるがこの問題について述べてみたい。

2023-10-24 13:33:21
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

まず、日本語の「宗教」という語は、ラテン語のreligioを語源とするreligonやreligieなどの西洋語の訳語として新しく創作されたことばである。漢訳仏典などには「宗教」という文字列は登場するが、これは「宗派の教え」といった意味であり、キリスト教や仏教などを一括りにする概念などではなかった。

2023-10-24 13:33:33
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

現在の我々が考える「宗教」という概念の用例を遡っていくと、明治維新あたりで途絶えてしまうのである。「確かに『宗教』ということばはなかったかもしれないが、それに対応するものはあったのではないか」と思う方もおられるかもしれないが、これから述べるようにそこに問題があるのである。

2023-10-24 13:33:49

黙雷と宗教定義

DJ プラパンチャ @prapanca_snares

現在の我々が考える「宗教」という概念の成立に影響を与えた人物の一人が、浄土真宗本願寺派僧侶の島地黙雷(1838-1911)である。黙雷が活躍した明治初期は、仏教が廃仏毀釈やキリスト教に挟まれ、仏教の消滅すら危惧された時代である(黙雷は生涯に渡ってキリスト教批判を続けた)。

2023-10-24 13:34:04
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

黙雷は欧州に渡った日本最初の僧侶の一人で、欧州で彼は、キリスト教などについて学ぶだけでなく、それらを理解するための「宗教」(religonの訳語である)という新しい枠組みを獲得した。そのうえで黙雷は、仏教は「宗教」であるが、儒教や神道は「宗教」ではないと論じたのである。

2023-10-24 13:34:18
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

ここで重要なのは、黙雷が語った「宗教」という概念のモデルになっていたのはキリスト教だったということである。ミもフタもない言い方をすると黙雷の論理は、「仏教は(儒教や神道よりも)キリスト教に似ているから、仏教は宗教である」という構造をしていた。

2023-10-24 13:34:33
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

黙雷の論理では、キリスト教は敵であると同時にモデルでもあったのである。黙雷はその一方で、キリスト教はミトロジー(神話。黙雷は「古神教」などと訳している)→カトリック→プロテスタントという順で進化してきたとも論じている。プロテスタントがキリスト教として最高のものだというのである。

2023-10-24 13:34:48
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

黙雷はこの進化の図式を日本に適用して、ミトロジーは神道、カトリックは真宗以外の仏教諸宗派、プロテスタントは真宗にあたると論じている。真宗は占いや祈祷を禁じ、阿弥陀仏のみに帰依する点で、日本のプロテスタントであり、真宗以外に日本に「宗教」らしいものはないとまで言うのである。

2023-10-24 13:35:03
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

なんだかどこかで聞いたような話だが、ここには、敵にしてモデルでもあるキリスト教への近さを競う思考法がある。またこれは、「宗教」というのは、その来歴からしてキリスト教をモデルにした側面が強い概念だということでもある。

2023-10-24 13:35:20
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

ともあれ、黙雷の説は煎じ詰めると、キリスト教に似ているから仏教も宗教であるという構造になっていた。これでは、仏教はキリスト教よりも優れていると主張するのは難しい。この問題を乗り越えたのが井上円了(1858-1919)という人である。

2023-10-24 13:35:33

円了と宗教定義

DJ プラパンチャ @prapanca_snares

円了は、西洋哲学の枠組みを活用しつつ、仏教はキリスト教よりも「合理的」であり優れているという議論を構築した。円了の議論が妥当かどうかはともかく、これでひとまず、仏教は堂々と自らは「宗教」であると主張できるようになった。

2023-10-24 13:35:47
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

かくして「宗教」という概念が輸入されると、儒教や神道は「宗教」なのかという問題が出てくる。儒教は基本的に自らを「学問」「非宗教」として位置づける道を選んだが、神道では対応が分かれた。神道では、例えば黒住教のように教派を形成したものは「教派神道」と呼ばれて「宗教」として扱われ、

2023-10-24 13:36:00

仏教・キリスト教が宗教、ゆえに神道は宗教に非ず

DJ プラパンチャ @prapanca_snares

そうでない神社は「非宗教」として扱われることになったのである。なぜこんなことになるのかというと、当時は「宗教」というのはキリスト教と仏教のことであり、教義や教団組織など、両者に共通する要素を備えていてこそ「宗教」であり。それらを欠くものは「宗教」でないと考えられていたからである。

2023-10-24 13:36:15
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

多くの宣教師も僧侶も神職も、福沢諭吉や井上毅や伊藤博文や久米邦武などなど宗教的にも政治的にも立場が異なるいろんな人々も、教義も教団組織もはっきりしないように見えるものは「宗教」ではないと考えていた。当時の「常識」では神社は「宗教」ではなかったのである。

2023-10-24 13:36:28

宗教の概念に普遍性はない

DJ プラパンチャ @prapanca_snares

現在の我々は神社は「宗教」ではないと言われると違和感を覚えるが、当時は全く変でもなんでもなかった。これは、「宗教」という概念が何ら自明なものでも固定的なものでもなく、その内実が時代によって変化してきているということでもある。

2023-10-24 13:36:44
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

このような混乱が生じるということは、「明治以前に『宗教』ということばはなかったかもしれないが、それに対応するものはあった」という考え方には問題があり、キリスト教をモデルに創作された「宗教」という概念に特に普遍性があるわけではないということである。

2023-10-24 13:37:02
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

現代でも時々「儒教は宗教なのか」「神道は宗教なのか」などということが問題になることがある。その淵源には、以上のような「宗教」概念の受容の歴史が横たわっている。ひと昔前の日本全国のおかあさんは、マリオもドラクエもFFもぷよぷよもストⅡも十把ひとからげに「ファミコン」と呼んだそうだが、

2023-10-24 13:37:16
DJ プラパンチャ @prapanca_snares

「〇〇は宗教なのかそうでないのか」などと論じたりしている我々は、ひと昔前のおかあさんを笑えるのだろうか。そもそも「宗教」という概念自体がプラパンチャ(ことばの虚構)であり、そうした問い自体がそもそも成立しないのではないかという視座も持っておく必要があるのではないか。

2023-10-24 13:37:51

日本人は無宗教なのか

DJ プラパンチャ @prapanca_snares

少し伸びているようなので、もう少し話を続けてみようと思う。以上のことを踏まえると、「日本人は無宗教なのか」などといった類の議論にも、異なるアプローチができるのではないかのではないかと思われる。

2023-10-24 17:19:57