悉若無の幻想哲学講義 ヴィトゲンシュタインから幻想郷へ①
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シッタカブッタ「ブッタさまブッタさま、心とはなんでしょうか」ブッタ「それなら、心というものを持ってきてくれよ。そうしたらお話してあげるよ」
2011-12-13 23:41:09カバの話をするときには実際、カバがいるからその話ができる。上条当麻の話をするときには、実際(お話の世界に)上条君がいるから、その話ができる。では、「愛」とか「神」とか「心」…・また「哲学」「主観」「客観」の話をするには?
2011-12-13 23:44:03ウィトゲンシュタインの言ってることによれば「語れることは世界のことである」んだから、きっと言葉にした以上、その世界があるんでしょう。でも、どこ?この世界であるというなら、この世界から持ってきてくださいよ、その、「愛」とか「哲学」とかを。
2011-12-13 23:45:20それがあることがわかったら、それについての命題の話ができる。つまり「なにが○○なのか」を見せるモノがあるからその話ができるわけだけど、それがこの世界に、なんと、ない!!じゃあ議論できないじゃん!どうしよう!…そうだ、意味をつければいいんだ。
2011-12-13 23:46:32よし、レッツ・意味定義!!これはこういう意味だ、こういう意味だ…。こうすれば、この意味を使って、「心」の話ができるぞ…できるぞ…でも何の話…心の定義を決めて、でも決めた定義も言葉使ってるから、またその定義使って…あれ?
2011-12-13 23:49:44ボク、なんか、「心」の話がしたかったのに、「心の定義」の問題ばかりで迷ってない?これって、本当に「心を探してる」っていえるのかな?じつは「心って何かとは何か」って探してないか?
2011-12-13 23:51:08そう、このことがすべてのテツガクテキな言葉には当てはまるのです。てことは、哲学者は、いつもこんなところで戸惑っている。アホなんですそういう意味で。
2011-12-13 23:52:03そういうことは、議論しようとするとどうしようもないドツボにはまる。というわけで、テツガクの言葉は、この世界のことについて、語っていないね?語る以前のところで、とどまってるじゃないか。「語りえぬものについては、沈黙するしかない」。コレだ。
2011-12-13 23:53:29語りえぬものとは、とどのつまり倫理だとか道徳だとか、認識論だとか形而上学だとか、よーーーーするに、テツガクだwww。哲学の言葉は、語りえぬものなんだよ、思考の外側なんだよ、ってことを、ウィトゲンシュタインは示したんだ。
2011-12-13 23:54:31さてと、ここで「おい待てよ!でも時間はあるだろうが!習い事の時間とか、勉強する時間とか、時間割とか制限時間とか今何時とか!!じゃあ時計ってあるのかよ!」「私たち、愛し合ってるわよ!愛の話はしちゃいけないの?!」「神はいないってことかよ!!」って思う人たちがいる。
2011-12-13 23:56:09ウィトゲンシュタインは其れに対してはちゃんと答えてくれる。「いいや。別にいいんだよ。いや、逆に言えばさ、そこに愛も、時間も、神も、あるじゃないか!」。…うぉぉ?!さっきないって言ったのに、在るって言ったぁ?!
2011-12-13 23:57:00実は、ここもウィトさんのロジックがある。だって僕たちは、哲学の言葉では「言葉の意味の意味の…・」な話しかしてなかった。でも、今言った「今何時」や「愛してる」や「神を信じる」は、現実あるじゃないか。世界についての語りなのだ。ちゃんとそうなってる。
2011-12-13 23:58:20「今何時ですか?」と聞いたら、それがそういう時間なのです。制限時間、っていうとき、そういう時間なんです。そういう「使い方」でちゃんと、世界の中にあるし、話もしている。そういう事なんです。「時間とは何か?」よりも「いま何時?」の時間の方が、ずっと重要なんです!!
2011-12-13 23:59:44日常的なそいう言葉のほうが、ずっと大切。だって、その「生活」…というか、その「生活ルール」のなかで話をしてますから。こういうのは意味がある、という事でした。これはあらゆることがそうです。「出せ!」と強盗が銀行で言う。それは、間違いなく取り込む洗濯物ではなく金のこと。
2011-12-14 00:01:40こう語り出したとき、強盗にとっては「出せ!」がすでに生活ルール、ルール空間なのです。言い換えれば、なにが言葉を作ってたかって、マジクソ簡単。生き方、生活の仕方で、言葉は決まるのです。それこそ、「語れる言葉」なのです。
2011-12-14 00:03:04で、じつは哲学が意味を持ってくるのも、こういう生活の空間の中でなのよね。だから、哲学は大切にされるんじゃないか。哲学が何について語ってたかって?本来、それはこの世界がどういう風になってるのか、っていう、ソコだったはずだ。
2011-12-14 00:06:50だから、いつも世界から出発してたじゃないか。デカルトだって感覚から出発したし、ソクラテスだって自分の無知から出発した。
2011-12-14 00:07:43ウィトゲンシュタインの警告は、同時に「哲学、頑張れよ!」っていう励ましの言葉でもあったのだ。テツガクを、ほんらいの哲学にいつでももどせるように治療法を用意してくれたのだ。かっこいいねー!ヴィトゲンシュタイン!
2011-12-14 00:08:38ウィトゲンシュタインの話はこれが最後だ。そう、僕達は語っている哲学の、その指し示す世界に、いつでも戻れるようにならなければならない。その戻る場所とは?日常のこの暮らし、人生に他ならない。人生で生きていくためには?そんな哲学の言葉の迷いに惑わされないことだ。
2011-12-14 00:10:50つまり、いつもの暮らし、自分たちの生活に戻ればいいのだ。哲学のことを、学んで、そして忘れなきゃいけないのだ。『ハシゴを昇ったら、そのハシゴを取っ払わなきゃいけない』 http://t.co/IQQvrrh2
2011-12-14 00:15:16お墓に眠るウィトゲンシュタインは、その中で、ずっとずっと僕たちに、「さあ、ほんとうの哲学を続けようじゃないか!」とエールをおくっているのだ。そのエールは、いつか捨てられるハシゴなのさ。
2011-12-14 00:16:36で、ここなの。ウィトゲンシュタインを僕は一つ、批判というか、進めてみたい。僕の話は、実はここからです。そう思って、気持ちを考えてみれば、お墓から声が聞こえてくる。この、聞こえてくる声…つまり、想いというのは、言葉?それともそうじゃない何か?
2011-12-14 00:18:33言葉は生活が決めるんだよね。言葉の意味の意味の…・って迷っちゃだめなのよね。ていうか、言葉ってただの記号で、それこそまさに、(ソシュールじゃないが)意味をつけているのは読み手、なんだよね。本来的に、メッセージはそのはしごにも、お墓にも、ない。
2011-12-14 00:19:45これは音楽も同じだ。音が流れてくる。歌詞が在ろうとなかろうと、そこには何かしらメッセージがある。メッセージがない曲も、『無為』という、無のメッセージがある。そうじゃなかったら、「4:33」はありえないし、「泉」もあり得ない。
2011-12-14 00:20:43想いを読み取る力があれば、たとえばウィトゲンシュタインのお墓からは「これがお前が昇り、そして捨てるべきハシゴだぞ、がんばれ」って響く。トイレからは、「俺はトイレだよ!デュシャンの藝術なんかじゃないよう!」って聞こえる。そして、デュシャンの「だからこそここに出したのさ!」って声も。
2011-12-14 00:22:24