悉若無の幻想哲学講義 ヴィトゲンシュタインから幻想郷へ①

本日の長々としたツイートを、こちらに投稿。のちまとめて、ピクシブのほうにルポするかもです。これは前編。哲符「ヴィトゲンシュタインと東方Projectの境界」(笑)
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

こういうのをいわゆる「差延」とかなんとか言うのですが、こう立ち現れてくるものはもはや、「行間」でもなんでもない。いや、それこそまさに、ヴィトゲンシュタインやエーコのようなただの「使用」じゃない。使用して、それを超えたところに声が響く。聴こえないこともあるけどね。

2011-12-14 00:23:57
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

その、在りもしない領域に生まれたものは何か?これって、「幻想」じゃないだろうか?…つまり、他人と話すとき。挨拶をするとき。いただきますといって食べるとき。みんなで一緒になって何かするとき。何かに塗れるとき。このとき、在りもしない外側とのコミュニケーションが起っている。

2011-12-14 00:25:08
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

その在りもしないコミュニケーションが、ウィトゲンシュタインの声を、お墓から聞く。お墓はしゃべってもないし、テクストも提示してないのに、だ!!!

2011-12-14 00:26:23
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

…詩人が、「木がこちらを見ている」という。これも同じじゃないか?メルローなんかが言うように、観るものとみられるものの両義性、主客未分化が、その関係を逆転させて感じさせる。しかし、そうさせるのは、「使用」でもなく、「戯れ」(バルト、デリダ他)でもなく、それを超えたものでは?

2011-12-14 00:27:46
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そ・れ・って・・・「穴」じゃないの?…これが僕の問い。そう、哲学も、「穴」をあけるからこそ、その意味が、気持ちが、想いが、伝わってくる。オモイーガー)ry

2011-12-14 00:28:35
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