cozycube さんの #掛算 に関するツイート
0についての掛け算については注意したほうがいいかな。自然数の中でも恐ろしく特殊な数だから。「3個のりんごを0回友達にあげた。」と「0個のりんごを3回友達にあげた」は意味が違うから、3×0と0×3は違うという詭弁が横行しかねない。割り算の0÷0はもっと深刻。 #掛算
2011-12-24 23:52:09この問題(掛け算順序を始め理不尽な教育指導法)が何処で発生しているか分からない、そもそも何も知らない癖にいっぱしのを利きたがるようだ。多くの疑似科学・似非医療と同じく、専門家の批判にさらされる論文といった学術的手続きを避けて広まっている。似非教祖のいる場所での行動が必要。 #掛算
2011-12-25 04:32:15つまり何とかすべきは、掛け算順序についていえば、数学や教育学などの歴史的な定説などではなく、世間に流布する俗説の類。たとい学術専門家の大半が掛け算順序の無意味性に同意してくれても効果は薄い。何が問題かさえ意識してない少なくない数の一般人に一から意識してもらう必要がある。 #掛算
2011-12-25 04:38:08さらに言えば、正直なところ現状では大きな問題とは言えないかもしれない。多くは結局掛け算順序は自由と学んできたし、大の大人で掛け算に本当に順序があると思っている人(教え方ではなく)は少数。まだしばらくはこのような問題が小さくて隠れている状況は続くはず。 #掛算
2011-12-25 04:45:33しかし、怖いのは問題が指数関数的な拡大再生産の様相、つまりネズミ算式に「掛け算には正しい順序があるのが算数・数学」と思う人が増えて行くことがほぼ確実なこと。問題が顕わになったら止めようがない可能性は考慮しておくべき。問題が小さく制御できる今のうちに手を打つべき。 #掛算
2011-12-25 04:48:26掛け算順序は氷山の一角と仰る声がありますが、本当にそう。億、兆といった大数を読むのに苦労した子が、自分で気が付いて4桁毎に印を打った。日本語の数え方ではそれが読みやすい。でも教師が見咎め、無理矢理に3桁毎に直させた(これは英語流)。「そうするものなんだ!」と威圧して。 #掛算
2011-12-25 04:55:20アメリカ大陸はコロンブスにより1492年に発見されたと教えられ、もう人が住んでるのに発見っておかしいと言った子がいる。教師は「そうなっているんだ!」と威圧し、子どもが「でも日本発見なんて誰も言わないのに」と食い下がると、親を巻き込んでまで、結局はその子を黙らせた。 #掛算
2011-12-25 05:00:18ブランコを眺めていて、振り子の等時性に気が付いた子がいた。振幅や重りに関係なく、振り子を吊るす糸(ブランコだから鎖だけど)の長さだけが周期を決めると。そういう用語を知らないその子は一生懸命、その子の言葉で教師に説明した。振り子を知らない教師はその子を馬鹿扱いした。 #掛算
2011-12-25 05:03:21一方、真面目に教育に取り組みたいのに遮られて困っている教師も多い。たとえば掛け算順序で校長を名乗る人間がOKWAVEで順序が重要と主張してたけど、そうなると一教師ではどうにもならない。校長は規則上非違の無い教師を直接罷免はできないが悪い評定は自由裁量。(続く) #掛算
2011-12-25 05:11:53公立校で評定が一定以下が続いた教師は、教委に委ねられる。教委が動けば配置転換でも何でも出来る。そして校長(経友を含む場合も)と教委は密接に結びついて動いていることが多い。また教委は現場を知らないことが多い。中学校ではクラブ活動に熱心だと理由で飛ばされることもあるのが実情。 #掛算
2011-12-25 05:14:41指導要領や指導書といった、人以外のシステムやルール整備は大事。だけどそれらをいくら整えても、最終的には実状はシステムとルールを運用する人間が作る。実状をルールだけで改善しようとすると、繁文縟礼になり誰もルールを守れなくなり、かえって無法状態が現出する。運用者教育は重要。 #掛算
2011-12-25 05:18:36また掛け算順序を含む少なくとも義務教育までは、その教育論議に参加資格を設けてはいけない。専門知識がある人はそれを活かせばいいけど、「自分らと対等に話したいなら**くらいは知ってないと」などは厳禁。子ども自身も言いたいことはあるだろうし、保護者だって専門知識習得義務はない。 #掛算
2011-12-25 05:24:38各々が各々の知識と立場で参加できてこそ、オープンなで健全な議論になる。幸い今はネット環境があれば、理解度の深さはいろいろになるだろうけど、個別の知識は得られる。バラバラに知識を覚えているだけで威張り周囲を睥睨するスノッブ似非識者こそ有害。今はそれくらい誰でもやれる。 #掛算
2011-12-25 05:29:30もう一般的にと言っていいんだけど、定性的な「かもしれない」論法はやめようよ。子どもが問題にある数字を理解せずに適当に並べただけ「かもしれない」とか、そういうのはきりがない。仮に、可換まで見抜いて式を書いた「かもしれない」と反論しても、水掛論。やるなら定量的などにしようよ。 #掛算
2011-12-25 05:39:58問題文に「いくつ」という言葉がないから、どう解いていいか分からないという子が紹介されてた。これで教える側が算数と国語両方で「しまった、失敗した!」とショックを受けないなら感覚がマヒしてる。国語が暗号読み取り技術と化しているから。国語は言葉で状況を把握する技術でもあるはず。 #掛算
2011-12-25 05:48:01もちろん言葉だけでモナリザの絵を完璧はおろかおおよそを再現することすら事実上困難。詩なども特殊技術が必要。だけど代わりに実用的な論理性は高い。「いくつ」みたいなキーワード操作ではなく、言葉の向こうの論理的状況を読み取ったり、自分から説明できるよう導かなければいけない。 #掛算
2011-12-25 05:53:01さらに電卓など当たり前、小学生がPCで表計算することもある現実に対応した教え方も考える必要がある。さすがに九九は未だ有用と思うけど、あまりに暗算・筆算技術にこだわる必要はない。そろばんも事実上滅びてる。無理数では、昔は√やlogの代表的数値を暗記してた。今は無用ですよね。 #掛算
2011-12-25 06:00:23だとすれば、小学校では分数を含む演算記号の考え方、使い方をよく理解することに重点を置けばいい。また、算数はモノを離れた自然数への抽象化、理科ではモノの何に注目するかという数に付属する単位の考え方と扱い方にこだわるべき。できれば、抽象化が具象化に役立つと分かってもらえれば。 #掛算
2011-12-25 06:04:24中学校に入ると、数字をアルファベットで記号化することを学ぶ。小学校の時、数字に注目した計算技術だけ頑張っていると、ここで敷居が高い。演算記号や単位をよく分かっていると、比較的楽に突破できることが多い。計算は数字こそ大事、と、計算は数字は何でもいいんだ、の違い。 #掛算
2011-12-25 06:11:11この後、数学はどんどん記号操作になって行く。高校に行けば、微分や積分も出て来る(高校物理に応用しないのは個人的に残念と思う)。アルファベットや数学記号だけの式を扱って、使いたい公式を作る勉強なわけ。実際の数字は、それが済んでから入れればいいわけで。 #掛算
2011-12-25 06:14:00だから「算数のコツ」も要らないし「こう固定して考えたほうが楽なはず」も要らない。昔からの名言「数学に王道なし」は今も事実。入り口までは多少トリッキーでもいいことが多いけど、後は平たく平たく、数学のサブセットである算数を通して、数学への道を歩んでもらう工夫が大事なはず。 #掛算
2011-12-25 06:17:081. 物理学でよく言われる話をします。算数にも大いに関係します(でか、そこを説明したい)。現実世界をR世界(Real)と呼び、それを学問的に記述したものをM世界(Math.、Model)と呼びます。この二つの世界は基本的には1対1です。 #掛算
2011-12-25 21:36:432. R世界はありのままの現実世界です。そこには数はありません。りんごが皿の上に乗っていても、りんごにも皿にも数も単位も書いてないからです。長さとか面積とか体積もありません。円状の線が描いてあっても、それに中心とか半径とか円周率とかもありません。 #掛算
2011-12-25 21:39:573. しかし、これでは人間は困ります。原始生活じゃあるまいし、物の売り買いにも困ります。そこで、M世界を頭の中に生み出します。M世界は頭の中だけにあります。M世界の最重要のものは数です。そこにはりんごの個数も皿の枚数もあります。これで少なくとも数えることはできます。 #掛算
2011-12-25 21:42:594. 数えているだけでも、やれないことはありませんが不便です。そこで、加減乗除という基本の4つの演算も生まれました。こっちにりんごが2個、あっちに3個なら、2+3=5で5個。1枚の皿に5個のりんご、それが4組あれば、5×4=20で20個。 #掛算
2011-12-25 21:47:04