欲望の「不自然さ」
ララァは、アムロとシャア、動物的欲望と人間的欲望のあいだの板挟みに苦しむ。彼女はシャアをアムロから庇うように死を選ぶ。これは自殺ではないか、と岡田斗司夫はいう。同感だ。だが、アムロからみれば、シャアがララァを死地に招いたのであり、シャアからみれば、アムロがララァを灼いたのだ。↓
2024-03-31 19:17:04どちらも事実だ。実際、ララァからみれば二人とも大概だ。シャアはララァに「アムロ(いわば今まで愛を交わしていた男)を殺す。手伝え」と求める。普段から世界を目的-連関的に捉えているシャアらしい言葉だ。だが、人の生理を考えれば冷酷にすぎる命令だ。↓
2024-03-31 19:42:38シャアの求めは自然に反している。だが、ララァが「私はシャアのために戦っている」と誤解の余地なく伝えているにもかかわらず、「たったそれだけの為に」と呆けた顔をみせ、よりにもよって、その彼女の眼前で「シャア、覚悟」をやってしまうアムロも大概なのだ。↓
2024-03-31 20:09:50守るべきものもなく戦い続けるアムロを、ララァは「不自然」だと指摘する。人は他者の欲望のために戦う。たとえばララァは《救ってくれた人のために》。それは《人の生きるための真理》だと彼女はいう。だが、世界を糧として成長を続けるアムロには、こうしたヘーゲル的な《真理》は理解できない。↓
2024-03-31 20:09:50重要なのは、ララァの悲劇が彼らの「NT能力の不完全さ」によって生じたものではないことだ。三者の思惟の送受信容量がいかに上がろうとも、この種の「分かりあえなさ」は解消できない。いかに進歩しようとも、人は動物的・人間的欲望の「不自然さ」を抱えて生きていくほかはない。↓
2024-03-31 20:09:51反復される「父」
ララァはアムロを見て《なぜ貴方はこうも戦えるの。貴方には守るべき人も守るべきものもない》《貴方の中には家族も故郷もないというのに》と絶句する。その言葉にアムロは動揺する。鏡像としての父を通じて、彼もそれが「不自然」で不毛な生き方であることを知っているからだ。↓
2024-04-01 05:30:23他方、視聴者はシャアの「不自然さ」(他者の欲望)がどこに発したかも知っている。彼の偽名の人生は、「亡父の復讐」すなわち「死者の代理」として生きることを引き受けたところに始まる。素直な幼子は父代わりの男の愚痴(過去への復讐の言葉)を通して、充たすべき他者の欲望を受け取る。↓
2024-04-01 05:30:23「無意識は他者の語らいである」とラカンは言う。《新たに生まれてくる子どもは、その誕生以前から家族が彼をめぐって形作っている「語らい」の布置の中へと、すなわち、あらかじめ彼に割り当てられている象徴的なトポスへと、生まれてくる。はじめに家族の欲望があって、それが彼を迎え入れる》。↓
2024-04-06 08:47:11(続く…予定)
アムロたちの成長
奴は、奴の労働の対象と相互承認をする
セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム解説を観て初めて気付いたが、「ハロ(アムロのペットロボット)のお世辞」からリュウが学んだことがアムロ達を変えていくって、凄くヘーゲルで、核心をついた話である。↓>youtube.com/watch?v=tdtgo5…
2024-04-12 02:41:08ヘーゲルにおいては《奴は、奴の労働の対象と相互承認をする》(以下引用は高橋一行氏のヘーゲル読解)。無論それは《労働対象が自分の生産物であることを自覚し、そこに自己を見出す》という意味なのだが、あえて「労働の対象=ハロ的なもの」と誤読してもよい。↓>pubspace-x.net/pubspace/archi…
2024-04-12 02:41:08《奴は労働し、労働対象との同一性に達する。自分で作ったものは、自分の一部だということである》。ヘーゲルによれば、人間の歴史はここから駆動する。ところで、労働の対象(以下「ハロ」と呼ぶ)と相互承認するとは、どういうことなのだろう。↓
2024-04-12 02:41:08精神現象学に明確な答えはない。ただ、何でないかは明確だ。それは有名な「承認をめぐる生死を賭けた闘争」ではない。ハロはアムロが設定した答えしか返さない。いわばボタンを押せば反応が返るだけで、その反応がいかに人間的であっても、ハロは欲望を持たず人間ではない(と誰もが知っている)。↓
2024-04-12 07:15:16