水野先生のNHK番組批判とICRPの歴史

京都女子大学の水野義之教授(@y_mizuno)が12月28日に放送されたNHKの「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺れる国際基準」についての批判ツイートのあと、時間をおいてICRPの歴史について連続ツイートされたのでまとめています。
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MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@pririn_ NHKは、あの番組で「素人タレントを使い、ICRPを信頼出来ないと社会に思わせ、社会混乱醸成し、マスコミに衆目を集めるために番組を作った。国民の皆さんはメディアリテラシーを研ぎすませ、騙されないように見るべし」という意味のテロップを流せばよかった(当然冗談)。

2011-12-30 03:13:28
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

それでもNHKさんが告発するように、ICRPも不完全な組織であり、改善すべき点は無数にあることも事実。例えばLNT仮説が仮説であることの意味が一般には理解されず、しかも実際の健康影響とは何の関係もない事実も正しく伝わらず、社会的混乱招いている。でもこれも実は今やメディアの責任か?

2011-12-30 03:18:03
🌸🍀眞葛原雪🍀🌸 @pririn_

どの業界でも指針は経営よりです。引退後の科学者は率直にそれを述べた。信頼を失ったのは、ICRPすら軽視している日本の科学者の方ではないでしょうかRT @y_mizuno NHKは、あの番組で「素人タレントを使い、ICRPを信頼出来ないと社会に思わせ、社会混乱醸成し

2011-12-30 03:18:06
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@pririn_ 「ICRPすら軽視している日本の科学者の方」とは誰のこと?ちなみに私は重視します。でもそこに人知の限界があるよ、金科玉条ではないよ、社会的な線引きだよ、と何度も申し上げて来てます。それはICRP軽視ではなく、せめて「正しく」理解しようという意味の積りですが。

2011-12-30 03:21:48
🌸🍀眞葛原雪🍀🌸 @pririn_

現実とはなにを指しますか? RT @y_mizuno: 1986年に原爆の場所と線量の関係データセット改訂(DS86)。その前(T65D)と2倍、違ったのですね。それで、制限を変えずDDREFで現実に近づけたとも言えます…RT 広島長崎の疫学調査から判明した数字ではない係数

2011-12-30 03:08:45
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

現実=「積算で低線量、かつ低線量率(ゆっくり被曝)という普通の状況」。@pririn_ 現実とはなにを指しますか? @私 1986年に原爆の場所と線量の関係データセット改訂(DS86)。その前(T65D)と2倍、違ったのですね。それで、制限を変えずDDREFで現実に近づけた

2011-12-30 03:25:46
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

しかしNHKさんには残念。信頼されるジャーナリズムのカケラもなくされたご様子。センセーショナリズムと勘違いか?もう他になすすべがないのか。何も知らない人々を騙してはいけない。逆に人々を大規模に騙すのはコレホド簡単だなんて感動的。立派な社会実験をやってくださって感謝している。

2011-12-30 03:55:43
🌸🍀眞葛原雪🍀🌸 @pririn_

何も知らない一般人に知らせたのが騙したになるのですか?私たちが知らないのが悪いのでしょうか? RT @y_mizuno: 何も知らない人々を騙してはいけない。逆に人々を大規模に騙すのはコレホド簡単だなんて感動的。立派な社会実験をやってくださって感謝している

2011-12-30 04:04:59
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@pririn_ 報道の姿勢の問題です。誰がということではないです。というか、今からICRPの歴史(といっても一般向け教科書)を説明します。…でも、すみません。こんな時間。また後日ですみません。

2011-12-30 04:06:53
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ICRPも期待が大きいだけに、大変。これも一つの、改善のために必要な1つの過程なのかもしれない。でもそれだったら、もうちょっと社会的な学びが必要なのではないか。みなが知らないのは当たり前なんだから。どうなっているのか、よく分からない。

2011-12-30 04:10:56
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

原爆被爆者が実際どこに居られ、どれだけ被曝したかのデータは1985年までT65D、以降はDS86と呼ばれる。最近も改訂されDS02。NHK報道のように1986年には2倍変更。だがこれもよく知られた事実。その結果の2倍の差は例えばここで確認。http://t.co/HzZwLx6v

2011-12-30 04:25:06
森本卓哉 Takuya MORIMOTO @Todaidon

@y_mizuno ICRPが改訂を繰り返していることは一般の人でも皆知っていると思います。今回のNHKはそのことではなく、データ採用とガイドラインの決定がサイエンスではなく恣意的なものであったことをICRP委員が証言したこと。サイエンティストを自認するならその責任は免れません。

2011-12-30 04:35:08
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@Todaidon 私は最初からICRPの線引きは社会的なもの(最適化の結果、妥協の産物)であるとを認めてます。防護の社会的管理が目的で厳密な科学ではない。だから当然。証言した、って、委員はDS86当時の処理方法を言っているだけ。雑談も編集の腕次第で大ニュースに出来るのと同じ。

2011-12-30 04:42:45

ここからICRPの歴史

MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

1)ICRPの歴史は1895年のレントゲンによるX線の発見と、1896年のベクレルによる放射能(という能力)の発見(実態はまだ放射線によるとは分からず)、1898年のキュリー夫人によるラジウムとポロニウムの発見に遡る。ちなみに1897年にはトムソンの電子発見。怒涛の20世紀へ。

2011-12-30 16:20:08
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2)ラジウム226は半減期1600年のα崩壊でラドン222になり、その後様々な崩壊を経て天然ラジウム鉱石の放射能は強く、γ線まで出る。世田谷区で経験した通り。ラジウム研究は最初の核物理研究となった。また人工的なX線利用の数ヶ月後には早くも皮膚障害などの放射線障害が発生。

2011-12-30 16:23:39
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

3)ICRPの前身には、このX線やラジウムによる健康障害防止の努力がある。最初は各国ばらばらで、1905年ドイツでX線取り扱いが免許制に。1913年X線取り扱いの規制。1915年イギリスでX線技術者の保護勧告、1921年X線ラジウム防護委員会。1922年フランスでも同様の委員会。

2011-12-30 16:28:05
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

4)1925年、放射線防護基準や線量単位統一のため国際放射線医学総会(ICR)で国際放射線単位測定委員会(ICRU)設立。1928年国際X線ラジウム防護委員会(ICXRP)設立。この頃に量子力学も完成、1932年に陽電子、中性子、重陽子も発見されるなど放射線の研究も利用も進展。

2011-12-30 16:32:44
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

5)国際X線ラジウム防護委員会ICXRPを改組し、1950年にICRPと呼ばれるようになる。1954年ビキニ環礁水爆実験、日本漁船第5福竜丸被爆、大気圏内の原水爆実験を踏まえ1955年国連科学委員会UNSCEAR設置。1957年国際原子力機関IAEA設立など国際体制の整備が進展。

2011-12-30 16:41:08
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

6)ICXRPとICRPを通して、職業被曝限度の歴史は以下の通り。1928年X線取扱者の作業条件。1934年0.2レントゲン/日。ここでレントゲンとは、X線が空気をイオン化する量の単位で、1立方cm当り1静電単位の電荷発生量が1レントゲンで1r(または(1R)と当時書いた。

2011-12-30 16:51:19
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

7)職業被曝、続き。X線の耐容線量0.3r/日の制限は当初、急性と晩発性の皮膚障害防止、その後は医学生物学的知見の進展で放射線誘発ガンにも着目され改定。1950年最大許容線量0.3R/週に。1954年0.3rem/週=3mSv/週。ここでremは古い単位で100rem=1Sv。

2011-12-30 17:02:03
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

8)職業被曝。1958年ICRP最初の勧告で放射線作業者の最大許容集積線量5rem/年=50mSv/年、18歳以上。加えて最大許容線量3rem/3月=30mSv/3月(この付加条件は線量率を下げる方法の1つ)。また、他の作業者では最大許容線量1.5rem/年=15mSv/年。

2011-12-30 17:09:37
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

9)公衆被曝限度の歴史。当初1928~1953年まで公衆被曝は想定なし規制なし。1950年ICRP発足、1954年公衆被曝限度が職業人の1/10→0.03rem/週=0.3mSv/週(約15mSv/年)。1958年も公衆被曝限度は職業人の1/10→0.5rem/年=5mSv/年。

2011-12-30 17:20:27
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

(10)その後今日まで。職業被曝50mSv/年と公衆被曝5mSv/年は1985年まで継続。1985年パリ声明を経て公衆被曝限度が1mSv/年に引き下げ、職業被曝は50mSv/年のまま。1990年からは公衆被曝そのまま、職業被曝50mSv/年に加え、100mSv/5年(率に配慮)。

2011-12-30 17:29:34
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

以上、連続ツイート失礼しました。これらの数字の参考資料は、辻本忠、草間朋子『放射線防護の基礎 第3版』 http://t.co/y1THU8e6 ただし途中で適当に科学史的部分を追記し、また内容を抜粋してます。

2011-12-30 17:34:27
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