デカルトいじめてみた。そしたらテツガクになった。
- L_O_Nihilum
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こういう世界で仮にデカルト的自我を持ったとして、それが思考の末多様化する。で、この多様ってデータだから、このデータをコピーしてペーストすればその自分は別のAIになってしまう(クワイン的な頑固さでゴメンっ!でも覚悟の上)。
2011-12-30 22:52:37「リアルとヴァーチャルが100%区別できなくなったら?」という問いの現実味はここで出てくるんだなぁと思う。そこに私はいない。私とは、データだから。データが実体になってしまう…というか、正確にはデータにしか私と言えず、その私というプログラムもいつ「私性」を奪われるかわからない。
2011-12-30 22:53:59ツイッターならまだ大丈夫。自己批判しますが「ミサカ」の例でもまだ大丈夫な方。だってミサカは個体があり、別々になりえるから。問題は、それが全部できなくなったとき。データ世界の中だけになったらどうよ、という。
2011-12-30 22:54:49ミサカならまだしも。ロックマンEXEはどうよ?彼はペースト作成された自分を自分として扱えるか?取り込めば可能だろう。しかし、同一にプログラムであり、プログラムの世界の自分を自分と思う「ロック」は、突然できた「コピーロック」を他人と認識するよりほかないだろう。
2011-12-30 22:56:31註:しかしロックはデータなのだ。実体ないのだ。でも、原作であるロックがまた原作(シミュラクラ)であるロックに襲われたりするのだ。ロックはたまらなく怖いハズ。光熱斗みたいに身体ある世界にない身体なのだ。流星のロックマンが恋しいハズ。身体を借りれるので。
2011-12-30 22:58:11@L_O_Nihilum うんうん、わかります、それで間違いないと思います。身体の位置付けを自分ではうまく言語化できなかったのです。。。
2011-12-30 22:59:54「多様体」になるのも、やっぱり「一人のワタシ」つまり、例えばネットで言えば「私」を管理しているこのPCの前に座る私。うーむ、でもデカルトの言う私ってはたしてこういう「身体をもった私」だったのか?そこまで考えてたか?(ちょっと待てや悉若無)
2011-12-30 23:00:46@_Haruka_K_ よかった。今ちょうどその悩みとともにはるかさんのご批判を展開していたところです。今こうして「死にたい」とリアリティをもって言えるのって、PCや携帯…何でもいいけど、電脳の前に立つ「この私」があるからですよね。電脳化した私が「死にたい」を言えるだろうか。
2011-12-30 23:02:54@_Haruka_K_ ちょうどデカルトへの解釈もそういうところで僕も厳密性を欠いてしまっているのです。「言語ゲームに惑わされないデカルト」を英雄視しすぎたかも、と思いました。
2011-12-30 23:05:17@_Haruka_K_ 「我」ってデカルトは思ってたって言っちゃうと、はて身体を含んでたか、という疑問が飛んできますねw。「省察」を日記として読め、みたいな意見が昨日の僕の解釈でしたが。その「いいかげんな我定義」を擁護するかどうか。
2011-12-30 23:06:30うん、定義以前に「我」だろう、っていうのはそういう意味でのある種の「絶対性」があるが、「多様体を含む身体を得た我」のツッコミは重要だなぁ
2011-12-30 23:07:46昨日のおさらい:デカルト「うんわかったwwwじゃあもしかしたらそういう意味での我っていないかもしれへん。じゃあ、いないと思ってみてくださいよ。できまっか?」
2011-12-30 23:09:08デカ「ほな、デリダはん」デリダ「ゑ?だってこの想いって借りモンやで」デカ「借りモンって思ってんのはだれか訊いとるのけ」デリ「だから、俺やあらへんのちゃう?」デカ「ちゃうちゃう、今そう思ったの誰?ってか、今そう考えてるの誰?」デリ「誰とかやなくて」デカ「だからちゃうて」
2011-12-30 23:09:33僕の評価の仕方。デカルトは「我とは何か」って戸惑う前に、帰納の結果として例外と出た我を、確かと見てその論証に従っただけヨ。デリダは主体とか我(という形而上学)は脱構築できるとは言ったかもしれないよ。でも、脱構築してるのは、他でもない意思と思考をもつ人間じゃないか。
2011-12-30 23:11:08タコヤキは「うまい」と言う以前に、「タコヤキ」なのです。その「うまさ」は、「うまい」という構造以前に、やっぱ「うまい」のです。 以上。 ←ここまで。これが僕の昨日のデカルト擁護、というかツッコミというか、所謂批判。
2011-12-30 23:12:19@_Haruka_K_様の要約:”でも、そのデカルトのいう我って「身体としての我」まで含むの?” @L_O_Nihilumの要約:答えないで逃げるのもないなぁ、ミサカの例とロックマンエグゼやRefRainの例は大きく違うし(今)
2011-12-30 23:15:37私Bの反論;でもよ。悉若無。それでも絶対的な我…っていうと反則だけどよ、でも私って、つまりオリジナルのワタシって一人しかいないんじゃないかい?「死にたい」って言ったのは、まぎれもなくそこにいる「その人」じゃあないのかい。
2011-12-30 23:17:09私Aの再反論:それさ、だから電脳世界とかだったら話通らないじゃん。私、死にたいとプログラム体のワタシが言ったとして、誰がデリートしてくれるの。デリートしてくれたとしても、どっかに残ってたら復元させられちゃうよ。自分も望んでないのに。その自分、「その私」って言える「私」データなの?
2011-12-30 23:18:35Bがまた言う:うっせーな。そんなのそういう世の中での話だろ?言語ゲームに迷ってんじゃネーヨ A:でもそんなこと言ったらデカルトはテキトーに我ということばを使ったってことになるよ。 B:なんでそうなるんだよー。
2011-12-30 23:19:52で、いまこうしてツイートしたとき、そのツイートをもう一度見ている僕は僕Cであったりする。で、この僕Cを見ている自分はすでにD。E,F,G...。 あ~。 私は遍在するショーペンハウアぁあああ~wwww
2011-12-30 23:21:00とりあえず「我」と生活の悩みとして説いたデカルトはやっぱし頑張ってるんじゃない?(でもシュルレアで掲げられてるらしい「反デカ」の「デカ」が学問上の悩みの、つまり言語迷路の「我」だったかどうかという問題が浮上)
2011-12-30 23:23:33とりあえず、電脳にだけ私、みたいな状態にはしないでくださいー、という僕の気持ちが入ってるか?これ。つまり、MemoryをPrismにしないでくださいー、蓬莱の珠の枝は綺麗だけど飲みたくないよー、みたいな。
2011-12-30 23:24:51一度手を出しゃ、大人になれぬ。二度手を出しゃ、病苦も忘れる。三度手を出しゃ…お前も永遠の苦輪に悩むがいい!! (東方永夜抄 EXボス 藤原妹紅)
2011-12-30 23:26:26