維新後や騎兵の槍術の話

baritsuさんやkokutoumaruさんが面白い話をしていたのでまとめてみました。 合気道開祖が修行した槍術に始まって、日本の槍術がなぜ維新後に衰退したのか、維新後の騎兵隊の騎兵槍まで。
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Kokutoumaru @kokutoumaru

槍について書いたので動画を探してみた。尾張貫流槍術 http://t.co/kgRFnAEY 新陰流を祖とする尾張藩御留流。前手に持った短い管に槍を入れ、ハイスピードで繰り出す槍の威力が凄まじい。鉄の面がねが凹むほど。

2012-01-05 14:04:12
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Kokutoumaru @kokutoumaru

「本来、剣と槍は両輪であり、『剣を知らずに槍を語るな、槍を知らずに剣を語るな』と言われる」

2012-01-05 14:06:01
Kokutoumaru @kokutoumaru

剣道と同じ防具で槍の稽古もしている。かねてからの疑問だが、剣・弓・なぎなた・杖はそれぞれ現代でも剣道(居合道)・弓道・なぎなた道・杖道として継承されているが、なぜ「槍道」「鑓道」は残らなかったのだろうか?

2012-01-05 14:09:52
Kokutoumaru @kokutoumaru

一説には江戸期の早い時期に槍が廃れてしまったからではないかとも言われているが、今一説得力に欠けると思う。

2012-01-05 14:11:24
Kokutoumaru @kokutoumaru

槍の操法は銃剣道や杖道に受け継がれているという言い方もされるが、槍そのものとはやはり違う。戦国時代以前には弓と並び武士の象徴でもあっただけに、槍術を武道として復興する動きはあっても良いのではないかと思う。

2012-01-05 14:19:27
Kokutoumaru @kokutoumaru

槍のことでリンクを辿るうち、宝蔵院流槍術20世宗家で代議士や奈良市長などを務めた鍵田忠兵衛氏が先月急逝していたことを知って驚いた。御冥福をお祈りします。宝蔵院流、伝承は大丈夫なんだろうか。

2012-01-05 15:41:55
Kokutoumaru @kokutoumaru

http://t.co/8LKZGO5U 「長年、鍵田を愛して下さった皆様へ 鍵田の家内よりご挨拶申し上げます 平成23年12月16日、夫・鍵田忠兵衛は永眠致しました。」

2012-01-05 15:48:07
みんみんぜみ @inuchochin

廃れたのは明治以降です。幕末は槍の他流試合も盛んでした。槍は長刀よらさらに長いですから、なかなか道具そろえたり、稽古するのが難しかったようですRT @kokutoumaru: 一説には江戸期の早い時期に槍が廃れてしまったからではないかとも言われているが、今一説得力に欠けると思う。

2012-01-05 17:25:05
みんみんぜみ @inuchochin

剣、柔、長刀が現代における立ち位置を見つけられたのと違い、前記の欠点のためか、上手く近代に居場所を見つけられなかったんでしょう。RT @kokutoumaru: 戦国時代以前には弓と並び武士の象徴でもあっただけに、槍術を武道として復興する動きはあっても良いのではないかと思う。

2012-01-05 17:25:47
みんみんぜみ @inuchochin

槍だけじゃなく、幕末の名流儀の全てもあんなに盛んだったのにほぼ全滅。まあこれは剣道(柔道)になっただけなんだけど

2012-01-05 17:35:36
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin @baritsu 御教示感謝です。確かに幕末には高橋泥舟や山形有朋ら槍を使う著名人もいたので、廃れていたとは考えにくいです。稽古スペースの確保という点でも弓道は残ったのになぜ槍は?という疑問が。

2012-01-05 20:16:30
Kokutoumaru @kokutoumaru

弓矢も作るのに熟練の職人が要るため大変高価で、道具を揃えるのも大変です。なぎなたは女子の武芸として奨励されたため「近代に居場所を」確保できたんでしょうね。槍には何が欠けていたのか、難しいところです。

2012-01-05 20:19:47
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru たしかに弓は場所もとりますし、道具も高価ですよね。しかし弓は他の武術と毛色が違うからか、哲学、修身、宗教的な受け取られ方をしたのでは?有名な弓と前回という外国人の本も有りますし。弓術は他の武術と比較してもずっと古いですしね

2012-01-05 21:13:41
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru 槍ほどではないですが、柔術の中の捕手の技術や小具足の技術もあまり残りませんでした。槍はなにが理由になったか難しいところですが、上手く大衆化する人がいなかったんでしょう。ただ間違いなく長さは大きな理由だとは思います。多くの流派が3m以上のものですし。

2012-01-05 21:17:48
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin なるほど。大衆化のきっかけが無かったと言えるかも知れません。剣は西南戦争の抜刀隊の活躍で、戦場での有効性を再認識され復活したと言われていますが、槍にはそういう機会が訪れなかったと。

2012-01-05 21:46:04
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin たとえばもし日露戦争の時、コサック騎兵は長槍を使っていたそうですが、もし対コサック騎兵戦で日本騎兵隊が槍を使って勝利した、という戦功でもあれば、槍が復活していたかも知れません。

2012-01-05 21:51:50
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin 欠点を覆すに足るような、そういう契機を得られなかったことは歴史の不可抗力としか言えませんね。運が無かったと。残念なことだと思います。

2012-01-05 21:54:57
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru 剣術は武士階級から百姓までたくさん修行者がいましたし、一応実用性もありました。槍は実用性や大衆化については銃剣に譲ってしまいましたし、確認してませんが、剣に比べて修業者が武士階級に偏っていたようです。

2012-01-05 21:56:17
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru 槍も戦前の武徳会では結構いたようですが、あとが続いてませんね。まあ、銃剣道になったと考えるのが一番妥当かと思います。まだぽちぽちと表に出てない槍術流派もあるようですが。

2012-01-05 22:03:19
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin 近代で槍が大衆的に復活した可能性があったとすれば、大東亜戦争末期の竹やり訓練ですかね。しかしあれは物資不測の困窮時でもあり、期間も短すぎた。敗戦後は軍国主義の象徴ともなり、封印されるしかなかった。

2012-01-05 22:04:26
Kokutoumaru @kokutoumaru

あの竹やり訓練に槍術がどういう役割があったか無かったかという話もないし、有っても封印されるかも知れません。

2012-01-05 22:05:32
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru 竹槍のあの長さだと、槍ではなく手槍や銃剣ではないでしょうか?やはり槍というからには九尺以上はないと。六尺棒と二間槍でおなし形をやってみると素人的にも感じが違いますし

2012-01-05 22:12:45
みんみんぜみ @inuchochin

@kokutoumaru そういえば馬上槍に限らず日本では馬上の武術は馬術にふくまれてます。馬上槍は槍術の中では心得的な感じのようです。しかしコサックとは長やり使うんですね

2012-01-05 22:25:20
Kokutoumaru @kokutoumaru

@inuchochin 私は槍の定義については不案内なので勉強になります。ありがとうございました。最近はスポーツチャンバラでも槍は有効距離が長く有利として人気があるそうですね。植芝盛平も槍には特に愛着があったようですが、武道として槍が注目されることを門外漢ながら願っています。

2012-01-05 22:56:42
ちていのき @baritsu

竹槍については槍術応用で使用法を作ろうと思ったけど、時間も無いし、それで十分だからと銃剣術で行うことにしたってどっかで読んだような記憶があります RT @kokutoumaru: あの竹やり訓練に槍術がどういう役割があったか無かったかという話もないし、有っても封印されるかも

2012-01-06 00:40:06