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dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
相変わらず部屋をテラフォーミングしていたら、修論書いてたときの資料コピーが出てきた。そういや、この資料で戦前・戦中日本の車両生産能力の貧弱さや、生産管理が破綻せざるを得なかった実情について記事書けると思ってたけど、放りっぱなしにしていた……
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
簡単なまとめの意味を兼ねて、今つぶやいちゃいます QT: @wenly_m: ネット上での発表に期待 RT @dragoner_JP: この資料で戦前・戦中日本の車両生産能力の貧弱さや、生産管理が破綻せざるを得なかった実情について記事書けると思ってたけど、放りっぱなしに
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
部屋のテラフォーミング中で散らかっているので、とりあえずPCの前に椅子を持ってこないと…
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
@wenly_m いや、あくまで簡単なまとめです。いずれブログで記事として書くときの為の覚書みたいなもん
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
まず初め。自動車の大量生産の起こりは有名すぎるT型フォードに代表されるフォーディズム。単車種の大量生産によるコストの大幅削減がアメリカのモータリゼーションを促したけど、この有名すぎる生産方式は実はアメリカとソ連でしか成功していなかった
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
T型フォードはヘンリー・フォードの意志で1車種、色は黒しか無かった。そこにGMやクライスラーが多種多様な自動車を持ち込み、T型フォードに飽き飽きしていた消費者を掻っ攫った。アメリカでもあまり純粋なフォーディズムは長続きしなかった。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
遅れてモータリゼーションが来たヨーロッパや日本ではフォーディズムはそれほど定着しなかった。GM型の多様な車(といってもそんな多種じゃないけど)が生産された。ただ、社会主義国家のソ連ではぶっちゃけ消費者の嗜好なんて我関せずなので、フォーディズムは受け入れられていた
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
陰謀論の本では、ナチス政権下のドイツにフォードが工場や技術移転を行ったのは、Hフォードのユダヤ嫌い・親ナチス思想から来ているとしている。でも、実は当時のフォードは他国への生産基盤の移転・技術供与に熱心な会社だった
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
現にフォードはソ連にも工場や技術を移転していた(もっとも後に強制接収されるが)。トヨタともエンジン等のコア部品のライセンス生産・技術供与も含めた交渉を行っていたと、後のトヨタ自販社長の神谷は述べている。神谷によると日産と陸軍に潰されたとしているが、ここの経緯は不明
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
戦前、日本で最大の自動車供給元はクライスラーの横浜工場だった。もっとも、ノックダウン生産なのでコア部品はアメリカからの輸入。自前ではコア部品作れなかったことを考えると、フォードの申し出は破格とも言える内容だった。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
ご存知の方も多いと思うけど、戦中のアメリカ戦車エンジンの最大供給会社はフォード。信頼性のあるフォードのエンジンが日本国内で生産できていたらどんなにステキだっただろうかは夢想するに留めておく
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
さて、戦中の日本軍部はこの状況をよしとしていなかった。自動車化・機械化が各国では進んでいるのに、なんで日本はまともな自動車つくれんのじゃー、と不安と不満で胸いっぱい
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
と、お腹が空いたので夕食。しばらく中断
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
@br117 潰したとされる日産の鮎川義介は、なんか違うこと言っているようなんですよね。両方の言っていること聞いて判断したいと思います。グランプリ出版の本も併せて
ななリス @nana_lis
@dragoner_JP 手元の桂木洋二著「苦難の歴史 国産車づくりへの挑戦」だと鮎川がGMと提携しようとしたのを陸軍が妨害みたいな話ですねぇ。 その後、フォードとも交渉したが決裂とのこと。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
再開。で、自動車を国産化したい軍部・産業界と対米貿易赤字を解消したい政府の意見が一致。1936年に自動車製造事業法が成立。自動車生産に当たっては国内資本比率等の制限がかけられ、米ビッグスリーは日本撤退。認可を受けた豊田、日産、東京自動車工業(いすゞ)の3社に生産が集約化されます
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
この時、日本国内でクライスラーが育てていた下請け部品会社やディーラー網を豊田が一気に掌握。生産・販売基盤をゲットすることに成功しますた! やる事が汚いけど国内自動車産業を素早く立ち上げるにはとっても合理的な方法
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
生産基盤を手に入れた。じゃあ、後は順調に生産・拡充していけば良いよね。となるはずなのだが、そうは問屋が卸してくれなかった
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
当時の日本の産業全体に言えることなんだけど、1941年をピークに日本の自動車生産は右肩下がりになっていく。戦時動員体制に移行したのになじぇこうなるニカ?
四式戦闘機 @ki84type4
@dragoner_JP 中国がリアルタイムでやってることとほとんど同じですな。以上茶々でした、楽しみに読んでおります。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
当時の日本では、テイラーの科学的管理法等の生産管理法が普及していなかった。大量生産に必要な思想が行き渡っていなかったのだ。有名な生産されたロットごとで部品に互換性が無い日本の小銃とかは顕著な例。それは軍に標準化思想が欠けていたというより、日本産業界全体の問題と言う方が正しいと思う
四式戦闘機 @ki84type4
@dragoner_JP はじめて生産管理を持ち込んだのって、三菱の名古屋工場でしたっけ。海軍のエンジン作ってたとこ。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
有名すぎるカンバン方式の発案者である大野耐一は、戦中の豊田工場について興味深いことを話している。当時、工場を支配していたのは工場長ではなく、現場の職人頭達だった。彼らはネジ一本作るにも自分の治具で納得いくまで加工していた。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
「職人魂」と言えば響きは良いかもしれない。でも、実際は会社や軍が策定した生産計画を無視して、自分の気の済むまで手間かけると言う悪しき現場主義が蔓延していた。彼らは工場長の言うことも聞かない。
dragoner@4日目西て02a @dragoner_JP
一方、アメリカでは生産管理と標準化に基づいて、職歴数年程度の女子工員達が標準既定をクリアした部品をバンバン作り、バンバン兵器を組み立てていた。言うまでもなく、その兵器は日本の熟練工が丹精込めて作った兵器より質に優れている上、量は比較にならなかった
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