幻想学~幻想解釈学 『初音ミクの執着!!~Highly Responsive to Musicians.』(前編)
- L_O_Nihilum
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@L_O_Nihilum ごめんね、ちょっと時間的にそろそろ寝ないとなので、現時点ですこし思ったことを書いておきます。
2012-02-01 02:12:48「消失」自体は、Short.verがより早くからアップロードされている(さらにそのテーマの出だしとなる『電脳スキル』という曲はさらに早くからある)。しかし、それがCDとしてメジャーレーベルに乗ったのは2010年。
2012-02-01 02:13:12@_Haruka_K_ OKです!丁度僕もこれで「前編」を終えたところなので、この辺でまとめとこうと思います。
2012-02-01 02:13:48このCDが「消失」と脈打った物語のリアリティは、「現実の歌声と、仮想の姿」を持つ初音ミクに関して考えれば、とんでもなく臨場感を持った、いわば私たちに"差し迫った”リアルな問題だということが出来よう。
2012-02-01 02:13:52@L_O_Nihilum まず、この議論は、「創作者」と「作品」と「受け手」のもんだいを仏教的存在論を介して「わたし」と「他者」の関係性のもんだいとして捉えなおすものだ、という理解をしました。
2012-02-01 02:14:06@L_O_Nihilum 「わたし」には、「わたしが考えるわたし」という位相のほかに「他者によって意味付けされることで確立されるわたし」の位相があり、両者はしばしば乖離してコンフリクトを起こす、という。
2012-02-01 02:16:03西洋哲学風(自己と他者)に考えればそうなるにゃ。今の話だと「愛・取」が其れだにゃなー。>RT
2012-02-01 02:17:53@L_O_Nihilum で、作品とは創作者にとって「わたし」と不可分のものである――ますだ先生によると、こういう、作品と作者を不可分のものと考える感性はロマン主義以降のものらしいんですけど――けれども、同時に作品はあらゆる人によって解釈され、意味づけされ、再生産される。
2012-02-01 02:20:20ですです。それがウィトゲンシュタイン風に言えば言語の生産ゲーム(言語ゲーム)だし、ソシュールさん風に言えばシニフィエとシニフィアンだし、クリステヴァ風に言えばポリロゴスとか間テクスト性ってなやつが該当しますにゃ。>RT
2012-02-01 02:22:23てゆーか、ロマン主義以降、っていうのがまぁた突っかかりますなぁー。ロマン主義以降。てーのも、それ以前ってMusicaって結局世界の調和とかデカすぎる意味が(キリスト的なのもプラスして)あって、もはや『人の音楽』なんて意識なかったもんな。全部神の為。
2012-02-01 02:25:15@L_O_Nihilum 作品とは本質的に、さまざまなひとが自分の欲望とかアイデンティティとかを投企し表現する、そしてさまざまなひとのそうした営みを相互に結びつけるプラットフォームとしての機能を持つのですな。で、これでお金を回すシステムが文化産業であると。
2012-02-01 02:26:33まぁ大きな物語が変遷してるのと同期してますよね。(善)→神(キリスト教の)→自我&理性。ロマン主義は其れとともに台頭していて、ショーペンハウアーなんかバリバリその時代の人。コレブッ壊そうっていうのがワーグナーだのニーチェだのシェーンベルクだのなんですけどね。
2012-02-01 02:26:50そう。その「文化産業」というカタチに、疑問を投げかけることもついでにミク史のなかで起こってる、ってことを付け加えときます。今まで企業、産業音楽第一主義的な在り方であり、音楽の自由が(メジャー・インディーという枠から離れ)存在しなかった、という人々の意識があったんだと思います>RT
2012-02-01 02:28:57@_Haruka_K_ ハイデガー用語ですね。存在は時間に依拠し、現存在は歴史に投企していて、なおかつ投企を被る。世界から独立した存在ではないからこそ。音楽は作りますが聴かれますから、適切だとは思います。
2012-02-01 02:30:50RT続き。言い換えればすでにミク史自体が背景にあるオタク史と絡んでるんです。日本の音楽産業が肥大化して、創作の格差がものすごく大きく、創作の公園がネットにしかなかった。ところがミクとニコ動が出てきて、どっこいそれが発表の場へと変化を遂げた。
2012-02-01 02:32:50「ここにいる俺らでも音楽を発表していいんだ!気持ちを藝術に託して伝えていいんだな!」っていうような気持ちが、ミクを祝ったんだと思います。彼女は、救い主だ、天使だ、と。「ミクさんマジ天使」って言い方がいまだ残ってますがこういうのもあると思われます。民俗学でいう『共同幻想』ですなw。
2012-02-01 02:34:01@L_O_Nihilum で、ここでにゃんさんが問題化してるのは、文化産業が「わたし」たちを煽って「作品で「あなた」を表現しよう!」ってやることなんかな、と思ったわけです。文化産業は作品の「プラットフォーム性」を隠蔽し、「これこそが「あなた」にふさわしい」という売り方をする。
2012-02-01 02:34:31ああ、語ってると「ああ、僕はまだ{V}!X(_)を忘れてない」って安心してしまう でもミクはいつでも{V}!X(_)に化ける 追いかけ続けなきゃ
2012-02-01 02:35:49@L_O_Nihilum この過程で、ある「作品」と無数の「わたし」=個人、が不可分になってしまう。すると、個々の「わたし」は逆説的に溶解してしまう(「動物化」する?)。あるいはコンフリクトにさらされる。「わたし」のものだったはずの「作品」はつねに同時に誰かのものであるから。
2012-02-01 02:38:15@_Haruka_K_ 当然ながらそれもあります。こちらが自由に創作・自由に発表・享受できる、その希望にあまねく応える形を、強制せずもたらすことが出来るか、という課題です。
2012-02-01 02:38:24@_Haruka_K_ ですです。というのも、コレ明確な話、産業音楽の場合(もトラブルは少なからずあったにもかかわらず)隠蔽や正当化が法的にうまく効いていた、ということも挙げられるのです。要するに、「仕事で歌ってりゃJASRACとかも保護してくれるしいいやー」的な。(ぇ)
2012-02-01 02:40:19@L_O_Nihilum 芸術の民主化への夢。かつてアヴァンギャルドがこころみた(そして挫折しちゃった)みたいな。
2012-02-01 02:40:48コンフリクトを起こさなかった、最大の理由。起こさなかったんじゃない、”起こさなかった”んだ。起きないようにしていた。金で。法律で。システムで。それで客が喜ぶ、と言う風に、仕事を肯定して仕向けていた。CGMは、こういう事態に対して違和感を持っていながら、対抗する手段がなかったんだ。
2012-02-01 02:42:25