官と位の話

官位の説明と、京職についてのお話
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@ouchi_yosioki

さて…今日は官位について話そうと思う。以前私の就いていた京職についても聞かれたゆえな。タグは #官と位の話 だ。鬱陶しく感じる者は各々対処頼む

2012-02-11 21:49:13
@ouchi_yosioki

まず「官位」についての説明だ。官は大臣以下の職掌で官位の事、そして位は身分等級のことで正式には位階だな。官位相当で、身分に応じた職を与えられるゆえ、身分を持っていても職についていないものはいても職に就き、位を持たぬものはいないということだ。 #官と位の話

2012-02-11 22:01:54
@ouchi_yosioki

先程官位相当、と言ったがまれに例外もいる。位より官が高い場合は「守」官より位が高い場合は「行」の字を加えるのだ…そして官兼の場合には「兼」の字を加えて記す。#官と位の話

2012-02-11 22:04:16
@ouchi_yosioki

ちなみに律令制では蔭位の制というものがある。祖父の位階によってその子が一定の位に就くというものだな…この時代の身分にも当然こねや家柄が関係してくる。祖父が一位を持っていたとしたとき、その嫡子は従五位下を、庶子は正六位以上を、庶孫は正六位下につくことができるのだ。#官と位の話

2012-02-11 22:09:01
@ouchi_yosioki

官位相当の場合、太政大臣は一位にあたる。その一位から従三位である中納言、近衛大将などを「公卿」と言うのだ。今期の大河でもよく話が出るが…従五位以上が「殿上人」それ以下が「地下」と呼ばれる。親王の地位は4つに、それ以下は正一位から少初位まで30に分かれているのだ #官と位の話

2012-02-11 22:17:12
@ouchi_yosioki

先程言った殿上人、とは昇殿を許されたものの通称だ。ちなみに天皇の家政機関としておかれた諸所の蔵人は例外的に昇殿を許されている…諸所は出世しやすいしな、人気があった #官と位の話

2012-02-11 22:24:19
@ouchi_yosioki

さて、ここまで基本的なことは話したが私達が生きた時代にはこの官位というものは実質ほとんど機能しなくなってしまう #官と位の話

2012-02-11 22:33:19
@ouchi_yosioki

戦国時代、官位というものは形だけのものになってしまった。それでも誇れるものであり、権威の象徴ではあったのだ。私が生きた時代にはあまり無かったが、後の江戸時代までの時代、この官位を自称するものも多くいたぞ #官と位の話

2012-02-11 22:37:30
@ouchi_yosioki

権力や大義名分を手に入れるといったところだな。私の上洛も秩序を取り戻すという言い分で…っと本音が。とりあえず敵を増やさぬため、戦国時代とは言えど形だけの身分や、大義名分が必要だったのだ #官と位の話

2012-02-11 22:40:36
@ouchi_yosioki

尾張守護でもないのに尾張守を名乗ったりな。これには自称している場合と、自分の主から褒美として名乗りを許された場合がある。また、朝廷に献金して正式…といえばまぁ、正式に官を貰ったものもいるぞ #官と位の話

2012-02-11 22:44:12
@ouchi_yosioki

さて、長くなったが本題だ。私の官位は「従三位左京大夫」だ…官職は大きく見ると「京職」ということになる。戦乱の世、数ある感触のなかでも一番といっていいほど人気のある職であったぞ #官と位の話

2012-02-11 22:47:55
@ouchi_yosioki

京職は他の配下にない独立組織でな、中央政権といったところだ。行政・司法・警察機構を行う重要な組織であったのだが…のちに、検非違使に殆ど職を奪われ形だけになってしまった #官と位の話

2012-02-11 22:53:26
@ouchi_yosioki

京大夫は左右一人ずつで、私は左だな。その下に亮(各一人)、大進(各二人)、小進(各一人)などの職員がいる。将軍の力が弱いこの時代ではほぼ私達が政治を行っていたぞ…将軍は傀儡状態だな #官と位の話

2012-02-11 23:01:06
@ouchi_yosioki

我が大内家がこの職に就いたのは例外中の例外だ…私の時は、な。反対意見も多かったのだが朝廷は言っては何だが貧乏だったから…金に目がくらみ許したのだ。我が大内は金持ちだし(ドヤァ #官と位の話

2012-02-11 23:04:56
@ouchi_yosioki

この時反発したのが「伊達稙宗」だ。えーっと…政宗殿の祖先にあたるな。「大内がもらえるなら俺だって!」ということで朝廷に金を払い左京大夫を要求したところ簡単に就いておる。このときの伊達殿は守護でもなかったがな… #官と位の話

2012-02-11 23:07:46
@ouchi_yosioki

そんなことがあり「伊達がもらえるなら俺だって!」と、左京大夫を志願するものが多発。そして朝廷も次々と与えたため安売り状態であった…戦国時代、京職とは崇高な職でなくなっていたということだ #官と位の話

2012-02-11 23:10:48
@ouchi_yosioki

左京大夫になったのは私や伊達稙宗殿、武田信虎殿、北条氏綱殿、徳川家康殿など戦国武将でいえば12人が任命されている。ちなみに二人の息子も…いや、息子と孫と言うべきか…義隆と義長も就いておるぞ #官と位の話

2012-02-11 23:16:14
@ouchi_yosioki

ちなみに義隆は兵部省にも就いておる。兵部大輔から兵部卿にまで唯一昇った戦国武将だぞ…なんと誇らしいことか(´△`*) #官と位の話

2012-02-11 23:19:20
@ouchi_yosioki

大安売りされていた左京大夫とは反対に、右京大夫は格式高い職であったぞ。高国殿が就いていたものだな…位は変わらぬはずなのに劣等感がすごいぞ… #官と位の話

2012-02-11 23:22:12
@ouchi_yosioki

元々左京大夫につけるのは「山名」「赤松」「一色」「京極」の四家のみ。そして右京大夫につけるのは三管家である「細川」「斯波」「畠山」のうち「細川」のみなのだ。右京大夫には細川家以外が就いたことがない…まず京職自体が特別で格式高いものだったのだ。過去形だが #官と位の話

2012-02-11 23:27:02
@ouchi_yosioki

なんだか高国殿のほうが偉いみたいで気に触るな…まぁ、京職の格を下げたのは私だが #官と位の話

2012-02-11 23:29:02
@ouchi_yosioki

八省を含め、機関の説明もしようと思ったのだが…些か数が多いな。何か質問があれば答えるし、どなたかの官位について聞かれれば説明するぞ #官と位の話

2012-02-11 23:31:28
@ouchi_yosioki

では、中国風の別称を紹介しようと思う。太政大臣は「相国・大相国」左右大臣は「左右丞相」だ。丞相、というと曹操もそうだな…聞いたことがあるのではないだろうか。准大臣は「儀同三司」中納言は「黄門」大納言は「亜相」参議は「宰相」などといった呼び名もあるのだ #官と位の話

2012-02-11 23:36:31
@ouchi_yosioki

官位がよく分からない、というものは官位相当表というものを見ると良いぞ。例外があるものの官職と階位との関係が一目で分かるゆえな…からくりで調べるもいいが、学生の者は国語の便覧などに記載されているはずだ。是非見てみるといい #官と位の話

2012-02-11 23:40:26
@ouchi_yosioki

では、興元の弟であったか…毛利元就の官位について説明しようと思う #官と位の話

2012-02-11 23:43:06