「ドゥルーズ入門」(檜垣立哉著、ちくま新書)を読みながら ~ドゥルーズの大草原
- L_O_Nihilum
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こうした戸惑い方はまた、いつもの僕流の「たとえに置き換える」ことのむずかしさも意味している。ベルクソン-ドゥルーズにおいては、3つの時間が出てくるらしい。即ち①現在(主体の時間)、②過去(記憶の純粋過去)、それと超越的な③第三の時間、なるもの。
2012-02-17 02:04:08…これ、「川の流れ」で例えられるだろうか?とやってみた記録が、その本に記されています。
2012-02-17 02:05:26現在自体、過去自体、じゃなくて「流れ」それ自体のみが実在する、それを超える第三時間。
2012-02-17 02:06:29第一は、主体の時間だそうだ。それは現在。現象学的な意味では「生ける現在」だそうだ。それは「実現」の時間。それを包括する根拠の時間が、「純粋記憶」つまり「過去」(第二時間)。記憶こそが「潜在的」に実在する。…末那識とか阿頼耶識か?
2012-02-17 02:08:51@L_O_Nihilum 「ほんとに理解できてんのかな!」感わかる…。でもなんか、別にちゃんと理解できてなくても先生は怒らないんじゃないか、むしろ自分が生きやすい方向にどんどん援用してもいいんじゃないか、それが多様体やん? とも思ってたり。(ただしドゥルージアンは名乗れないw
2012-02-17 02:09:34で、過去は連続的なものとして、それ自身として保存される。過去にはさらに過去があって、無限後退する。
2012-02-17 02:11:43@_Haruka_K_ 寧ろ怖いのは、「いつのまにかほらドゥルージアン」であって、そんな自分に気づけない(泣)。追いかけるけど逃げられちゃう。…逃げられちゃう?あっ!!!・・・て、おいコレまた説明できにゃー(またかよ …。
2012-02-17 02:13:07川の流れならわかりやすいんだ。 川は、そのどこが「いま」なのか定まらない。ていうか、どこでもいい。で、流れは逆になることがない(過去から現在へ、=上から下へ、上流から下流へ)。で、つまり上流…てか上の水は下の水の根拠というか、たどったルートになってる。それが川をなす。
2012-02-17 02:15:06でも過去にはさらに過去、上流には上流があって、っていうふうに遡ろうとすると(鯉みたいですにゃ)、あれ山のてっぺんのこれが一番根底なの?いや、無限後退だからもっと湧き出るとこ?じゃあどこから湧き出るの?…そもそも、もとは雲から降ってきた雨だったりして。
2012-02-17 02:16:27第一の時間は有限な主体の時間、第二の時間はそれを根拠づける、無限に続く記憶の時間。第三の時間は、こういう同一性を打破する脱-根拠化の時間、『経験されえず、経験の枠組みにも入らず、時間それ自身の形式において捉える際に示される「直線」的な時間』…という。 ( ;゚д゚)ポカーン
2012-02-17 02:20:33直線って何ぞ?→「こうした時間的な「俯瞰」に、空間的なイマージュを付与するもの、必ず流れに死という契機を導入する」…ますます(;゚д゚)ポカーン えっと、第二の時間までは川で説明がついた。で、・・・直線? ピーンっとなんか横切るようなほっそいただの線分が頭の中に出てくる。
2012-02-17 02:22:16とまあ、既存の読解方法ではまだ掴み取れないのです。 …いや、なになに、それもまだ反復と差異が足りないって? 千本ノックを目指せって? ・・・・・・・うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
2012-02-17 02:24:37…まぁ、そんな気前で読んでいます。檜垣先生の「ドゥルーズ入門」。ちくまの新書。いつかデリダとかウィトとかショーペンみたいに説明してやれるようなくらいにまでは理解したい。
2012-02-17 02:28:22あとそうそう、二次創作の問題。おそらくエフさんの<もえあがり>論は創作する全然手前なので、創作してるときも「穴」あいてるのかな、ていうと仰る通り違うと思います。だからこそ、安易に二次創作してしまう今の新参とかにわかっていわれる若年層の行動に違和感を持つ、という意見があるわけです。
2012-02-17 02:30:31…ああそういうことか、だからりぞーむモデルがオタクに当てはまらないってアズマは言いたいのか? で、データベース消費モデルに当て嵌めた、と。だとすりゃ<もえあがり>は間違いなく消費の「手前」ってことになる。では「そのあと」はどうなんだろうか。享受の形式とは。
2012-02-17 02:31:57…道は長い…! そも他人に出会う事、それ自体が「穴」の強度としてはさほど大きくない。もちろん強度ある身体による出会いではある。が、たとえば会釈や握手等。これは外部の何物かとの交通というには近すぎるというか、『さほど外部でない』。
2012-02-17 02:33:13私の内にレヴィナス風に現前するほどのこわばった感じが出てこなきゃ駄目ってことよね。で、<もえあがり>とはその始まり。おーつきさんの、他者への出会いによるショック。無の現前。コレだよね。これなしにアニメ見れてる輩が多い、と。まぁその嘆きを肯定する側なのがアズマだわな。
2012-02-17 02:35:07無主体でぐだぐだな感性…ああ、サザエさんやちびまる子を見ているとそう思える。しかしDBZやワンピを見ていると、全然そう思えなくなる。どういう事だろうww。
2012-02-17 02:39:18でぇも前も批判したけど表層の記号の自由な組み合わせで、しかも生産的な活動をしているって点ではやっぱしリゾームだよね…?ただ、ドゥルーズさん流に同人が運ぶなら、パターン化した二次創作はもはや出奔されるべきもの。どんどんそういう流行から逃げていく。
2012-02-17 02:40:35なおかつ、こうしたなかで出てくる一人一人の個性ってやつを、お互いが取り込み合って、切磋琢磨していく(多様体∧差異∧反復)。そうなってない節は、まさに日本人性の弱点というか。これを、はるかさんは「アメーバ」と言ってたと、僕は解釈する。…あってればいいが。
2012-02-17 02:41:51…韓国人から見たニッポンという本ではこれが「分際社会」「本音建前社会」っていうかたちで書かれてて、オタクはまさにそういう日本で自らの与えられた領域に苦しんで内向した存在、っていうけど、これぞ出奔者とゆーか、岡田で言うとオタク原人だよね。
2012-02-17 02:43:15いまやそうした「オタク領域」(岡田の言う「オタク国家」)という枠組み自体があいまいになり、しかもテクノクラート的にデータベースに呑まれる結果になった、と。それがオタク第三世代ですね。出奔してもそれも読まれ済み、ってなわけですね。
2012-02-17 02:44:23