戦後民主主義の神話と蹉跌:如何に橋下氏の”民主主義”を批判することができるのか?

橋下氏に対する批判として「あの手法は民主的ではない」という誤謬がよく見受けられる。問題はそういう周回遅れな批判をする側にもある。実を言えば橋下氏の手法はある種の民主主義の極北ともいえる。問題は「民主的ではない」ではなくて、自由民主主義的ではない事である。そしてこの誤謬で効果的な批判を困難にしていると思われる戦後民主主義の神話についての議論を纏めてみました。
13
Pan @pan7711

@AkaiOHI @jyonaha @yoshiokayuji 橋下批判の文脈では、新自由主義的立場から人権概念や同和教育を批判してきたということもあるので、ネオリベラリズムから、自由(権)を強調する必要があるのかなぁとも感じます。今ほど人権を必要と感じることはありません。。。

2012-03-19 22:36:08
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha

多々コメどうも。日本でリベラリズムが育たない理由、は多くの議論がありますが、自由が「民主主義」という用語に包摂された経緯は、今後の研究課題の様に思います RT @pan7711 「戦後自由民主主義」が自覚的に形成されなかったという議論 @AkaiOHI @yoshiokayuji

2012-03-19 23:10:25
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha

日本は伝統的に「私的所有権」がそもそも弱いので、右翼と左翼がすぐ「私利私欲の否定」で合流して自由を潰してしまう。それが、日本版ネオリベが奇妙な道徳主義になる理由。 RT @pan7711 ネオリベラリズムから自由(権)を強調する必要が @AkaiOHI @yoshiokayuji

2012-03-19 23:14:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

橋下氏の問題点はルソーと同じで一般意思がアプリオリに存在していると仮定しているところ。だから投票しただけでその投票行動のことを民意=一般意思と言ってしまう。それは民意以前の欲望に過ぎない。

2012-03-21 16:37:18
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

その個人の欲望が何らかのコミュニケーション行為によって公共性を獲得することができて(必ずしも合意に至ることを前提しない)初めて民意=一般意思の部分的反映になる。

2012-03-21 16:38:08