橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判5
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@stayfoolish_me 他宗教の信者たちが、キリスト教の中に自分たちの宗教と同じ要素を見出すという意味です。ミトラス教の信者も、イシス信仰の信者も、キリスト教の中に自分たちの信仰と似た世界を見ることができる。それほど大きな差はないのです。
2012-03-12 09:49:26キリスト教がローマ帝国に受け入れられた過程を見ると、同時期の他宗教や哲学思想が、キリスト教のためにわざわざ道を切り開き、地ならしをしていたようにさえ思えてくる。これを歴史の偶然と考えるか、神の計画と考えるかは受け手の自由だけどね。
2012-03-12 11:08:32@stayfoolish_me 最終的にキリスト教はローマ帝国で最強の「軍神」として、コンスタンティヌス帝の時代に受け入れられることになります。キリスト教の神は、あらゆる神の要素を持ち合わせる「万能神」であり、しかも他のどんな神より強力だったのでしょう。
2012-03-12 09:57:58@lupus211 @stayfoolish_me 宗教学者のジョゼフ・キャンベルあたりに言わせれば、死と再生は世界中の神話に見られる普遍的な要素ということになるんでしょうけどね。
2012-03-12 11:11:43@stayfoolish_me 「同じ」である必要はありません。「似ている」だけでいいのです。少なくともローマ人にとってキリスト教は見たことも聞いたこともない珍奇で異様な教えではなく、個々の教えは馴染みのあるものだったように思うのです。
2012-03-12 18:12:17@stayfoolish_me 一神教、女神崇拝、豊穣神信仰、特別な入信儀礼、倫理や徳目の重視、死と再生に代表される物語性、etc.。キリスト教の中には何でも全部揃ってます。ローマの宗教文化の中で、キリスト教は他宗教から孤立も断絶もしていなかったと思います。
2012-03-12 08:54:52@stayfoolish_me 現代でも親鸞の悪人正機説がキリスト教に似ているなどと言う人がいますよね。仏教の他力思想や菩薩信仰と、キリスト信仰の共通点もあるかもしれません。ローマ社会の中のキリスト教は、決して周囲と隔絶した孤高の宗教ではなかったように思うのです。
2012-03-12 18:14:27@stayfoolish_me 無神論のように見えるものなら、ローマにはギリシャ由来の哲学の伝統があります。ストア派もあれば、ネオプラトニズムもある。これらもまた、キリスト教と競合していた思想であり宗教です。
2012-03-12 05:10:11@stayfoolish_me 古代ローマにおけるオリエント由来の宗教はどれも「民族を超えた宗教」ですし、キリスト教が他宗教と異質である程度には、他の宗教もそれぞれ異質な独自性を持っていたはずです。公認前のキリスト教が、常に迫害されていたわけでもありません。
2012-03-12 05:05:08@stayfoolish_me 僕が思うに、キリスト教は同時代の他宗教が持つあらゆる要素を兼ね備えていたからこそ、最終的に生き延びたのです。他宗教の信者たちは、キリスト教の中に自分たちが信じていたものと同じものを見出したから、容易にキリスト教に移行することができたのでしょう。
2012-03-12 05:12:40今気づいたけど、『ふしぎなキリスト教』ではゲルマン民族がわけのわからないまま王の命令でキリスト教に改宗したため、異教の教えをキリスト教に混ぜた、といった論じ方をしている。でも、今のRTにあるようなことを考えれば、そもそもクリスマスの日からミトラス教と習合していたんだよね
2012-03-23 02:50:43- コンプレックス産業としての『ふしぎなキリスト教』販売戦略
結局橋爪は「日本人は一神教を理解しなければいけない。しかし、自分の力では理解できない。理解するためには私の本を読まなければいけない」って言うんだよね。これって宗教の手法、特にカルトの手法じゃん。真の知識を得るには、救われるには、私たちによるしかない。この教義しかない、ってね
2012-03-23 13:25:47@DogRuskin 「あなたはキリスト教に無知だから外国に行くと恥をかきますよ」も、「あなたは包茎だから恋人ができると恥をかきますよ」も同じだよな。オレサマは外国にも行かないし恋人もいらないから構わねえよ!と断言できる人以外は、ちょっと気になるセールストークではある(笑)。
2012-03-23 13:36:16- 「神格と対話できるのは、一神教だけ!」??
ふしキリ得意のトンデモ理論
うわぁ、橋爪大三郎ったら、『ふしぎなキリスト教』で「神格と対話できるのは、一神教だけ!」みたいな意味不明理論を延々と述べてる!多神教は神格と対話できないんだって。 へえ・・・初耳ですね
2012-03-23 15:23:18「神々は、それぞれ勝手なことを考えていますから、彼ら全員のまとまった意思などというものはない。これが、多神教。これでは、神との対話などできない相談だ」(『ふしぎなキリスト教』p. 63) トンデモ理論もいいかげんにしてください
2012-03-23 15:25:00一神教の人格神との「我ー汝」関係を強調したいなら、それでもいいさ。なら、せめてブーバーくらい触れてください。「文献案内」になかったけど。ブーバー的な形では論じられてないから、たぶん違うんだろうけど
2012-03-23 15:28:25橋爪大三郎が『ふしぎなキリスト教』のp.61-67で述べている理屈でいえば、一神教以外には「祈り」は存在しないことになる。多神教などでは祈れないことになる。だから用語の定義をきちんとして、概念を混同させないでください教授
2012-03-23 15:33:21「ひるがえって一神教の場合、Godとの対話が成り立つのです。それは、Godが人格的な存在だから」(『ふしぎなキリスト教』p.65) せんせーい!人格神を持つのは一神教だけじゃありませーん!
2012-03-23 15:38:29あと、人格を持たない法則のような神格とは対話はできない、みたいなことも言ってるけど、なんというトンデモ理論。仮に、宗教の根本のひとつに「祈り」があるとするならば、橋爪大三郎は「祈り」という概念を理解していないし、さまざまな宗教を語るに値しない
2012-03-23 15:41:17- ふしキリのAmazonレビュー談義