@solar1964 さんが、当該号の工場ルポを読んでメモを残されてたようですね。 http://t.co/HV2JOl98 @ogwata @mashcosan @0guma
2012-03-31 17:10:12明治から江戸に行きたいッて云ッてンのに昭和に着いてンのは、アレだな、2000字でッて話を10000字書いて4500字にしか縮められなかッた呪いだナ。ッてことは、こうか。 平 成 大 好 き ! (H24/04/01)
2012-04-01 09:02:44ちなみに、配列表は築地の四号で組んであるようですが、さて、それをタイプライターの活字として採用したところがあったかどうか。 @2SC1815J
2012-04-01 17:59:19『秀英体研究』五九〇頁代に日本タイプライター株式会社がパテントを取得した昭和九年の和文タイプ用活字見本帳の紹介があるんですが、そこには「築地体」が6ポ・7ポ・7ポルビつき・9ポ・六号・五号とあり、 @uakira2 @2SC1815J
2012-04-01 18:04:01「秀英体」が7.5ポルビ付・8ポ・8ポルビ付・9ポ・9ポゴヂック・9ポルビ付・12ポ・六号・六号ゴヂック・五号・五号ゴヂック・四号とあります。 研究には見本帳は @mashcosan さんのところに残されているコピー資料と書いてあります。 @uakira2 @2SC1815J
2012-04-01 18:09:36@uakira2 横音引きありましたん。でも仮名は修正回数多いので、最新が昭和42年ということです。これより前の原字にホワイト入れていたので、昭和30年代には作ってたと思います。 http://t.co/EOKqyGPI
2012-04-02 13:26:51貴重な資料、ありがとうございます! 「A1」てのは、四号を引き継いだ本文用のいわゆる秀英体ということでしたっけ? @mashcosan
2012-04-02 13:49:51@uakira2 あ、そです。ベントンの6〜12ポの本文用明朝です。流れとしては4号→13ポ→A1明朝→CTSの秀英細明朝→秀英明朝L、です。
2012-04-02 13:56:41ちょこっと調べた範囲では、早川書房は文庫のみならず単行本まで見た限りすべて全角どりである一方(ちなみに書体は一貫して岩田明朝)、東京創元社の全角どりは文庫の一部(活版時代限定?)に留まる模様。
2012-04-12 17:11:01@uakira2 おぉ…最後のは市谷が活版やめるからむりやりDTPに切り替えてもらったので、丸善はわるくないですすす…(擁護)
2012-04-16 22:46:59すばらしい調査、ご苦労さまです。どれから書いてよいのか迷いましたが、まず片仮名の外来語表記から考えた事をメモしておきます。RT @uakira2: 丸善『学鐙』の行頭・行末を眺めてみました。 http://t.co/BphbDque
2012-04-17 01:28:57以下のような仮説を立ててみます。「外来語の片仮名表記、及びそこでの拗促音小書きは、江戸期の蘭学書以来、現代に至るまで安定的に使われてきた」
2012-04-17 01:31:14そうすると、次のことに気づきます。〈外来語≠片仮名表記〉。仮名漢字交じり文において、片仮名で表記されるのは、オノマトペや固有名詞等もあり外来語だけではありませんね。では、それらの拗促音が小書きされるのは、いつからなのか?
2012-04-17 01:35:14もう一つ、戦前期の公文書等、漢文脈の文書はカタカナ漢字交じり文で表記されました。これは、現在でも刑法等、一部の法律で残っています。そこでの拗促音小書きは、いつから使われるようになったのか?
2012-04-17 01:38:18このように、外来語の片仮名表記を核として、片仮名の内部で小書き仮名が拡大していく様子を明確化できると、その延長線上に平仮名の拗促音小書きの問題に接続できるかもしれません。
2012-04-17 01:44:43内田さんの学燈調査では、これが始まるのは1962(昭和37)年7月号からでした。これは当方の新潮文庫調査(ごくごく小規模ですが)とも平仄が合います。つまり拗促音の小書き仮名は、外来語の片仮名表記→外来語以外の片仮名表記→平仮名という道筋で拡大していったのではないかという仮説です。
2012-04-17 01:48:24急いで組版にも触れておきます。ぼくが気になったのは、1942(昭和17)年12月号で、約物が半角どりで組まれている箇所が多いこと。中でも二重約物がベタで組まれている箇所が目立ちます(左頁上段左から4行目、同下段左から7行目)。
2012-04-17 01:57:48つまり全体的にツメツメの印象が強いのですが、これはこの号だけなのか、それともこの時期に共通するものなのか。単に戦時中だからなのかもしれませんが、活版組版としては異色なもののように思いました。
2012-04-17 02:00:41確かに、私も『光をかかぐる人々』151頁 http://t.co/Cw9MNlKw 二行目の【、「】の方が八行目【、「】よりも好きですし一般に読みやすいと思います。八行目の処理を見ると、行末に「高さ二分の読点」を使えなかったんでしょうかね。 @ogwata
2012-04-17 10:33:32それから、ぶら下がりの導入が1991(平成3)年6月号まで待たねばならないというのが、ちょっと驚き。活版組版では、ぶら下がりをするかしないかによって調整の多寡が大きく変わります。
2012-04-17 02:10:41個人的には1991年より前の、字間が空いてパラパラする誌面が気になる方です。たぶん、同じことを思う人もいるはずですが、学燈のように、ぶら下がりなしできた雑誌もあったということは、そうした字間が空くことを気にする意識は、ワン・オブ・ゼムにすぎないことを示唆しているのでしょうね。
2012-04-17 02:15:30ですよね。『学鐙』に関しては、とにかく句読点や括弧類の「ぶらさげナシ処理」優先度が高く、小書き等の処理は三の次という感じですね。 @ogwata
2012-04-17 10:37:50ところで、2003(平成15)年5月号が〈無残な誌面〉というのは、どの辺りでしょう? じつはボンクラなせいか、ぼくには見馴れた誌面としか映りませんでしたw (おしまい)
2012-04-17 02:16:16