@kurmacfさんによる長篠の戦い

戦国時代の有名エピソード 織田軍鉄砲三段撃ちと武田騎馬軍団について
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MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

前にちょっと書きかけた話。長篠合戦で、信長が鉄砲の大量運用と三段うちという新戦術を考案したという、誤った理解。別に信長は戦術革命などしていないのだが、どれほど訂正されてのだろうか。学生なんかもよく知らないらしいし。小和田さんはまだ拘っているようだが…

2012-04-21 11:07:07
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf 鉄砲の大量運用を日本史上初という人はまだ良いのですが、世界史上初と言う人もいるので、信長=戦術の革命児というイメージは本当に根強いのだなと思います

2012-04-21 11:09:27
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

この話の元ネタが、小瀬甫庵の『信長記』という小説まがいの代物であって、太田牛一の『信長公記』には出てこないというのは、随分前に藤本正行さんによって指摘されているのだが、なかなか根付かない。今川義元・武田信玄の上洛目的説といい、大きな通説は研究者でも変えたくないのが現実なのだ。

2012-04-21 11:20:58
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

あと、角川文庫本『信長公記』は書き下し文に直されているので、きちんと池田家文庫本のコロタイプなどにあたるように、という方がおられるが、なかなか敷居が高いのが現状。桐野さんが小瀬甫庵の『信長記』に近い伝本を見つけたこともあるし、そろそろいくつかの善本の活字化が望まれるのだが…

2012-04-21 11:26:07
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

信長に限った話ではないわけです。 RT @DukeLegolas: @sweets_street @kurmacf 鉄砲伝来してから短期間で数だけは揃えましたけどね。日本。

2012-04-21 11:28:57
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

すいません、ちょっとわからないですね。 RT @DukeLegolas: @sweets_street @kurmacf 日本の鉄が鉄砲生産に向いているが、大筒の生産は難しいとかいう話を高校時代に聞いたことあるんですが、どうなんですかね?

2012-04-21 11:45:01
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

うーん、どちらかというと中央政権の主催者は、何か特別なことをした筈、出来た筈、という思い込みを強く感じます。 RT @aonoa_uky: @kurmacf 信長の「先進性」や「カリスマ革命児」というイメージに惹かれて研究者になったという方が多いからではないでしょうか。

2012-04-21 11:46:52
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

それはそうだと思います。よくご存じですね。 RT @1059kanri: @kurmacf @DukeLegolas @sweets_street 戦国後期には、戦国大名よりも民間人の持っている鉄砲のほうが多かった、という説もあるほどですねw

2012-04-21 11:49:42
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そうです。兵器から農具へという流れです。 RT @sweets_street: @kurmacf @1059kanri @DukeLegolas 当時の鉄砲って、戦争の道具である以前に日常生活の道具でしたものね

2012-04-21 12:00:54
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そういうことですね。 RT @sweets_street: @kurmacf @1059kanri @DukeLegolas 江戸時代でも害鳥駆除用の鉄砲が民間に大量にありましたしね

2012-04-21 13:04:17
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

戦国時代の鉄砲普及率の高さは、北条や、武田の軍役定書で、かなり低い知行高の家臣にも鉄砲の自前用意が義務付けられていることからもわかります。それだけ流通していた、ということ。

2012-04-21 13:24:34
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

『信長公記』は、ようやく金子拓さんらによる書誌学的、史料論的研究が動き出した。戦国時代の編纂物は、史料学的アプローチの層が非常に薄い。これが最大の難点。至急の課題である。

2012-04-21 13:27:06
ITO Toshikazu @toshiitoh

織田信長の覇権はビル・ゲイツの覇権に似ている。ビル・ゲイツは有能な人物だが、MS-DOSが他のOSと比べて革新的だったわけではない。

2012-04-21 17:38:06
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

これが正しい見識。 RT @toshiitoh: 織田信長は逃げ水のようなもので、あれだけ成功したんだから革新性があるはずと思って追求しても何も捕まらない。でも、あれだけ成功したという事実は変わらない。

2012-04-21 19:36:27
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

昼間の長篠合戦の続き。織田の鉄砲三段うちがフィクションなのは間違いない。問題は、武田騎馬隊のほう。この扱いがなかなか難しい。第一に抑えておくポイントは、武田騎馬隊というのは長篠合戦でしか出てこない、という事実。

2012-04-22 00:47:18
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そして小瀬甫庵によって、武田軍が騎馬を一列に並べて突撃して来た、というフィクションが作られた。それが参謀本部の手で、武田軍は大半が騎馬、というふうに話が膨らみ、戦後そのまま踏襲された。これはよい。

2012-04-22 00:49:23
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

ところが、信長が馬防ぎの柵を作らせたこと、家康が武田軍は馬一筋に入れて来るだろうと書状で語っているのも事実。そして『信長公記』には、長篠における武田軍の戦術は馬入りと記されている。武田方が何らかの騎馬戦術を用いたことは間違いない。

2012-04-22 00:52:54
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

これは永禄後期のものと思われる、新出の武田信玄陣立書からも明らか。弓衆、鉄砲衆と並んで馬乗りという一団がある。武田軍は、出陣後には部隊を兵科別に再編したことがわかる。また弓衆などは、月一回の集団訓練を課されていた。となると、騎馬部隊があったことは認めたほうが正しい。

2012-04-22 00:56:45
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

ただし、武田方の軍学書である『甲陽軍鑑』には、長篠の戦場は狭く、指揮官以外は馬から下りて戦ったとある。実際、指揮官と病人以外は乗馬してはならないという軍役規定も存在するからややこしい。

2012-04-22 00:59:13
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

考えるもうひとつのポイントは、武田軍の騎馬構成比率である。武田の軍役定書は、北条と違って本人の記載が省略されている場合があるからややこしいが、それを無視した場合、北条のほうが騎馬の構成比率は高い。乗馬しているであろう本人の記載が省略されていることを勘案すると、北条と同じくらい。

2012-04-22 01:04:07
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そして最後のポイントは、『信長公記』で馬上の巧者と讃えられているのが、関東衆、具体的には上野小幡氏であるということ。武田軍本隊ではない。そして北条や上杉との戦いでは、騎馬の話はまったく問題にならない、というのは先述した通り。

2012-04-22 01:06:51
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

となると武田軍の騎馬部隊が特殊なのではなく、東国では当たり前の戦術であったのではないか。それが織田・徳川という西国寄りの大名には、特殊に見えた、という可能性である。だから、長篠の時にだけ、信長がやけに気にするのだ。何故なら、信長が東国の軍勢と戦ったのはこれが始めてだから。

2012-04-22 01:09:43
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

とまあ、多少推測を交えつつ、考えるとこうなる。そもそも馬の産地は甲斐に限った話ではないのだから。どうだろうか?

2012-04-22 01:11:30
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

まあいずれにせよ、武田騎馬隊という言葉が誤解を招くことは間違いなかろう。先入観が入っているし(実際大河ドラマのオープニングでは、武田軍は全員騎馬である)、何も武田に限った話ではない可能性が高いからだ。

2012-04-22 01:20:04
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

未読ですが、推定どまりにならざるをえないという限界があるのは確かです。 RT @sweets_street: @kurmacf 「戦国の軍隊」では、「馬上衆」という侍だけで編成された精鋭部隊が騎馬戦闘を行うこともあったと推定していますね

2012-04-22 01:21:14