ETV特集「誰に託す 医のバトン ~岩手・高田病院再建への一年~」書き起こし

4月22日夜に放送されたものを文字起こししています。
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冒頭のVTRです

とし @toshihiro36

<ナレーション> 岩手県立・高田病院、津波は病院をまるごと呑みこみました。15人の患者、そして9人の職員が犠牲になりました。院長の石木幹人さん(64)、患者と職員だけでなく愛する妻も津波で失いました。医療機器・カルテ・入院ベッド…全てが失われました。

2012-04-23 05:40:58
とし @toshihiro36

<ナレーション> 地域医療の拠点は、その機能を一瞬にして奪われたのです。(震災当日)寒空の下、患者と職員は屋上で身を寄せ合いながら一夜を明かしました。 震災のおよそ3週間後、石木院長は生き残った病院の職員を集めました。

2012-04-23 05:46:36
とし @toshihiro36

石木:新しい病院を立ち上げるために、力いっぱい頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。不幸にして亡くなられた方もいらっしゃいますので、最初にみなさんで黙祷したいと思います。では黙祷。

2012-04-23 05:50:50
とし @toshihiro36

<ナレーション> この日から高田病院の再建は始まったのです。 去年7月、待望の仮設診療所ができました。しかし病院再建を目指す院長の石木さんは、大きな壁に突き当たっていました。応援の医師たちがいなくなったあと、深刻な医師不足に陥ることは明らかです。

2012-04-23 05:55:06
とし @toshihiro36

<ナレーション> 院長が期待をかける若手は、地域医療に埋もれることに不安を抱いています。どうすれば若手医師が報われる医療を築けるのか。石木さんは模索を続けています。

2012-04-23 05:57:57
とし @toshihiro36

石木:職員たちがやりがいをもって動いていってくれるのが、一番いいんじゃないかと思いますけどね。なんぼいい病院でも、どんよりした空気の中で仕事してたらね…だって患者さんって良くなりに来るのにさ。病院がどんよりしてたら、良くなるものもさ…そういう病院でなくてね。

2012-04-23 06:01:58
とし @toshihiro36

<ナレーション> さまざまなアイデアで地域医療の再生を目指す石木院長。その熱意は若手の医師たちに届くのでしょうか。被災地に集まった医師たちの日々を見つめます。

2012-04-23 06:04:31

ここから本編です

とし @toshihiro36

<ナレーション> 岩手県陸前高田市、大津波は住民2万4000人のうち1800人もの命を呑みこんでいきました。高田病院だけでなく、市内の診療所も押し流されました。もともと医師不足に苦しんでいた陸前高田、医療を取り戻すための動きが始まりました。

2012-04-23 06:08:22
とし @toshihiro36

<ナレーション> 去年12月、町の医療の要・高田病院は高台の仮設診療所で診察を行っていました。建物は仮設ですが、震災を生き延びたおよそ70人が働く、地域医療再生の拠点です。震災以降は全国から応援の医師がかけつけ、一時的に医師不足が解消されています。

2012-04-23 06:13:24
とし @toshihiro36

<ナレーション> 院長の石木さんが津波で妻を失ってから、9か月が過ぎようとしていました。同じように家族や自宅を失った仲間と、励まし・励まされながらここまで走り続けてきました。全国から応援の医師が交代でやって来ます。

2012-04-23 06:17:15
とし @toshihiro36

<ナレーション> 滞在期間は3~4日程度ですが、そのおかげで診察にあたる医師は震災前の2倍の12人に増えました。石木院長の長女、内科医の愛子さん(27)です。震災直後、盛岡の総合病院から駆けつけ診察にあたっています。

2012-04-23 06:21:42
とし @toshihiro36

<ナレーション> 震災後、石木院長が始めたのが職員と患者が一緒になって行う朝の体操です。都会の病院ではあまり目にすることのない光景です。高田病院を訪れる患者のほとんどは高齢者。その多くが高血圧や糖尿病などの慢性疾患を抱えています。

2012-04-23 06:25:30
とし @toshihiro36

<ナレーション> 石木さんはそうした患者の暮らしを支えることに力を入れているのです。 石木さんが高田病院の院長としてこの町にやってきたのは8年前。4人の子供がみな一人立ちした頃のことです。県の医療局からの辞令で、縁もゆかりもない陸前高田に夫婦2人で転勤してきました。

2012-04-23 06:29:24
とし @toshihiro36

<ナレーション> それまでは盛岡の総合病院で、呼吸器外科の専門医として働いていました。年間200例の肺がん手術を手がけるなど、先端医療の現場を支えていました。そんな石木さんを待っていたのは、医師不足と赤字経営に苦しむ医療過疎の現実でした。

2012-04-23 06:33:39
とし @toshihiro36

<ナレーション> 山積みの問題を解決するために、まず石木さんは医師集めに奔走します。退職後の医師や研修医を、懸命に口説いてまわりました。さらに糖尿病や床ずれなど、患者の多くを占める高齢者の医療に力を注ぎました。その結果、院長就任から6年で経営が黒字に転じます。

2012-04-23 06:37:57
とし @toshihiro36

石木:私がずっとここにいれるわけもないので、早く後継者を…2人か3人くらい核になる人を作って…やりがいのある医療の展開はできると思うので、それに賛同してくれる先生が出てくればいいなって思いますね。

2012-04-23 06:44:37
とし @toshihiro36

<ナレーション> 震災直後、石木さんに心強い仲間が加わりました。石木院長の長女・愛子さんです。震災から3日後、父の元へ駆けつけました。それまでは大病院で胃や腸などの治療を行う消化器内科の専門医を目指していました。

2012-04-23 06:49:21
とし @toshihiro36

<ナレーション> 父を助けようと被災地に飛びこんで9カ月、愛子さんはジレンマを抱えています。ここにいる間、専門医になるための訓練をつむ機会はありません。共に学んでいた同期の仲間との差は、日に日に開いていきます。

2012-04-23 06:52:09
とし @toshihiro36

愛子さん:(「焦りはありませんか?」に) それはありますよね、やっぱり。同級生・同期が自分がやりたいと思っていることをどんどんやってるので。寂しいような…焦りですかね。

2012-04-23 06:55:54
とし @toshihiro36

<ナレーション> 岩手県出身の整形外科医・大澤良之さん(46)です。大阪の病院で働いてきましたが、故郷に恩返しがしたいと病院を休職して支援に駆けつけました。ここに来て半年になります。今回の津波で、町でただ一人の整形外科の開業医が亡くなりました。

2012-04-23 07:02:16
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