- toshihiro36
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<ナレーション> 大澤さんの元には、膝や腰の痛みを訴える多くの高齢者が訪れます。患者からは「このまま町に残ってほしい」と言われています。しかし、大阪に残してきた患者や家族が大澤さんの帰りを待っています。12月いっぱいで勤務先の病院に戻らなくてはなりません。
2012-04-23 07:06:15大澤:もともとの病院に自分を待っている患者さんもたくさんいるし、まわりの先生方もいらっしゃるんで、ずっとというのは難しいと。だから、ある程度の期限で行くしかなかったのかなと思いますね。
2012-04-23 08:27:00<ナレーション> 入院ができなくなってしまった高田病院。患者の自宅での診療を繰り返しています。石木さんは震災前から訪問診療に力を入れていました。高齢者特有の病気は、診察室にいるだけではつかみきれないからです。
2012-04-23 08:31:08<ナレーション> 菊池ツヤさん87歳。震災後寝たきりになり、膝にできた床ずれが悪化していました。まず石木さんは、ツヤさんがどんな布団に寝ているのか確かめることにしました。筋肉がそげ落ち皮膚も弱くなったツヤさんの膝には、重い布団の摩擦によって床ずれができやすくなっていたのです。
2012-04-23 08:38:25<ナレーション> この陸前高田の地で石木さんがたどりついた地域医療の姿。それは病気を診るのではなく、患者を丸ごと診る医療でした。しかし7年かけて築き上げてきた医療は、津波によって流されてしまったのです。
2012-04-23 08:43:38<ナレーション> あの日、病院の3階から津波を見た石木さんは、ただちに患者と職員を屋上に避難させました。52人の入院患者のうち、屋上に助け出すことができたのは40人でした。石木さんとともに地域医療を築き上げてきた9人の職員の行方がわからなくなっていました。
2012-04-23 08:47:58<ナレーション> 石木さんは冷たい風をしのげる場所に、患者を移動させました。一段落がついた石木さんは、ふと妻・タツコさんと暮らす自宅を見おろしました。
2012-04-23 08:51:32石木:動いてるクレーンがあるでしょ、あのあたり。やることが終わって、患者さんを移動させて、「さて、どうなってるかな」と思って見た時に呆然とした。逃げてなければ、ダメだなと思ったから。なんだろうね…生きているサインがないっていうか、変な感じ。
2012-04-23 08:56:34愛子さん:何ですかね、母さんとは連絡がつかないのでちょっと厳しそうだよということと…あとはその時の病院の状況ですね。何人いて何人助けられて…入院患者52人のうち36名救命、避難の一般住民50~80人とともに職員74名で屋上に。12日のヘリで移送されました。
2012-04-23 09:08:18愛子さん:ただ、そうなんだなというふうに受け取った。とにかく前に進まなきゃというか…やることがこれ(手紙)に書いてたので、これをすぐに用意して行かなきゃという感じでしたね。
2012-04-23 09:14:33<ナレーション> 愛子さんはすぐに車に医薬品や食料などを積み込み、父の元へ駆けつけました。石木さんと愛子さんは一緒に暮らしながら診察を始めました。震災後しばらくは患者の対応に追われ、妻タツコさんの安否を確かめる余裕すらありませんでした。遺体が見つかったのは震災から20日後でした。
2012-04-23 09:19:23<ナレーション> 遺体安置所で静かに眠るタツコさんに父と娘二人で対面しました。 愛子さんが自分の元に駆けつけてくれてから9カ月、「陸前高田での経験は愛子さんにとっても決して無駄にはならないはずだ」と石木さんは確信しています。
2012-04-23 09:24:03石木:「こういうのはチャンスだと思うから、来る手もあるよ」と言ったのさ。俺の事も心配したと思うんだけど、俺の方はいれば助かるとか気が楽だというのはあまりなかった。ただ、こういうチャンスは…この1年2年ここで勉強すると、すごく勉強になるなと思ったので。
2012-04-23 09:29:48<ナレーション> 都会の大病院では学べないものがここにはある。石木さんは地域医療のやりがいとおもしろさを知ることこそ、医師としての宝になると考えているのです。それと同じ思いを愛子さんだけでなく、ここを訪れる全ての医師に対して持っていました。
2012-04-23 09:34:31<ナレーション> 石木さんが住む仮設住宅には、応援に駆けつけた医師たちも宿泊しています。その一室が医師たちの食事場所となっていました。ここに集まったのは、全国の大学医学部や学会などから派遣されてきた医師たちです。途切れることなく、支援が続いていました。
2012-04-23 09:38:01<ナレーション> しかし、支援に送られてきた医師たちは大きなジレンマを抱えていました。患者たちからは「いつまでもここに残ってほしい」と言われます。その一方で送り出してくれた病院では、自分が抜けた穴を埋めてくれている同僚たちが帰りを待っています。
2012-04-23 09:42:01応援医師:今日も外来で「先生、今度来ないだべか?」と言われた時は、ホント泣きそうになりましたね。機会があったら、ぜひ来させてもらいます。
2012-04-23 09:44:47別の応援医師:僕らが(被災地に)出たら、フォローしてくれてる人がいるんで…僕がもつはずだった患者さんをその人がもってて…疲労しきってると電話がかかってきて。
2012-04-23 09:50:15石木:医者になったらば、自分の思いの(理想の)医者になるというのも一つかもしれないけれど、社会の要請のあるところでどういう医療を展開していくか。そのために自分がどう変わっていくかみたいなことも医者の役割の一つじゃないかと思うんでね。
2012-04-23 09:54:26石木:そのときに今の社会の情勢で、過疎地があるところをカバーする仕組みがないわけじゃないですか。そこのところをどう考えるのかということは…考えなきゃいけない時代なのかなって。
2012-04-23 09:58:02応援医師:小説とかマンガの世界だと、ずっと残ったらすごい高尚な先生に見えるかもしれないけれど…やっぱり自分たちの将来を考えた時に、悩みというか迷いが生じる。
2012-04-23 10:01:33石木:ありえないわけじゃないですか。でも、ここにいて医療をやってると…ある意味で充実した部分だとかいいなと思う部分は出てくるわけだし。そこのところは大切にしなくちゃいけないと思うんだよね。
2012-04-23 10:06:09<ナレーション> 今の医療の仕組みでは大学の医局が医師を派遣するか、医師が自ら志願しない限り過疎地に医師が来ることはほとんど望めません。だからこそ、ここでの経験を忘れないでほしい。そして僻地医療をどう支えるか、一緒に考え続けてほしい。そんな思いを石木さんは伝えています。
2012-04-23 10:09:53