先日の、広範囲に同時に火をつける、という方法は、この後方への襲撃が可能にならなければ実施できない。陸遜が認識したのは、そのことであろう。
2012-04-29 00:55:34@Jominian 努力したいと思います。それにしても、劉備と陸遜の川への認識が戦略文化に基づくというのは自分にはホットなワードだけに、非常に興味深いです。水軍という名前なのに水上で戦わないとは驚きました。
2012-04-29 01:10:36@Mar__sch 戦闘目的の艦船もあったと思いますよ。ですが、あったとしても、それは敵の襲撃による船舶の喪失を防ぐためであって、積極的に敵艦船を攻撃するものではないと思います。曹操が襄陽から筏を使って長江に戦力を送り込んだのも、水上戦が頭にあんまりなかったからでしょう。
2012-04-29 01:13:29@Jominian なるほど、護衛はちゃんと付けてるのですね。川への認識の違いを意識して赤壁とかを見ると深みが増しますね。今後に生かしたいと思います。せっかくクレフェルトも読んでいるのですしw
2012-04-29 01:33:26曹操が兵に筏で漢水を下らせたのは、戦力の不足を補う苦肉の策だと思っていた。だが、長江を単なる障害と思い、ただ渡河するだけのつもりでいたなら、むしろ筏で十分と思っていたのかもしれない。
2012-04-29 02:06:04猇亭古戦場とされている場所。ここから南はわりと開けているが、ここは谷の出口で険しく、劉備は高地を占めた布陣になっている。 http://t.co/9EztmUBS
2012-04-29 22:37:47南から猇亭の劉備に迫るには、狭隘な地形を抜けなければならない。恐らく、ちょっとやそっとの戦力と攻撃精神なら失敗する。あとは、比高百mほどの山を越える東ルートがある。劉備のことだから、こちらにも戦力を置き、東からの攻撃を防ぐ体制は作っていただろう。高地の陣は漢中でもやっている
2012-04-29 22:56:16ぼーっと地図を眺めて思ったが、劉備が長江両岸に展開しているということは、係留している船に火をつければ、長江左岸と右岸との連携は断たれるんじゃないだろうか。と考えたところで、劉備が秭帰で船を捨てたことを思い出した。
2012-04-29 23:50:31記述によれば、劉備の本隊は陸遜の攻撃を受けている。仮に右岸の船を焼き、左岸に戦力を集中したとすれば、呉蜀の戦力差は大きくなる。しかし、さっきも言ったように、劉備の布陣は堅く、単純な正面攻撃は無意味だ
2012-04-29 23:53:33jomiに言われて地図をきっちり見るまで、夷陵が猇亭より奥にあるのを見落としていた。 もう、夷陵GETされてるじゃんか、陸遜。 もし、攻囲してるなら、夷道みたいに攻囲されてる旨が記載されてるはずだし。
2012-04-30 00:28:26分からないのは、劉備は猇亭に布陣したとされながら、黄権伝では江南に布陣したとされていることだ。猇亭は長江左岸にあり、江南と表現される場所ではない。劉備の本営は猇亭ではない場所にあったのか?
2012-04-30 00:37:10@Jominian ところで、夷陵は猇亭進出段階ではどうなってるんかなあ。俺はツイートしたけど「もう落ちてる」と思うんだけど、蜀漢軍の中に孤立してる事もありえますよね?。
2012-04-30 00:37:22@Jominian だから、この地図では猇亭の位置が江南になってるんでしょうか?江北になってるのもあったりするんです。 http://t.co/dcbdQQiO
2012-04-30 00:39:11