正しくTogetter / min.tにログインできない不具合が発生中です。X側の修正をお待ちください(詳細はこちら)

夷陵の戦いについて

劉備最後の戦い。 この戦いを根拠に劉備は批判されることが多いが、実際のところ、その実態は不明である。 この夷陵の戦いについて、劉備の思惑が何であったのかを考えてみた
30
前へ 1 ・・ 3 4 6 次へ
Jominian @Jominian

長江右岸に戦力を集中して突破する、というのは考えられない。敵をどうにかしないまま進めば、退路が脅かされる。夷道を落として右岸を進んでも、江陵へは遠く、更に渡河しなければならない。水上戦力において優位を得ている呉に行うべき手ではない

2012-04-30 22:30:26
Jominian @Jominian

陸遜は孫桓へ援軍を送らなかった。すなわち、夷道周辺に呉軍は展開していなかったということだ。猇亭へ攻撃をかけたことを鑑みても、呉軍は長江左岸に戦力を集中していたはずだ。

2012-04-30 22:34:26
Jominian @Jominian

俺の弟子が颯爽と現れ、俺の見落としていることを指摘してくれたりすると嬉しいんだが

2012-04-30 22:35:34
Jominian @Jominian

呉班を使った作戦を考える。あれは蜀軍の布陣と、推測し得る呉軍の位置から言って、図のようなものと考えられる。あの記述に出てくる谷は、猇亭のことだ。 http://t.co/Au741WIo

2012-04-30 22:47:46
Jominian @Jominian

この時の劉備は、どう考えても呉軍に大打撃を与えることを企図している。狭い谷に追い込み、高地から軍を馳せ下らせれば、呉軍を長江に追い落とすことができる。

2012-04-30 22:50:47
Jominian @Jominian

呉班を使った作戦が失敗した後の劉備は、持久戦に切り替えている。だが、夷道の包囲はその前から始まっている。速攻か持久かに関係なく、夷道の陥落は劉備にとって必要だった

2012-04-30 23:03:43
Jominian @Jominian

劉備は膠着状態をどう打開しようとしていたのだろうか?

2012-04-30 23:08:05
Jominian @Jominian

閃くまでは俺の考えも膠着状態を脱せないな

2012-04-30 23:09:12
yunishio @yunishio

縦長の布陣で、呉班の陣営から劉備の本陣まで右側面ががら空きですね。夷道を落とせば大江の入口を抑え、側面からの攻撃を受ける可能性はずいぶん軽減される。RT @Jominian 速攻か持久かに関係なく、夷道の陥落は劉備にとって必要だった

2012-04-30 23:11:31
Jominian @Jominian

@yunishio しかし、呉班を使った作戦を実施する前から夷道を包囲している以上、既に劉備は長江右岸にも進出していたはずです。となれば、艦船によって河川そのものを防御するか、河岸から敵水軍を攻撃できる体勢を作るかしないと、側面の防御としては大きな意味がないのではないかと思います

2012-04-30 23:37:05
yunishio @yunishio

@Jominian 夷道そのものは包囲陣を完成させた時点で自由を奪ってるので、そこから呉班が攻撃される懸念はないですが、包囲陣はさらに外からの攻撃に弱いので、まず夷道を落とし、勢力を合わせて山上、江中、夷道で横に展開し、大江沿いの補給線の安全を守るということではないでしょうか。

2012-04-30 23:53:37
Jominian @Jominian

@yunishio 呉班の作戦に限って言えば、あまり夷道は関係ないように思えます。夷道を包囲し、長江左岸を進んで呉軍を押し込む、という戦略に見せ掛けているだけで、本質は呉班を攻撃させ、谷間まで呉軍を誘導するのが目的ですから。呉班が谷を出て展開し、本隊到着まで耐える役に見せてます

2012-05-01 00:00:07
yunishio @yunishio

@Jominian なるほど…。伏兵の計画は、呉軍が夷道の包囲陣を無視して深入りすることを想定してますね。これはちょっと無理っぽいかも。

2012-05-01 00:04:28
Jominian @Jominian

@yunishio ああ、でも、夷道の包囲についての記述は、「初」とついてはいるものの、正確な時期は分かりませんね。もしかすると呉班の方が先かもしれないです。

2012-05-01 00:08:17
yunishio @yunishio

@Jominian ぐおう、そうなんですか…。夷陵の戦いは以前ちょっと見てみたことがあるんですが、曖昧すぎてよく分からんというのが当時の結論だったような気がします。勝者側の陸遜伝ですらぼやけてんだから張南、馮習の失態がどういうものだったか知りようもない!

2012-05-01 00:18:49
Jominian @Jominian

@yunishio 三国志の戦争の多くに言えることですが、ピースが少なすぎるんですね。そのため、足りないピースを自分で作って完成させなくちゃならないし、その組み合わせも考えなければならない。私がたまに贋作者を名乗っているのはそういうのが理由です

2012-05-01 00:25:26
Jominian @Jominian

呉軍主力が左岸にあるとすれば、劉備も左岸に陣取るのが普通だ。やはり劉備は猇亭に陣を張っていたのではないだろうか

2012-05-01 00:29:12
Jominian @Jominian

呉班は、猇亭の谷を抜けた劉備軍の前衛に見せ掛けられている。大軍ゆえ一度に谷を抜けられないので、まず呉班が展開し、その後に本隊が続く、という形だ。それゆえに、呉軍の諸将は、その出鼻を挫き、劉備軍の平地への展開を防ごうと考えた。

2012-05-01 00:31:50
Jominian @Jominian

劉備軍は長江の両岸に軍を置き、並進させた。恐らく荊門山と虎牙山を押さえつつ南下したのだろう。左岸と右岸の軍の前進が離れすぎれば、その進軍は不自然になる。両軍はほぼ同時に進んでいただろう。したがって、呉班の展開と夷道の包囲はほぼ同時に始まったのではないかと考えられる

2012-05-01 00:34:26
Jominian @Jominian

呉の諸将は、劉備軍が平地に押し出ない内に呉班を撃破すると共に、夷道も救って長江の両岸で劉備軍を押し止めようとした。右岸は夷道を軸に、左岸は猇亭の谷の出口を押さえる事で、劉備軍を効率的に防御しようとしたのだろう。

2012-05-01 00:35:56
Jominian @Jominian

陸遜が何故孫桓を救わなかったか?それは劉備軍に持久戦を採らせ、その策が尽きるのを待ちたかったからであり、その持久の先の反攻において、戦力の分散を避けたかったからだ。

2012-05-01 00:38:28
Jominian @Jominian

また、呉班に対処し、夷道をも救おうとすれば、どちらも中途半端になる。却って右岸では夷道も救えず、正面戦力の少なさから左岸でも敗北を喫する恐れが出てくる。かと言って、夷道に戦力を集中するのは、敵前で渡河をすることになり、左岸に残る軍も、右岸に渡る軍も危険だ

2012-05-01 00:40:16
Jominian @Jominian

夷道が落ちないのなら、左岸に戦力を温存しておくのが正解だ。それによって、劉備軍の左岸の戦力を減らすことができる。また、呉班の行動が罠であるなら、これにも手を出さないのが賢明と言える

2012-05-01 00:41:21
Jominian @Jominian

陸遜の判断は合理的だ。だが、この時点では陸遜にも勝利への明確なシナリオは描けていない。

2012-05-01 00:42:43
Jominian @Jominian

問題は劉備の意思である。左岸への戦力の集中は、猇亭の谷を抜ける分展開が遅れる。したがって、両岸で軍を並進させるのは、あながち間違ってはいない。だが、勝利のためには、分散した軍は集中させなければならない。劉備の集中のためのシナリオこそ、彼の本意を表していると思う。

2012-05-01 00:44:35
前へ 1 ・・ 3 4 6 次へ