正義や合理性って人に優しくないよね

sugiken1212 さんのツイートまとめ。 正義や合理性を振りかざすことに対する鋭い批判。今の社会に息苦しさや苛立ちを感じる人,「あいつの言うことって正しいけど何か嫌だな」という違和感を感じる人は是非一読を。優しさに裏打ちされた文章です。
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@sugiken1214

死んだら、悩むこともできない。苦しむことすら許されない。 生への執着が不満足や不足から発生するのだとすれば、悩みや苦しみこそ、人を生かし、動かすものかもしれない。 どんな手を使っても生きたい人間と、いつでも死んでもいい人間。強いのはどっちだろう?

2012-05-05 21:24:17
@sugiken1214

「こんなものは無駄だ。非合理だ。効率的でない。だから、いらない」という言説は、とてもスッキリしていて耳触りがいい。確かに論理的に考えると、誰もがそういう帰結に辿り着く。でも、社会の中に身を置いてみて、そういう無駄によって生かされている人もいるんだということを感じる。

2012-05-05 21:32:38
@sugiken1214

一見、無駄にしか見えない不合理なものを切り捨てていったとき、 無駄によって生きていた人たちはどうなるのだろう? 誰もが反論できない正論を振りかざす人たちは、そういった人たちのことはどう考えているのだろうか? 無駄と一緒に消え去ればよいと? たぶん何も考えてないんじゃないか?

2012-05-05 21:39:28
@sugiken1214

だって、正論信者からは無駄によって生きる人たちも、また無駄なものとして映らないだろうから。こういうまっすぐ君と純粋ちゃんたちは、その論理が自分たちにも牙をむく可能性は考慮していない。他罰的な発言をする人たちは、自分たちは絶対安全圏にいると思い込んでいるから。でも、それは誤りだ。

2012-05-05 21:48:20
@sugiken1214

絶対的な正しさなんてものはこの世に存在しない。正しさの尺度は時と場所や条件によっていくらでも変わる。というか、立場や見方によって180度異なるなんてことはザラだ。繰り返すけど、無駄なものは消え去れと簡単に口にすることができる人は、自分がその無駄に含まれる可能性については考慮しない

2012-05-05 21:55:34
@sugiken1214

というわけで、私は誰もが支持し、快哉を贈るようなカッコイイことを言う人とその言説は基本的に信用できない。なぜなら、そこには自分の頭で考える余地がないから。誰もが正しいと思う言葉には自分の批判や思考が入り込むタメや隙間がない。いわば、それは死んだ言葉だからだ。

2012-05-05 22:02:06
@sugiken1214

冷たくて、鋭利な言葉は他者を攻撃するときには、とても有効に働くけれども、そこから何かを生み出すような豊かさとは無縁だ。切って捨てて後は知らんという無責任と想像力の欠如が裏に貼り付いている。ただし、何かを壊すのには適しているから、そういう言葉遣いをする人はカッコよく見える。

2012-05-05 22:08:29
@sugiken1214

僕が橋下徹的なものや「意識高い」学生の言葉に違和感を感じるようになったのは、そういった正しさは絶対的な善であるという確信を彼らに感じるからかもしれない。そこには「もしかしたらこの言葉がいつか自分や大切な人を傷つけるかもしれない」というためらいや検討がないように感じるからだ。

2012-05-05 22:16:09
@sugiken1214

無駄なもの、不合理なものは消え去れと言うなら、それは突き詰めると「じゃあ、まずお前が消えろ」ということになる。自分が絶対的に正しく、有用な存在だと証明できる人なんているのだろうか。そもそも人類そのものが無駄と不合理の塊じゃなかろうか。人間は正しさの塊じゃない。

2012-05-05 22:24:35
@sugiken1214

誰もが矛盾や不合理を抱え込んだ存在なのに、それを棚上げして他者を攻撃するような人間は信用できない。そういう人間の暴力性は無慈悲に周りに振るわれるが、そういう言葉を発する人間もそれを支持する人もそれが自分たちに跳ね返ることを想像していない。なぜなら、自分だけは正しいと思っているから

2012-05-05 22:31:38
@sugiken1214

言葉を発するときに、そこに自分は間違っているかもしれないというためらいや、他者の意見が介在するタメ、余白があるかどうか。これを仮に開かれた言葉と呼ぶなら、絶対的正義を確信する人の発する言葉は閉じている。絶対的に正しい言葉は自己完結し、批評も進化も許しはしないから。

2012-05-05 22:37:34
@sugiken1214

学生の時って、一見カッコいい言葉に飛びつきやすいし、それで他者を完膚なきまでに叩きのめすことで、自分の価値や頭の良さを証明しようとするんだけど、ある時から、それってすごく薄っぺらに思えてくる。実際は軽薄さか、不安の裏返しの暴露なんだもの。そうしないと自我が保てないっていうさ。

2012-05-05 22:58:35
@sugiken1214

というわけで、異様に攻撃的だったり、他者を馬鹿にする人には、「なんか辛いことあった?」「そんなこと言わなくても、あなたは無駄な存在なんかじゃないよ」と承認を与えるか、あるいは「お前も無駄と不合理の固まりだ」と相手を絶対安全圏から引きずりおろせばいいと思う。そこで初めて対話が始まる

2012-05-05 23:09:00
@sugiken1214

汚い大人の言うことだって思う人もいるかもしれないけど、現実がそうなんだから、それは認めないと。学生は無責任だし、大人は責任に縛られすぎて身動きがとれない。若者の青臭い情熱と大人の身も蓋もない現実認識の両方を持ち合わせた「青年」にならないとできないこと、見えないことがある。

2012-05-05 23:14:24
Ryo Wakabayashi @lemonlife_8bit

@sugiken1214 今までのツイート興味深く拝見しました。「正しさ」とは大衆の中で最も多くの支持を集めた意見が基準になっているのだとは思いますが、多数派=絶対的正義という公式を信用する事は結局思考に柔軟性を失わせ、文化や社会を退行させる行為に他ならないと感じます。

2012-05-06 00:41:45
Yoshi@Anti-austerity @hosyukakumei

@sugiken1214 それ凄く分かります。競争より共生ですかね。承認って大事ですよね。

2012-05-06 12:03:46